プロの音楽家になりたいあなたに②:プラス思考の適性チェック(『若手音楽家のためのキャリア相談室2』)
箕口一美
「自分」を知ると、活動を続けていく大切なエネルギーになります。
途中でとんでもなくショックなことが起きたときには、「プラス思考生成装置」がお奨めです。
1. アウトリーチ活動支援を通して
(本稿は2009年『ストリング』誌3月号に掲載された記事の改訂版となります。)
「地域創造」という財団が毎年行っている『アウトリーチ・フォーラム』という研修+実践事業のコーディネーターとして、2009年はピアノトリオ「ZEN」(ピアノ/近藤亜樹、ヴァイオリン/松本蘭、チェロ/金子鈴太郎)というグループについていました。
この事業は、各地にある公共ホールが、そのホールでコンサートをする演奏家と協力して、ホールのある町や市の公立学校の音楽の授業に行ってもらう(アウトリーチ)という仕組みと、アウトリーチに関心があって自分もやってみたいと思っている若手演奏家のために、学校でのアウトリーチプログラムの作り方や、公共ホールの人たちとの協力の仕方などを身につける研修を行い、実際にアウトリーチを行うこと(その上、公共ホールで自分たちのリサイタルをさせてもらえる)が組み合わされています。
公共ホールにしてみると、ただ公演や行事を行うだけの「ハコ」ではなく、地域の文化振興や教育の現場に直接貢献できる事業を自分たちで実施できるようになるための現場実習になります。この事業に参加する演奏家にとってはありがたいことには、「学校へ行って、こどもたちに、じぶんたちがふだん演奏しているクラシック音楽を聴いてもらう」ための、基本的な考え方や姿勢、実践的知識を集中的に学べる機会なのです。
参加単位が室内楽に限られていて、オーディションもあるし、研修から実践まで延べでほぼ1ヶ月近く、これだけをやっていることになりますが、アウトリーチ15回、コンサート3回という場数(=実践経験)も踏める研修会。コーディネーターとして、研修前の準備段階から参加団体ひとつにかかり切りでアウトリーチプログラム作りを手伝う私にとっても、プロとして仕事を始めて数年という若手演奏家に実際出会い、彼らの音楽への思いを受け止め、キャリアのステップのサポートを経験できる貴重な現場です。
2. 「自分」を知ることの大切さ
4日間の研修と1回目のアウトリーチが終わったところで演奏家全員が輪になってディスカッションの時間を持ちました。一言ずつ、今思っていることを言ってもらう中で、とにかく人前で話をすることの苦手意識に固まっていた参加者がこう言いました、「子供たちに直接接している自分はいったい誰なのか、音楽をしている自分はどんな人間に見えるのだろうか・・・自分が何なのかを、分かっていくように感じる。」人前で話しながら演奏する経験は豊富だけれど、軽いトークになりがちだった参加者は、「自分が演奏を通して伝えたいことを、言葉にしてみて自分の中で整理すると、言葉も音楽も説得力をもって伝えることができると分かった。」
どちらも、アウトリーチ・フォーラムに参加することで一番実感してほしいと思っていたことでした。
音楽をする自分に向き合う。音楽で伝えようとする自分を、音楽以外の表現方法(言葉)を通して客観的に見る。そういう時間をキャリアの初めの頃に持つことが出来れば、その先、何にぶち当たっても、自分の立ち位置を確認する方法が見えてくるはずですから。
3. 根源的な問いを自問自答する
アンジェラ・ビーチング著『Beyond Talent』の中で、何回も読み直しては、考え込む部分があります。本の真ん中あたりにある『間奏曲・根源的な問い』。章番号のないこの部分で、アンジェラは「核心をつきます」。ちょっと観念的な問いを「音楽家はあまり考えようとしない傾向があり」、これを自らに問いかけずに放っておくと、「成功への道に進む躓きの石」となってしまうからです。
