「自分のテーマを見つけるということ」 (第 2 回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)

2.テーマ(活動の方向性)の獲得

では続いて、2の「テーマ(活動の方向性)の獲得」についてお話していきます。これまで紹介してきましたように、自分のテーマは1年や2年でできたものではありません。とても長い時間をかけて見えてきたものです。たとえば2012年にケルンの西ドイツ放送局で近藤譲さんのピアノ曲のCDレコーディングを行い、翌2013年にヨーロッパ全域で2晩にわたってラジオ放送されました。


2012年、ケルンの西ドイツ放送局での録音風景

このように放送されたり、演奏会をしたり、CDがあったりということで、多くの方が聞いてくださった結果として、日本だけでなく、ヨーロッパやアメリカでも、井上郷子は近藤譲さん、モートン・フェルドマンなどの音楽を弾くピアニストですねと認知されてきました。

まず近藤譲さんの作品の演奏についてお話しますと、今年3月にも近藤さんの曲だけを扱ったリサイタルを開催しました。近藤さんが私のために初めて作品を書いてくださったのは1991年の最初の第1回リサイタルで、それは《ピアノのための舞曲「ヨーロッパ人」》という作品でした。その後、96年、98年、2005年、2009年、2011年、2012年、2014年、2017年と、計9曲書いてくださいました。彼のピアノ曲は全部弾いていますし、直近の作品以外は、全部CDに録音しています。

モートン・フェルドマンの作品も、修士論文で書いたジョン・ケージとの関連で、学生時代から結構弾いていました。また「ムジカ・プラクティカ・アンサンブル」のときも、室内楽曲を何曲か演奏する機会がありましたので、長く弾いてきたことになります。私がとても好きな作曲家の一人です。ジョン・ケージ以降の20世紀音楽史においても大事な作曲家です。フェルドマンは、最初の頃は図形楽譜を使っていたのですが、途中から五線に戻って、晩年、亡くなる前は、曲がものすごく長くなりました。1曲でも70分くらいあったりするんです。長いピアノ曲には、《バニータ・マーカスのために For Bunita Marcus》とか《トライアディック・メモリーズ Triadic Memories》という作品があり、両作品ともリサイタル・シリーズで弾いています。《バニータ・マーカスのために》は、日本のコジマ録音で制作したCDが今、出ています。それから、意外とこの作品を弾きに来てほしいという海外からのオファーがあり、アルゼンチン、ブエノスアイレスの音楽祭や、ドイツのトリーアという所の音楽祭でも先日、この作品を弾いてきました。サントリー芸術財団から佐治敬三賞をいただいたのも、モートン・フェルドマンの曲を集めたコンサートに対してです。

このように、私の場合、日本の作曲家の作品を集中的に演奏した後に、もっと広い範囲を取り上げることに決め、それを続けるなかで自分の傾向というものがよりはっきりしてきた流れがあります。ですから、キャリア展開という意味では、テーマや専門の方向性は継続するにつれてより明確になり、結果的にブランドデザインの創出に結びついたといえます。

2.1. イメージのメリット/デメリット

さて演奏家はどんな曲でも弾けますと言えることが良いに決まっています。反対に、目指す音楽が明確なアーティストというイメージがある場合には、実は、仕事を依頼されるときに幾分、不利に働くことがあります。この人はこういうものは弾かないかもね、とスルーされてしまう場合があるということです。いわば先入見を持たれるということです。オールマイティになんでもする人の方がつぶしは効くに決まっています。

一方、こういう音楽を追究したいという自覚が持てている人は、そのことをむしろプラスにして、オールマイティですという人とは違う、音楽活動を進めていくことができるでしょう。ですから、一般的にこちらの方が良いと思われている方向に自分は属さないというタイプの方は、(そういう人は結構多いと思いますが、)自分の方向性をむしろプラスに考えていくと良いと思います。皆が皆、同じことをする必要はありません。

