「自分のテーマを見つけるということ」 (第 2 回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)
音楽創造・研究センターでは、卒業後の活動を視野に入れた支援として、特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」という講演会シリーズを開催しております。こちらのページでは、第2回でご登壇いただいた井上郷子先生のご厚意により、その模様を講演録として掲載いたします。
これから海外公演をめざしたいという方、卒業後にフリーランスのアーティストとして活動していきたいと考えている方に、意識作りの一歩として、ぜひ参考にしていただきたいと思います。
■音楽学部特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」
音楽創造・研究センター「講演会シリーズ」第2回
2017年5月19日(金) 18:00~20:00
講師 井上 郷子 先生(ピアニスト) 井上郷子先生の外部Webページへのリンク
テーマ「自分のテーマを見つけるということ」
0. はじめに
こんにちは。ピアニストの井上郷子です。さて音大生は大学や大学院を卒業してから、どうやって音楽家としての活動を続けていけばよいのでしょうか。私も国立音楽大学で教えていますので、多くの学生を見て、その大変さを実感しています。活動を続けていくことには大変な困難を伴います。もちろんおそらく昔もこうした困難はあったことでしょう。でもそうした困難な状況のなかで、私たちの先輩たち、とても優れた方たちがそれぞれの分野で貴重な活動をずっとされてきました。ですから、私がやってきたことは、先人たちの積み重ねの上にわずかに乗っかっているにすぎません。その些細な経験ではありますが、一つでも皆さんの心に引っかかることがあれば嬉しく思います。
● 講演の流れ
「1.これまでのキャリア展開」
「2.テーマ(活動の方向性)の獲得」
「3.海外での活動」
本日はまず、これまでのキャリア展開についてお話します。その後、近藤譲さんのピアノ作品の全曲演奏や、モートン・フェルドマンの作品演奏をしてきた演奏家という、これまで評価をいただいてきた側面、つまりプロフィールに書かれている側面、これをテーマや活動の方向性とし、こうした方向性をどのように創ってきたのかということをお話します。これは広くブランドデザインと言うこともできるかもしれません。こうしたテーマや活動の方向性が見えてきたなかには、自分自身のことだけでなく、もっと広い社会との関わりも含まれます。最後に、海外での活動をどのように行ってきたかについてお話します。
1. これまでのキャリア展開
それでは、これからできるだけ順を追ってこれまでのキャリア展開についてお話していきたいと思います。私の場合は演奏活動を続けていくことによって、自分のテーマ、方向性が段々に見えてきて、それがさらに先々の活動に結びついていきました。ですが続けると言っても、ただ「続けてやってきました」だけでは、そう簡単に何も生まれないことでしょう。そのため、どういう風に、何をするのかをたえず考えながら見出していくことが大切で、日々の連続が、自分の考えや方法論に繋がっていったと思います。
じゃあどんな風にしてきたかという経緯をこれから具体的にお話します。私は大学と大学院の作曲科を出ました。ですから、もともと自分の音楽の興味はどちらかといえば、作り手の側だったのですね。作曲科では皆さんが新しい音楽をどんどん作ります。私もそちらの方を向いていたと思います。もちろん古典が嫌いとか、古典をやらないとかそういうことではありません。自分の興味の方向がということです。
1.1.「ムジカ・プラクティカ・アンサンブル」での活動
