「フリーランスアーティストを目指すために」(第7回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)
石崎弘典先生のお話
5. 碓井俊樹先生との出会い
今日参加してくださった皆さまに、これから講義をさせていただくのが楽しみです。
私と碓井先生が意気投合した背景が、お互い分野は違いますが、「どんどん枠を超えて世界に出ていこう」ということでした。
アートや音楽のお金や経済、ビジネスというところが結びついていかないと、芸術がなくなっていってしまうということを、碓井先生と初めて会った時から話をしていたので、そういう2つのテーマを今日お話したいと思います。
碓井先生と私はそれぞれが違う切り口や経験からのお話ですが、皆さまに何か意義のあるお話ができればと思っています。
碓井先生もフライトのことをお話されていましたが、私もフライトがとても多いです。
石崎先生:私と碓井先生の出会いは実は結婚式なんですよ。その時結婚した人が世界を160ヵ国ほど旅して、12年間ずっと日本に帰ってこなかったマッサージ師なんです。マッサージ師のまさしさんという人です。
碓井先生:各国のゲストハウスに行って、ゲストブックを見ると、その方の名前が載っていますよ。
石崎先生:ゲストハウスに行くと、ゲストブックとかがあって、旅人がメモを残していく本があるんですが、そこに必ず、その方が宣伝していて、ここの宿にもここの宿にも行ったんだということがあります。私はその方とイスラエルで会って、碓井先生はウイーンで会ったんです。
碓井先生:私は今でもウイーンに家があります。
石崎先生:私はその当時2月からインドでコンサルティングの仕事をして、11月に彼の結婚式だったんですが、その結婚式で碓井先生と意気投合しました。次に会ったのは、その年の東大の5月祭でした。休学して自分のキャリアや未来をもっと模索していこうという講演を私たちの後輩が開催した講演会でした。
私はフランスに音楽を勉強しに1年間休学して留学していたんです。東大の学部の専攻はフランス哲学を出ているんですが、パリでは音楽を勉強していました。
碓井先生:藝大など国立大学は無料で2年間休学することができます。授業料もかからないです。
石崎先生:東大も同じです。この講演をしたのが5月で、このあと11月までで、私たちはすでにインドで2つのコンサートをしています。碓井先生のコンサートを大使館とか総領事館とか日本の政府も支援してくれて、ご一緒することができました。
こんなことは私の人生でやったことがなかったんです。
多分、こうしなきゃいけないというのが日本の教育のなかで強いので、休学してキャリアを作るために、海外で勉強して、海外で仕事をしたら日本で仕事なくなるんじゃないかと思うことがあると思います。東大生も同じことをしているんです。
なんで?と思いますが、理系とかだと研究室の関係があるじゃないですか。私たちは確実に色々なリスクを考えずに、海外に出た人の方が勝つなと思っていたんです。
私もインドに行って、最初は研究者になるつもりでした。帰国子女なので語学ができたことと、アメリカの公認会計士の資格を持っていたので、それを使ってなんとか26歳から仕事をしました。26歳からはじめてスーツを着て名刺交換をしました。
それまでビジネスなんて誰も教えてくれないのでやったことがなく、インド人に自分で聞くしかなかったのでとても大変でした。色々経験してきたからこそ、誰かに教わることなく、自分自身で学ぶことができました。
皆さんは私からしたら羨ましいくらい音楽の才能がある方がここに集まっていると思います。
藝大という狭き門に入って、本当に羨ましいと思います。やはりこれから自分がどういう風に生きていくか、立ち位置をどういう風に持っていくか、どういうマインドで生きていくかということで、音楽家や芸術家の生き方や功績をどれだけ残せるかが全然変わってくると思います。私も音楽という人生を歩みたかったけど、諦めてしまった人なので、ものすごく皆さんのような人を尊敬しています。だからこそ私のビジネスや投資は積み重ねた経験から活かせるんじゃないかということで、立ち上げたのが「ARTment」という団体です。