大切なのは、自分がどういった演奏家、作曲家、音楽家かという自覚をすることだと思います。よくポピュラー音楽に例えて学生たちに説明するのですが、AKB48みたいに、与えられたプロジェクトを完璧にやる人たちもいれば、同じように売れているけども、プリンスみたいに、表現者として自分の独自路線を一生懸命模索してやっている人もいます。何をやろうと、どういう演奏会になろうと、いろんなやり方があって良いのです。それは各人が自分で決めればいいことであって、たとえば教師の側からこちらが良いとか劣っているとか言うことではないと思います。既定の価値観の問題でもないと思います。

ただ自覚を持つということ、これこそが大切です。そのためにはたくさん迷ったり、たくさん不安なこともあります。しかし進めるなかで適宜、方向修正し、考え直すきっかけを持つのも、やはり自覚あってこそだと思います。やっていくうちに段々、認識できていけばよいでしょう。

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2.2. プログラミングの難しさ

皆さん、リサイタルを行ったことはありますか。プログラミングはいかがでしたか。プログラミングは本当に大変ですよね。とても難しい一方で、楽しくもあります。私の先生は、プログラムを組んでいる時が一番楽しいと言っていました。練習になると大変だからって(笑)。

リサイタルを続けていきますと、ある種の傾向がやはり見えてきます。このシチュエーションでやったときにはこれはダメだったとか、これは良かったとか。これはやっぱり自分に合わないとか、面白くなかったとか、意外と良かったとか。とにかく回数・経験を重ねると、いろんなことが分かってきます。

私の場合、専門とする現代音楽を一言でいうと、いわば「生きている音楽家がやること」ですので、めちゃくちゃなところもあります。音楽学的に分析して、これは素晴らしくよくできているとわかっても、実際に演奏してみるとなにかピンと来なかったり、みんなが良いと言っていても、よく分からなかったり、自分の体質に合わないとか、色々あります。段々とそういうことが分かってきます。そして、大切なのはこうした直観に正直になることです。その方が、後で幸せになると思います。そうやって続けていくと、自分でこれはいいなとか、これ弾いてみたいなという曲が、分かってきます。

私の信条は、徹底しないと何も生まれない、です。近藤譲さんにしても、ジョン・ケージ、モートン・フェルドマンにしても、彼らの音楽は徹底していて、ブレていません。私はそういう徹底したことをやってきた音楽家にとても惹かれ、彼らの作品を演奏してみたいと思いました。若い頃から何十年も経っていますけれども、この傾向は変わっていません。もちろん世界にはほかにもユニークな作曲家が沢山いらっしゃって、沢山面白い音楽があります。短い人生でなかなか全部は弾けないですが、そういう人、そういう音楽と出会えると、とても幸せな気持ちになります。

2.3. CD制作の大変さ

ここでCDへの録音活動についてもお話しておきましょう。私がこれまで出してきたCDの数枚は、スイスの「HatHut Records」という、現代音楽とジャズを専門とするCD会社から出たものです。「HatHut Records」というCDレーベルは社長が変わっていらして、気に入ったものしか出さないという方です。たとえば1996年に『JAPAN PIANO』という日本の作曲家の作品だけを集めたCD、98年に近藤譲さんの曲のみを収録した『Jo Kondo Works for Piano』や、リュック・フェラーリのピアノ曲とパーカッションのための曲を録音した『Luc Ferrari Piano & Percussion Works』を出しています。

先ほどお話しましたとおり、最初の10年はリサイタルで“SATOKO PLAYS JAPAN”というシリーズをやっていました。『JAPAN PIANO』というCDは、そのリサイタルで弾いた曲、新たに書いてくださった曲を集めたCDです。ですから続けていたリサイタルの数年分が、最終的にCDで結実した形となります。収録した曲は、武満徹さん、松平頼則さんのほか、私の作曲の先生である甲斐説宗さん、近藤譲さん、平石博一さん、藤枝守さん、夫の伊藤祐二というような、日本の音楽という同じ括りでは普段あまり取り上げられないタイプの音楽を取り上げました。