大学院を修了した当時、博士課程はまだ存在しておりませんでしたので、修士だけで大学を出ました。修士論文のテーマは、「ジョン・ケージの初期プリぺアド・ピアノ作品についての作曲論的研究」でした。大学院を出てからしばらくして、当時、近藤譲さんが音楽監督をされていた「ムジカ・プラクティカ・アンサンブル」(1980~91)で、ピアニストとして演奏活動を始めました。私が大学院の頃、つまりメンバーになる数年前に設立された室内オーケストラです。現在は存続しておりません。当時のメンバーには、お亡くなりになったフルートの西沢幸彦さん、ファゴットの大畠條亮さん、ピアノの樋口洋子さんなど、新しい音楽をやっていらした方々が入っておられました。それからずっと活躍されている、トランペットの曽我部清典さんや、打楽器の松倉利之さん、それから今「アンサンブル・ノマド」で指揮を振っていらっしゃるギターの佐藤紀雄さんもいらっしゃいました。多分私が一番年下だったと思います。こういう先輩方に囲まれて、そこがだめ、あそこがだめと言われながら、とても大切な、現場的なことをたくさん学ばせてもらいました。ここで演奏する、舞台に上げていくということを徹底して教わりました。
「ムジカ・プラクティカ・アンサンブル」は「新しい音楽の世界」と名付けたシリーズで活動し、20世紀の音楽を演奏する団体で、定期公演をしていました。実験的な音楽、不確定性、図形楽譜で書いてあるような音楽も演奏していた、当時、日本でも珍しいタイプの団体でした。解散する1991年までの数年間をここのメンバーとして活動していました。この頃は、こうしたアンサンブルの活動はわりと珍しく、専門家集団として活動していました。
1.2. 自分の道探し
20世紀というのは理念の時代だったと思います。私が20代の頃も、一人の音楽家としてどこに向かっていくのかということを色々考えました。たくさんの音楽を聞いたり、たくさんの本を読んだり、興味を持つ音楽家や、音楽以外の美術家や、演劇をやっている人たちと交流し、彼らの作品を演奏し、協働して何かを作っていく、そういうことを沢山しながら考えました。私の場合はわりと早いうちに、現代の音楽に関わっていきたいという思いが生まれていたような気がします。人生の中で20代というのはとても大切な年代です。20代でやったことが30代に、30代でやったことが40代に繋がっていきますので、そんなに緊張して過ごすことはありませんが、皆さんの年代を大切に過ごしていっていただきたいと思います。
1.3. リサイタル・シリーズの始動
「ムジカ・プラクティカ・アンサンブル」が解散した直後の1991年に、リサイタルのシリーズを始めました。このシリーズは、病気をしていた1年間を除いて、ずっと今まで続けています。この3月で26回の演奏会をしてきたことになります。毎年2月か3月に行ってきました。コンサート会場は、初めの10年位は、本郷にあったバリオホールでやっていました。そのあとは、東京オペラシティのリサイタルホールで行っています。このように時期と場所を決めたシリーズにしたことで、皆さんにイメージを持っていただけるということもあったかと思います。演奏した曲は、このリサイタル・シリーズだけでも150曲位はあるかもしれません。あと毎年作曲家に新しい曲を委嘱して、初演をしています。
最初の10年間は“SATOKO PLAYS JAPAN”というタイトルをつけて、現代日本の音楽に特化したコンサートをしていました。その理由は、この当時、つまり1990年代という20世紀の終わりに、世界の中で特定の地域であった日本で、どのような音楽が新たに書かれているのかということにとても興味があったためです。当時は、武満徹さん、松平頼則さん、佐藤慶次郎さん、鈴木博義さんという、日本の現代音楽のパイオニア的な存在だった方がまだご存命でした。そうした方々の曲を弾くときはいつも、聴いていただいたり、アドバイスをいただいたりしておりました。さらに、一柳慧さん、湯浅譲二さんなどが牽引されていた時代でした。その一方で、さまざまな若手の作曲家も出てきていました。1970年の大阪万博を体験した、一回り二回り前の世代の方たちのような異様な熱気ではありませんでしたが、それでも何か新しい音楽に向かおうとする静かなそして真剣な流れは依然としてありました。音楽大学にはあえて行かずに、プライベートで勉強して、音楽活動をしていく方針をとっていた人も結構おられました。
