「フリーランスアーティストを目指すために」(第7回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)

音楽総合研究センター シンクタンク機能・社会発信室では、卒業後の活動を視野に入れた支援として、2017年度より旧音楽創造・研究センター主催のもと特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」という講演会シリーズを開催しております。こちらのページでは、2019年度の第7回特別講座でご登壇いただきました、碓井俊樹先生と石崎弘典先生のご厚意により、講演内容を講演録として掲載いたします。
これからプロの音楽家をめざしたい方、卒業後にフリーランスのアーティストとして活動していきたいと考えている方、さらに海外で進出し活動したい方に、ぜひ参考にしていただきたいと思います。

第 7 回 特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援~海外を含めたアーティスト活動に関心のある方へ~」
音楽総合研究センター シンクタンク機能・社会発信室〈講演会シリーズ〉第7回
2019年6月14日(金)18:00 ~ 20:00
東京藝術大学音楽学部 5-109教室

講師 
碓井 俊樹 先生(ピアニスト)

石崎 弘典 先生(投資家)


テーマ「フリーランスアーティストを目指すために」

●講演の流れ 
0. はじめに
1. 碓井俊樹先生の今現在の活動
2. 碓井俊樹先生の藝大時代
3. 留学と飛行機の出会い・利用方法
4. 質問タイム① 
5. 石崎先生と碓井先生との出会い
6. ARTmentについて 
7. ARTmentの歩み① 
8. ARTmentの歩み② 
9. ARTmentの歩み③
10. アートビジネスの可能性①:科学サイエンス 
11. アートビジネスの可能性②:技術テクノロジー 
12. アートビジネスの可能性③:アジアの時代 
13. 今後の社会における展望 
14. 著名人たちの言葉(引用) 
15. 質問タイム② 

0. はじめに

碓井俊樹先生のお話

皆さん、こんにちは。
今日は、話の途中で積極的に途中で割り込んでいただいても良いので、どんどん質問してほしいと思います。
なぜなら、今日話すキャリア展開のお話は、How to本のような本を読んでも、私たちには絶対に当てはまらないと思うんです。私も体験してきたのですが、ピアノを一曲仕上げるときに、膨大な勉強量はもちろん、先生方にも沢山の事をアドバイスをいただきますよね。そういうことは、How to本の著者の頭の中には、体験またデータとしてないと思いま す。今日、私が話すことが全て正しいわけでもないですし、石崎先生が話すことが正しいというわけではなく、一つの意見として聞いてもらい、それを自分にどう消化して生かすかということを考えてもらえたら良いなと思います。

1. 碓井俊樹先生の今現在の活動

現在のスケジュール

まず私が何をしているかということを説明していきたいと思います。
最近のスケジュールです。今年は既に世界を3周しています。
最初の世界1周目は、石崎先生と中国・北京で安倍首相と周近平首相が取り決めた青少年の為の日中友好イベントで演奏をして、アメリカ・グアドループ・セントマーティン・アングラ・マルティニーク・ドミニカ・バルバトス・ラオス・タイ・オーストリア・ロシア・フランス・マレーシア・香港、香港は日帰りで行ってきました。
この後、先月は、5月にアメリカとイタリアで国際コンクールの審査員をしていたので、東京を出発してミネアポリス経由ハートフォード・ニューヨーク・ポルトガル・マドリッド・ローマ・シチリア・イスタンブール・東京・香港、と回ってきました。
今月は、この講義が終わったら来週に、ウイーンとパリとジョージアに行ってきます。来週の水曜日は、グルジアで演奏会が2つ入っています。このような生活をしています。

大体年間平均で800時間ほど飛行機に乗って、ホテルには120泊くらいしています。
いつ練習しているのか?と思われるかもしれませんが、なかなか練習時間をとるのは難しいのですが、よく深夜にしています。
皆さんが一番聞きたいことって、私も学生時代に思ったんですけど、どうしてあのコンクールの審査員になれたのかな?どうしてあそこの仕事取ったのかな?ということですよね。私も学生の頃、先生や先輩に聞いたんですけど、あまり答えてくれなかったんです。その学生時代の体験から、卒業後は楽しく勉強やキャリア展開をして自分がしていることをさらに後輩にシェアできるようになればいいなと思っていました。

現在の仕事

私がどういう仕事をしてきたかということですが、現在は15ポジションで仕事をしています。
●1つ目は、ピアニスト(笑)
● そして、上野学園大学で客員教授として週1回教えています。このようなスケジュールなので、朝、空港に着陸して、その日の夜の便でまた飛んでいくというスケジュールをよくしています。
● 日本香港音楽協会というところで理事長をしています。日本は人口も減っていくし、経済規模も下がってきています。アジアのハブ地域に出ていった方がいいだろうと、34歳の時に、思い切って香港に行って、香港にソサエティを作って、色々な先生と国際コンクールや色々な活動をしています。

LLC Music Designというところで、代表取締役をしています。これは、活動をするのに個人ではなく、スムーズに事をすすめる為に会社があった方がいいので、そのために作りました。

音泊アドバイザーをしています。不動産屋の友達がいまして、投資物件を色々な形で使いたいということで、ピアノや楽器を24時間弾けて泊まれるところもないし、絶対作ったほうが良いということになり、私がアドバイスして、音泊が出来上がりました。

● アザラシヴィリの著作権管理者です。バーシャ アザラシヴィリって知っていますか?指揮者の山田和樹さんが指揮者になったきっかけがアザラシヴィリなんです。彼はアザラシヴィリの音楽を聞いて音楽家になりたくなっとのことです。話せば長いんですが、山田和樹さんに「碓井さん、ジョージアにいくなら探してきてよ」といわれ見つけ、今ではアザラシヴィリと仲良くなって、色々なことを一緒にしています。作品は全音出版社から出版されています。

