「フリーランスアーティストを目指すために」(第7回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)

4. 質問タイム①

質問(学生①):「大学3年生で何往復もされたということなんですが、学生のうちから飛行機の資金はどのようにしていたのですか?」

碓井先生:資金は学生の頃ヨーロッパへ行くと往復大体10万円くらいかかったんです。ウイーンから東京、ザルツブルクから東京の往復でした。学生の頃はそんなに報酬も高くなかったので、2つ3つ演奏会を組み合わせて、10万円くらいの報酬になったら帰ってくるというルールを自分で作りました。
あと、今は7、8回になるかもしれないですが、その当時は4、5回乗ったらマイレージで欧州から日本まで無料になるというのがありました。これも全部計算に入れて、無料で帰れる時はとりあえずそれで帰りました。皆さんはマイレージとか持っていますか?地方から藝大に出てきている人はいますか?どこから来ていますか?
地方から藝大に出てきている人はいますか?どこから来ていますか?

学生の一人:「岡山です。」

碓井先生:例えば岡山だと、新幹線ではなくて、飛行機にすると50往復くらいするとヨーロッパ線が無料になるのは知っていますか?
今私はマイレージが200万マイルくらいあるんですが、ヨーロッパまで45回無料で行けることになります。そのくらいマイレージが溜まっているんです。このようなポイント制度も活用していくと、お得に行くことができます。ときには、海外から呼ばれても、航空費が期待できない時があります。そういう時は、自分のマイレージあるからそれでいけますよ!というと主催者に感謝されます。日本って遠いんですよ!!
ときには、海外から呼ばれても、航空費が期待できない時があります。そういう時は、自分のマイレージでとりあえず支払いをします。
今はANAやJAL、LCCやジェットスターなどに乗ってもDELTA航空だったら年間20000マイルまで無料でつけてくれるキャンペーンもしています。そうすると、1回乗って、2つの会社にマイレージがつくので、年間2万マイルまで行けますが、4年間で1回ヨーロッパのビジネスクラスで無料で飛ぶことができました。
いつもJALとANAでつけていたマイレージ+キャンペーンで相乗りしていくことができるので、このような情報を集めることが大事かもしれないです。

質問(学生②)「今15個のポジションでお仕事をされているということですが、非常に驚きとともに、尊敬の念を抱いています。ピアノ演奏以外にマネージャーをしていたり、幅広くしていらっしゃいますが、どういう基準で、仕事を受けられているのかというのが、とても興味深いです。素人感覚で、サッカーの感覚だったら、サッカーで活躍して稼いで、引退したらコーチになってコーチで稼ぐというのが普通のレールですが、それ以外に監督業をされながら、色々幅広く手掛けられていらっしゃるのがすごいと思いましたので、どういう基準でお仕事されていらっしゃるのか知りたいです。」

演奏の仕事について

碓井先生:どうしてもピアノ中心の話になってしまうのですが、学生の時、ピアニスト一本でピアノソロだけで仕事している人はどのくらいいるか調べてみたんです。そしたら、例えばあのマルタ・アルゲリッチでさえ、ソロ以外に室内楽も弾くし、セミナーでも教えるし、色々なことをしていることに気づいたんです。
ヴァイオリニストでコンサートマスターやソロ活動もしている人もいますよね。
ピアノ一本でいった方が良いという雰囲気もありますが、色々調べていて、どんどん色々なことをしていった方が良いと思いました。海外の音楽家ともコミュニケーションを取った時に、彼らも色々な活動をしていて、そこで情報交換をしていくと、色々な仕事が発展していくということが起きました
仕事の選び方としては、ピアノ科の人や楽理科の人は伴奏も弾くこともありますよね。私も伴奏をたくさんやりました。コンクールや小さなオーディションなどで伴奏をしていたのですが、34歳の時にきっぱりコンクール系の伴奏をすべてやめました。なぜかというと、伴奏の仕事も後輩に譲らなければいけない、いつまでたっても自分がそこにしがみついてはいけないと思いました。
世界トップレベルの良い演奏家と共演したいと思いつつ、悪い事ではないですが小さなコンクールやオーディションの伴奏などばかりしていたら、素晴らしいアーティストのピアニストを探している時に、マネージメントは依頼したい!と思いますか?
例えば、小さい子供達の伴奏をコンクールの予選で複数人伴奏して、次の日、トップレベルの超有名人ヴァイオリニストやと演奏をするというような両立は、厳しく感じたことがありました。それもきっかけでした。演奏家のクオリティに大きく影響するので、音色も変わるし、呼吸も変わるし、素晴らしい事なのですが小さい子供の伴奏のような仕事は32歳の時からどうかなぁと思っていたんですが、思い切って34歳の時にやめて、すべて後輩に譲りました。そうすると、後輩に仕事ができますよね。でも多くの場や曲を小さな子供達の伴奏から学びました。これも絶対に必要です。
こういう良い流れを将来作っていくことが大事かなと思います。

