本学大学院修了者 山尾麻耶さんへのインタビュー

 

2014年度「アントレプレヌール支援:邦楽科におけるグローバル・キャリア展開」の実施期間中の2014年12月24日に、モスクワ音楽院主催音楽祭「日本の心」に出演された山尾麻耶さんにインタビューをさせていただきました。山尾さんは現在、国際的にも活躍される本学修了者のお一人です。インタビューでは、山尾さんがアーティストとしての個性を確立された道程や、ご自身の活動姿勢など、実践的で貴重なお話を伺うことができました。ご協力くださいました山尾さんに、あらためて感謝申し上げます。以下、インタビューの一部をご紹介します。

 

s_山尾 麻耶 プロフィール写真 (2)

山尾 麻耶

Yamao Maya

6才より長唄三味線を始める。幼少時代をフランスで過ごし、三代目市川猿之助歌舞伎フランス公演に出演。以降日本の伝統文化に興味を持つ。東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。東京藝術大学助手(2006~08年)。駿河台大学客員講師(2011~14 年)。駿河台大学客員准教授(2014 年4月~)。盈進学園東野高等学校伝統芸能部コーチ。社団法人長唄協会、長唄東音会所属。http://asachaya.com/

 

Q. 昨日の公演では、休憩前に設けられたワークショップのコーナーで、お客さんが大変に盛り上がっていらっしゃいました。このような公演の形は、どのようなステップを経て築かれたのでしょうか?
A. 大学院の頃、日本中の三味線音楽を生で聴きたいと思い始め、修了してから各地をまわるようになりました。その先々での体験を、演奏会・講義・イベントなどでお話しすると興味を持っていただけるようになり、その場に応じた三味線を使ってのワークショップを取り入れることによって、より身近に三味線を感じていただけるので、充実感のある企画だとの感想を多くいただきました。
 無駄なものを少しずつ省いて、エンターテイメントとしてお客様に分かりやすく納得していただける形を模索して、十年ほどかけて昨日のような形になりました。これからまた変わっていくと思います。

Q. どのような学生時代を過ごされましたか?
A. 藝大での学生時代は、いろいろな人と何かを「共有する」ということが好きでした。美術学部の友人の個展やファッションショーなどで三味線を弾いたり、ガムラン部・サンバ部・軽音部ともライブイベントをやったこともありました。藝大でしか出会えない多種多様な仲間達と、常に楽しみながら、時に真剣に模索しながら、三味線の多面性をみんなで共有したいと、あれこれやっていました。昨日のコンサートのプログラムは、学生時代からの私の生き方を表しているかもしれません。

Q. 外国における邦楽の演奏活動は、現在でもまだそれほど多くないように思われます。海外での演奏活動へと山尾さんを突き動かす、モチベーションは何でしょうか?
A. 6歳から三味線を習っていて、私自身はお稽古が楽しくて大好きだったのですが、小学校に入学してから、周りの仲良しの友達に「三味線なんかやってるの?私たちはピアノやバレエに行ってるよ。」と言われ、これは恥ずかしいことなのだろうかと思うようになりました。そしてそれからは三味線のことを周りに内緒にしていました。そんな気持ちのまま、8歳の時、父の仕事の関係で、フランスに引越しました。フランスでは、三味線の先生がいらっしゃいませんし、かねてより日本の友人たちが習っていたバレエやピアノにも興味があったので、ピアノやダンスを習い始めました。ダンス教室に行くと、フランスの8歳くらいの子どもたちって見た目がフランス人形のように可愛い子が多いんです。顔が小さく睫毛がカールでおめめパッチリ、色白でスタイルが良い。衣装を着るとしっくりくる。一方、私は、ザ・日本人体型なので、ビジュアル的にも完全に浮いており(笑)、子ども心に「これは違うわー」と感じていました。また、パリのピアノ友達は曲を自由に表現しながら楽しそうに弾いていて、楽譜どおりに弾かない。私も習いながら、早くピアノで遊びたい!三味線があれば、みんなときっとすぐに遊べたのに!と思っていました。また、現地の友人と不自由なく馴染めるように、一生懸命フランス語を勉強しました。ですが、8歳くらいの子どもは、会話の中に人種差別的な言葉がポロっと出てしまう。ダンスやピアノを習い、フランス語が理解できるようになればなるほど、自分は日本人なんだ、と実感していました。
 そんな時に、三代目市川猿之助さん(現在の猿翁さん)の一座がパリにいらして、《義経千本桜》を公演されました。現地で子役の募集があり、パリからルアーブルまで、二か月間の公演に私と弟が出演させていただくことになりました。
 歌舞伎の台詞は我々日本人でも完全に理解出来ないこともありますよね。でも言葉を全く理解できないはずのフランス人たちが総立ちで喝采し、拍手が鳴りやみませんでした。私はその時に、言葉がわからなくても、きちんとした芸はどこでも理解してもらえるんだということを知りました。そして、日本に帰ったら絶対にもう一度三味線をやろうと決めました。