こうした状況の中で、現代日本のピアノ曲を集中して弾く“SATOKO PLAYS JAPAN”というコンサートをちょうど10回、つまり10年にわたってやりました。最初からこれを10年やると決めていたわけではなく、10年続けましたら見えてきたものがありましたので、結果として2000年の時点で、日本の作曲家だけを弾くシリーズは止めにしました。最後の1999~2000年には、塩見充枝子さんや近藤譲さんの音楽の特集を組み、一人の作曲家に集中したコンサートも行いました。2001年以降は、日本や海外の作品を問わず、自分の考えに沿ったプログラムで、より自由なプログラムを組んでいます。
1.4. コンサート・シリーズの始動
もう一つ私が進めてきたコンサート・シリーズに、「MUSIC DOCUMENTS」というものがあります。これはとても小さな実験的スペースである両国門天ホールという会場でやっています。以前は門前仲町に門仲天井ホールというもう少し大きな会場があり、そこの支配人からの依頼で2008年に始まったシリーズです。その支配人の方からの意向は、年3回ピアノを中心としたコンサートを企画し、演奏してほしいということでした。しかし新しい企画でソロ・リサイタルをもう3回やるというのは時間的に難しく、企画としてもつまらなくなります。それよりもできるだけ色々なことをしたいと考え、カテゴリーを4つ作りました。1つ目は、「様々なピアノ曲」と題した、ピアノのソロ・コンサートです。色々な作曲家がピアノ曲の楽譜を送ってくださるので、それらをできるだけ音にする、弾いていく、という趣旨です。
2つ目のカテゴリーは、「作曲家たち」と題したものです。1人ないし2人の作曲家に焦点を当てて、集中して演奏するというコンサートです。
それから、3つ目が「演奏家たち」です。ピアノと一緒に普段あまり演奏する機会がない楽器とのコンサートをするものです。たとえば第26回では、笙奏者の石川高さんと演奏しました。カリフォルニアのパシフィック大学教授のロバート・コバーンRobert Coburnさんが私のために書いてくださった曲と、笙の石川さんのために作ってくださった曲を演奏しました。コバーンさんもカリフォルニアからいらっしゃってくださいました。笙とピアノのための曲も書いてくださいました。あとはカプチンスキーさんの笙の曲、コバーンさんの2つのピアノソロの曲、それから藤井喬梓さん、ダリル・ゼミソンさんの笙とピアノのための曲を演奏しました。ダリル・ゼミソンさんの曲もこのコンサートのために書いていただきました。このように、ピアノと笙という普段あまり一緒に聴かないような音楽を提供するというような機会でした。
4つ目は「メディア」です。コンピューターや映像とともに行います。第18回がそうですね。「メディア 音風景と音楽in両国」とありますけれども、これは茅野で行ったコンサートを少し縮小して、門天でも行ったものです。笠原駿一さんや足立智美さんの作品は初演でした。
という風に、4つカテゴリーによるシリーズ・コンサートです。いろんな切り口からピアノをめぐるコンサートとなっています。私の夫で作曲家の伊藤祐二と2人で企画・制作しています。
リサイタル以外のシリーズの企画化は、1990年代半ばに、ルネこだいらという小平市の文化振興財団が持っているホールで、「ルネこだいら:20世紀音楽の鑑賞ガイドシリーズ」をやってくださいと言われ、全12回のシリーズを実施したことが始まりです。これはレクチャーとコンサートからなる1時間半の企画で、20世紀初頭から当時の若手の人まで、パリやウィーンなどの土地とも絡ませながらテーマを設定して行いました。たとえば「『周縁』からの響き」というテーマでは、バルトーク、シマノフスキや、ヤナーチェクを取り上げ、20世紀初頭から様式ごとにたどりました。このときは、文化振興財団による運営ホールということで、ソフトでもハードでも規制が結構ありましたが、両国門天ホールの方は支配人の方がとても協力してくださるので、色々なことができています。若い音楽家たちと一緒にやったり、外国からも結構アーティストが来てくれています。