第一の問いは、「なぜあなたは音楽に関わっているのですか?」
どきっとするこの問いかけに続いて、音楽にたずさわる理由、音楽家として生きることを選んだ動機を自分自身で確認する助けになるチェック表が用意されています。紙数の都合で、ここでチェック項目を全部紹介することはできませんが、「プロの音楽家になりたいあなた」のために、大事ないくつかの動機を少し詳しく取り上げてみましょう。
□ 音楽それ自体への一途な愛情があるか。聴き手としても、演奏者としても。
□ 聴衆のために演奏し、聴衆とつながり、音楽を分かち合い、一体感を感じ、コミュニケーションをもつことが好きですか。
この2つの問いは、基本です。それが素直な愛であれ、多少屈折した愛であれ、音楽がない人生を想像できないあなたは、音楽と関わって生きていく理由が十分あります。あらゆる芸術の中で、音楽ほど、芸術創作者(=演奏者)の目の前に、その受け手がいなければ成り立たないものはありません。孤独な音楽、というのは、形容矛盾であるかもしれないけど。
もし、この2つの問いに、即座にイエスと答えられなかったら、どうして答えられないのか、でも、プロとして音楽家になりたいと思うのはなぜなのか、さらに自分に問いかけてみてください。そこに、あなたの迷いや悩みの根源が見えてくるかもしれません。
□ 音楽家という生き方、すなわち、理想主義、向上心、そして練習~リハーサル~演奏という日課に対する憧れがあるか。
□ 自己同一感(アイデンティティ)、人生の使命感を持っているか。
□ 単なる職業というより主要で本質的なものとしての、芸術コミュニティへの帰属意識があるか。
この3つの問いは少し観念的で、あなたの、音楽家としての姿勢と思想に問いかけています。問いかけの意味そのものがよく分からないかもしれません。ひとつずつ、確認していきましょう。
最初の問いは、裏返せば、音楽家として生きるには理想主義と向上心が必要なのだ、ということ。理想主義というのは、否定的な文脈で語られることが多いですが、目に見えないもの、形が定かならないものを意志的に捉えるという意味で、音楽をすることは、あるべき姿を組み立てる精神の営為と考えてみましょう。向上心とはすなわちプラス思考。どちらも、前向きの、上向きの視線と姿勢で生きていますか?という問いかけです。
練習~リハーサル~コンサートというパターンは、音楽家の仕事の基本です。生き方そのものと言っていいでしょう。本番の緊張と達成感を頂点とする準備と研鑽のパターンを繰り返す日々は、「普通の仕事」とは違う生活の仕方や時間の使い方をすることになります。そんな生き方にわくわくするものを感じますか?
「アイデンティティ」と「人生の使命感」も、日々の仕事(=音楽すること)にどんな意味があるかいつも考えていますか?という問いです。どんな仕事にも、社会の中で必要とされている限り必ず意味があり、それは雇い主に時間を売ってその対価としてお金をもらうという近代の労働観だけでは、はかれないものです。
その意味は、自分以外の人たち=他者に役に立っているという喜びに支えられています。人生の使命感は、この喜びと表裏になっていて、わたしがここにいる意味=アイデンティティを感じられる理由にもなります。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、音楽と生きることを選ぼうとしているあなたならば、音楽を他者に喜んでもらったときに感じることを分析していくことで、見えてくるはず。
芸術コミュニティへの帰属意識というと構えてしまいますが、「音楽とともに、音楽のために生きていく」という生き方の意味と意義をいつも考えていて、同じような生き方を選んだ人たちと議論や対話をしていく中で、自分がどんな「仲間」とともにこの時代を生きているかが見えてくる、という風に考えてみてはいかがでしょう?