● 横浜シンフォニエッタのオーケストラで代表理事とゼネラルマネージャーをしています。

山田和樹さんと一緒に、このオーケストラを作って、海外公演(今までにフランス・ロシア・韓国)をしたり、色々な斬新なシステムを構築しています。これ以外にも、プライベートCDを出したり、色々な企画をしています。CDリリースでは、システムに問題を感じて、制作コストの削減の為にアメリカで生産したり、生産したCDを海外からクロネコヤマトで送ったり、今では当たり前ですが当時では革新的な事をしていました。

● 豊岡市(兵庫県)でおんぷの祭典という、子供たちのための国際音楽祭の音楽監督をしています。
● 福島国際音楽祭のディレクターをしています。
● ジョージアで、ワインワイナリーを共同経営しています。作曲家のアザラシヴィリ繋がりです。音楽家はお酒好きじゃないですか。好きなお酒は自分で作っちゃえと思って、今に至っています。

● NGO GINインターナショナルです。芸大卒業の年に設立しました。東京都から助成をいただき卒業試験の翌日にシリア各都市やパレスチナ難民キャンプに飛びました。

BunBu学院で、英才教育など、プロ野球選手の奥さんがオーナーの学院の音楽顧問をしています。

● 一般財団団法人の若林暢音楽財団の評議員。

classicforjapanの評議員。

● ベネズエラ人の指揮者グスターボ・ドゥダメルも育った、EL SISTEMAという組織をグローバルに横断する組織、EL SISTEMA CONNECTの理事。

他にもいろいろな活動をしながらピアノを弾いています。

2. 碓井俊樹先生の藝大時代

私がどういう活動をしてきたかというと、私の藝大の2年生からの活動が今の活動に繋がっています。自分でもこれは興味深いなと思っています。
私は藝高にいたので、藝高から藝大にきました。

”藝大2〜3年生での出会い”

藝大の2年生のピアノ科の試験でよい成績をおさめるとモーニングコンサートで藝大フィルと演奏できますよね。
このモーニングコンサートで指揮者の松尾葉子先生出会いました。共演した翌年、松尾先生に有り難い事に他の演奏会にお声かけいただきその中の一つにアマチュアオーケストラとの演奏会がありました。その時のアシスタント指揮者が山田和樹さんだったんです。
その後、山田和樹さんに呼んで頂きアマチュアオーケストラに行き演奏しました。これが大学3年生のときのことです。
この時のアマチュアオーケストラの事務局長がJASRACに勤めているヴァイオリニストでした。現在はとある有名音楽事務所の社長をしています。その方は、JASRAC勤務後に海外青年協力隊でシリアのダマスカスに飛ばれました。そして私は芸大3年生の時にザルツブルクに留学しましたが、その留学期間中に先ほどのアマチュアオケのコンサートマスターの方がシリア国立交響楽団に話をつけてくれて、ダマスカスまで弾きに来てほしいと言われました。そのついでに難民キャンプまで来てほしいと言われ、このことが、NGO設立のきっかけになりました。
結果的にはいろいろと解決すべき問題がありダマスカスに行ったのは、留学から復学し藝大の卒業試験の翌日でした。シリアに飛んだのですが、この時にその後の人生を左右するキーポイントがありました。初めて外交官の方にお世話になったり、シリア国立音楽院の同じ年の学生と知り合ったりしました。

”藝大卒業後~20代”

藝大を卒業した年に、現在は澤和樹先生が音楽監督をされている長野国際音楽祭という音楽祭に招かれて、ピアノを弾いていた時に出会った先生や音楽監督が、今の演奏活動に繋がっています。このときは、ウクライナでベートーヴェン全曲協奏曲演奏会に誘われていたのですが、そのお話をけって長野国際音楽祭にいきました。
また、先ほどお話していたシリアの外交官の方がウクライナに赴任し、ウクライナキエフで演奏会の場を設けてくれました。ウクライナでは、キエフ国立フィルハーモニー交響楽団の音楽監督と指揮者にも御来場頂き、そこでオーケストラとの共演などが次々に決まりました。
来週はジョージアに飛びます。同じような演奏会があり、レセプションにて音楽関係者を4~50人にお声かけをいただきました。このような場があると、そこからまた国際交流や演奏会が繋がったりします。ここまでが20代の活動です。

”30代”

その後30代になって、アジア圏・特に香港に飛んだり、尚美学園大学・大学院に客員准教授で教えたりしていました。

先ほど話していた山田和樹さんが探していたバーシャ・アザラシヴィリという作曲家をみつけたきっかけというのは、卒業後にウクライナで演奏活動をしてお世話になっていた日本大使館の広報・文化担当の方が、各国を経てジョージアに行っていたんです。その広報・文化担当の方に連絡を取ったら、その方の部下のお父様がバーシャ・アザラシヴィリと親友だったということがありました。
凄いですね!!偶然や繋がり!!すべては点と点がリンクで繋がっているんです
出会いとか人の繋がりというのはとても大事で、これをまず皆さんに意識してもらいたいと思います。
これから皆さんが音楽祭や、国際コンクールとかで仕事していきたいときに、何がすごく大事かというと、何だと思いますか?
まずは、演奏のクオリティ!!これはいうまでもありません。
マネージメントや様々な方の後ろ盾や、政治力などがないといけないことも実証されていますね。
私の留学時の恩師はカール・ハインツ・ケマリングというドイツの先生です。3年前に亡くなってしまったのですが、当時ケマリング先生の推薦状はどこでも水戸黄門の印籠みたいでした(笑)

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