オーケストラのマネージャー業の理由

オーケストラのマネージャーをしている理由ですが、横浜シンフォニエッタというのは、指揮者の山田和樹さんとコンサートマスターの長岡聡季さんと私とフルーティストの北川森央さんが運営メンバーです。私以外の3名が芸大在学中に作ったトマトフィルハーモニー管弦楽団が基礎になっています。そのオーケストラがそのまま横浜シンフォニエッタにスライドしました。
色々な音楽や、色々な演奏会がありますが、演奏の質とギャランティのバランスがあまり取れていないということが多かったんです。今でもそうだと思います。
特に、トマトフィルハーモニー管弦楽団ということで余計に大変だったようです。横浜シンフォニエッタを作る時に、今後どういう風にしていけば良いかということを、在響のオーケストラや世界のオーケストラを全部分析しました。その時、藝大や他の音大でこれだけ苦しい思いをして入試を受けて入って、色々弾いてきたのに、低賃金だとむなしいじゃないですか。これは、日本一の、楽しいギャラの良いオケを作ろうという話をして、それを目標にしてやってきました。今、ギャラやコストは初めた頃の2倍くらいになっています。それでも主催者が買ってくれるオーケストラになり本当に嬉しいです。リスペクトや、流れ、ブランドというのをこれからみんなで作っていかないと、私たちは苦しいですよね。みんながやってきた勉強量や経験したことを無駄にしないという作り方を目指しています。皆さんもぜひぜひ頑張ってください。

音楽界の現状

そして最近、世界の著名な音大の順位が掲載されている「Best music school in the world2019」というのを見つけました。藝大は36個大学があって、34位でした。1位はジュリアードです。

日本は、ピアノだったらYAMAHAとKAWAIがあるんですから、もっとそれを武器に出て良いと思うんです。弦楽器は、スポンサーがついていたり、楽器貸与してくれる団体がありますよね。日本のヴァイオリニストは強いですね。勿論、バイオリニストの血のにじむような努力や経験が9割以上をしめますが、宗次德次さんのイエローエンジェルや上野製薬さんなどなど名器を貸してくださるし、色々なことがあって、総合力で弦楽器は強いなと思います。ピアノ業界も頑張らないと!!
この間調べたのですが、Skypeレッスンというのが始まっているのを知っていますか?イギリス発で結構広まっているのですが、ジュリアードなどで学位を取った人がマネジメントをして、みんながどんどん英語を使って韓国や中国の方が、世界中から生徒を集めることが始まっているんです。そうすると、既存の音楽教室だけだったり、家で教えるだけよりかは、はるかに規模を大きくできるという流れがおきます。
そのようなリサーチ力とかアンテナを張るというのは、これから皆さんが生き残っていくうえで、すごく大切だと思います。

質問(学生③):「大学3年生の時にウイーンに留学したというお話があったでんですが、それまでの語学の勉強はどうされていたのですか?」

碓井先生:ドイツ語の授業は取っていましたが、ドイツ語が苦手で、そのままウィーンに留学しました。留学してからも、半年はドイツ語が嫌いで、英語だけで生活していました。しかし、私はザルツブルグモーツァルテウム大学に通っていましたが、市内ではなく綺麗な湖のあるザルツカンマーグートという所に住んでいました。そこでは田舎すぎて英語が通じず、仕方がないのでドイツ語教室に行って、ドイツ語を勉強した覚えがあります。向こうに行って何とかなると言いたいのですが、今ドイツなどの大学院の入試は条件が厳しいので、できる限りゲーテ・インスティテュートのドイツ語試験など資格を日本で取っておいた方が良いと思います。語学で入試に落ちてしまうとか、受からなかったという人が結構見受けられますので、勉強しておいた方が良いと思います。

質問(学生③):「先生が、大学生の時に横浜シンフォニエッタの設立において、資金を色々と計算されていたり、自分の活動の資金の計算をされていると仰っていたのですが、それはいつからどういう風な方法でされてきたのですか?」

碓井先生:例えば、オーケストラでは簡単ですよね。赤字になったらできないじゃないですか。留学中の飛行機代はギャラの範囲で飛行機代が出れば帰国してくるという方法でした。

質問(学生③):「普段いただくお仕事(学生の時にいただくお仕事)のギャラの計算はどうされていましたか?」

碓井先生:大学を出たら自分で固定レートにして、仕事をしていました。
自分の時給は、自分の適正価格をいくらか考えて設定していました。卒業した後に、自分が決めた金額で仕事を受けることにしたら、その時は「高い」と言われたのですが、絶対に変えなかったです。その時は変えなかったけれど、その金額のまま32歳まで演奏を受けていました。23歳から32歳まで伴奏などの仕事でその金額で通して筋を通して仕事をしていました。

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