私は演奏家ではありませんが、世界のあちこちにいる弦楽四重奏というジャンルを愛する人たちや、コンクールや音楽祭、コンサートシリーズを支えている人たちと話をしていると、言葉や国籍、文化の背景を超えて、共通の話題や課題、理解の仕方を分かち合うことができます。そんなとき、自分はこの音楽のコミュニティの一人なんだなあ、とつくづく感じるのです。それはホールのディレクターであるとか、音楽大学の関係者であるとかという立場や職業を超えた、音楽がつなげている人のネットワークです。
アンジェラの本が手元にある人は、148ページからの、ほんの10ページほどの短い「間奏曲」をじっくり読んでみてください。この部分には、最初は演奏家として音楽のキャリアを歩み始めたアンジェラだからこそ語れることが凝縮されています。『ビヨンド・タレント』が幾多ある「キャリアのノウハウ本」と一線を画すのは、この「根源的な問い」に込められたアンジェラの信念と愛情のなせる技でしょう。
先日、長年音楽大学で学生相談室のカウンセラーをしてきたNさんのお話を伺っていて、はっと思ったことがあります。「音楽大学の学生は、2歳半や3歳で楽器を始めた段階で音楽家としてのキャリアを歩み始めているのです。つまり、大学卒業時点で、すでに『この道、20年のキャリアの持ち主』だったりするのですよ。」Nさんは当たり前のことのように、さらっと言っていましたが、私の目からはウロコとウツバリがセットで落ちた思いでした。
そして改めて、音楽家として生きようとする人が、人生のどれほどの時間をその準備に費やしているかに驚いたのです。20年のキャリアをもって初めて、「プロとして生きていくかどうか」という問いを自分に向けて発することができるようになるのですから。
高知で行われているアウトリーチ・フォーラムに参加している演奏家たちも、Nさんの言葉を借りれば、本当に若くして(!)音楽家のキャリアを始め、20年近い研鑽を積んだ後「プロとして生きていく」ことを選んだ人たちです。
研修セッションの後に、いっしょに飲んでいると、彼らが現場で直面しているいろいろな出来事やエピソードを聞くことになります。飲み話で笑い飛ばせるようになっている段階で、みんなその問題を自分の方法で克服してきています。失敗や悩みの道筋を語る横顔は、それぞれ、一つの戦いを終えて成長した若きサムライの輝きを湛えていて、コーディネーターのおばさんは思わず目を細めていました。
4. マイナス思考に陥ってしまったら? → 「プラス思考生成装置」をお奨めします
弦楽器奏者K君の話。留学中、とんとん拍子に話が進んで、ある国の地方オーケストラの首席になることが決まった。ところが、突然「やはり日本人ではなく自国の人にすることにした」という電話一本で、その話はおじゃん。自分に落ち度があるわけでもなく、実力で問題があったのでもなく、ある意味自分の努力ではどうにもならない理由で仕事がなくなったことに相当なショックを受け、絶望的な気持ちに陥ってしまった。
思わず、師匠に電話して、泣き言のひとつも聞いてもらおうとしたのだけれど、報告を聞いた師匠は「人生、そんなことはよくあることだ。大丈夫、大丈夫、また何かいいことがあるさ。今度会えるのはいつかな、じゃあ、そのときに。」ぷつ。あっけらかんとした師の言葉に、見放されたというより、ああ、そうか、そんなものかもしれない・・・とむしろ吹っ切れた・・・。
彼はそのとき、師の口調に、究極のプラス思考を感じたそうです。終わったことは変えられない。変えることが出来るのは、これから起こること。前を見よう。悩んでいるときには、悩んで何もしていないから、何かした方が、新しい展開が見えてくるし。
それでも、マイナス思考に陥ってしまったら?という意地悪な問いに、他の参加者が答えてくれました。演奏しているといつも後悔ばかり。だから、音楽家って「マイナス癖のかたまり」みたいなものなんですよ。だから、そういうマイナス癖を知っている友達に、洗いざらい話してしまう。で、何言ってるの?と、ふっ飛ばしてもらおう。一番いけないのは、陰に籠もって、ひとりで「マイナス」してることですよ、ほら、こうやってみんなでわいわいすれば。真夜中過ぎても続く「プラス思考の宴」の末席に加わりながら、自分がK君の先生だったらなんて言ったかなと考えていました。
わたしの「プラス思考生成装置」は、背中に小さな翼を生やそう、です。自分を取り巻く事態の中で、二進も三進もいかなくなって自暴自棄になりそうなときは、目を閉じて、自分の背中に小さな翼が生えていく姿を想像します。そして、その翼をばたばたさせて、少しでも高いところに飛び上がって、下でじたばたしている自分も含めて、見渡そうとしてみるのです。心には「広ーい視野で、大きな文脈で、客観的に、大所高所から見てみよう。冷静に、冷静に。自分の利害やちっぽけな自尊心で考えない!」と繰り返しつぶやきながら。試しにやってみてください。わたしはこれでかなりの確率で立ち直ります。
プロとして音楽家になりたいあなたへ。
根源的な問いを自分に問いかけてみてください。そして、今何かが足りなくても、何かが出来ていなくても、その問いへの答えが、イエス、音楽といっしょに生きていこう、というものならば、そこからはプラス思考で行きましょう。足りないこと、出来ないことを前に進まない理由にはしないように。
次回は、音楽をするひとたちとその仕組みを支えるプロになりたいひとたちに、仕事の実際と求められる適性などをお話しします。