Q. これから山尾さんがなさりたいことは何ですか?
A. 一つは、海外で暮らしている日本人の子どもたちに、日本文化を知らせたい、あなた達の国にはこんなに良いものが沢山あるんだよということを伝えていきたいと思っています。
 世界中にある日本人学校や補習校などで、もっと気軽に温かく子どもたちに日本の芸能を触れさせてあげる、そういうことを今後やっていきたいと思います。海外では日本の楽器に触れる機会が少ないので、演奏はもちろん、昨日のワークショップのような、人と人が接する音楽活動をやりたいと思いますし、その必要性を感じています。

Q. 演奏会のなかに挟むワークショップは時間が限られますが、短い時間で、何を大切にしてワークショップを行っているのでしょうか?
A. 三味線の場合、ワークショップで初心者の方にいきなり曲にチャレンジしていただくとなると、指で勘所(ポジション)を押さえてから、一本または二本の弦を弾きます。このことが初めての方には難しく、緊張してしまいます。そこで、まず開放弦で一本だろうと三本だろうと気にせずにジャンジャン!と弾かせて、リラックスして音に対して気持ちを解放していただくことが大事だと考えています。
 昨日の公演で行ったワークショップでは、「清掻(すががき)」をやりました。体験者は一定のリズムと勘所で二本の弦を弾き、そのリズムの間に私が音を変えて弾くことで、初めて触ったのに曲を弾けた気分になります。「清掻」は、もともと江戸時代の遊女たちが弾いていたものです。昔はCDなどがなかったのでにぎやかしの音楽を自分たちで弾かなくてはなりませんでした。三味線が得意な遊女もいれば、きっと三味線を始めて間もない、または音楽が苦手な遊女もいたのではないでしょうか?そんな遊女たち、江戸の人達が編み出した「清掻」。この江戸時代からの知恵を、昨日のワークショップで拝借し、ロシアの方たちとのセッションを楽しみました。
 楽しいと思ってもらうには、演奏家も一緒に弾く事が大切だと思います。ワークショップは一期一会なので、その時楽しかったかどうかで印象が決まってしまいます。
 たった10分でも、はじめて弾いた時に「三味線って楽しい!」と感じていただける事を大切にしています。

Q. 最近は現代曲や他の楽器とのコラボレーションが増えてきていますが、現代曲はどうあるべきだと思いますか?
A. 私はいわゆる現代曲や現代邦楽がどうあるべきかあまり研究をしておりませんが、他の楽器とのコラボレーションの面白さは感じております。
 インドの方とコラボレーションをしたときに、互いの音楽文化を混ぜ合わせて自然の風景を表現する、物語のような演奏が出来ました。お互いの国の音楽や文化を尊重しあって、お互いが共鳴し合う作品作り、そういうコラボレーションが私は好きです。
 お互いの持っている音楽を提示し合う国際交流にとどまらず、互いの築きあげてきた芸術の結晶を尊重しながら、共鳴できる部分を楽しく共有していくことが大切なのではないかと思います。

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