「HatHut Records」の録音はもちろんヨーロッパで行われます。ほとんどドイツでやりました。フェラーリのときは、パーカッションを演奏してくださった松倉利之さんと私は日本から行き、リュック・フェラーリはパリから来てくれて、フランクフルトで録音するという、言語が無茶苦茶になるレコーディングとなりました。それぞれ考え方が本当に異なるので、一致する点を探すのがとても大変でした。このときはうまく擦り合わせていきましょうということがあまりありませんでした。最初からみんなが全然違うことを言い出すので、どこを落としどころにして進めていくのかが結構大変でした。

大変だった一例を挙げますと、『JAPAN PIANO』というCDを作ったときに、最初に松平頼則さんの曲を録音しました。松平頼則さんの音楽は、雅楽の伝統にも根差しています。彼はお公家さん、松平家ですから、大変気品のある方です。雅楽のある部分とヨーロッパの作曲技法、これらをどのように組み合せるかということを思考した方です。若い頃の作品には、ラヴェルやフォーレのような響きに、呂旋法や律旋法がくっついています。というか呂旋法や律旋法を、ラヴェルやフォーレのような書式に変えています。後になってきますと、12音技法と雅楽の要素を結び付けるという風に、本当に亡くなるまで、この方向を突き詰めた方でした。94歳で亡くなりましたけれど、その2年ぐらい前に、「郷子さん、僕はようやく次にやることが分かってきたような気がする」と仰っており、まさに生涯思考し続けた方でした。

譜面の見た目はヨーロッパのいわゆる総音列の音楽です。皆さん作曲の方はお分かりだと思いますけれど、他科の方にはよくわからない現代音楽の譜面になっているのですね。ですから放送局のレコーディングのトーンマイスター、レコーディングをする担当者が、ヨーロッパの前衛音楽を録るようなマイク・セッティングをしてしまいました。その形で一度テスト録音したわけです。それをモニター室で聞きますと、かっこよすぎてどうしようもない。もうパ、パ、パ、パン!とかね。頼則さんの音楽はそうじゃなくて、もっとこうまったりと、雅楽の要素がないとだめなのです。

私がこのマイク・セッティングは全然違うと言ったら、「この譜面はそうじゃないか、私はそう習った」と言い返されるわけです。大学で単位も取った専門家であるマイスターは偉いのですね。エンジニアリングの専門家として、全然譲りません。「でもこれは違うから」と応酬するのですが、「絶対にこれはこうでいい、僕はいつもこれでやってきて、間違ったことはない」と返されます。そうではなく、彼の音楽は、雅楽の音楽というのが芯にあって、その周りに西洋の音楽というのが取り囲んでいるようなものなので、この部分の音響だけを取られても困る。この真ん中の部分を大事にしながら、マイクの音作りをしてほしいと懇願しました。なんだそれはと言うから、リンゴの芯のようなものだとかこちらも訳のわからないことを言い返しましたけれど、そうした議論を何時間か経て、ようやくマイクのセッティングが決まり、そして録り始めました。

このように、どこに接点を見つけてやっていくかという仕事の連続でした。近藤さんの曲を録ったときも同じようなことがありました。《クリック・クラック》というハーモニクスの曲があります。鍵盤のある部分を無音で左手で押さえておいて、右手で鍵盤を弾きます。そうすると、ハーモニクスがバーッと出てくるのですが、スタインウェイのフルコンだとうまくいかず、小さいピアノの方がうまくいくんですね。そこで日本で渡航前に近藤さんと打ち合わせをした際、これはアップライトで録る方が圧倒的に面白いから、ぜひアップライトで録りましょうということになりました。でも、待てよと。絶対にこれはひと騒動もち上がるに違いないと予感したので、現地に着いて4日間のレコーディングのスケジュールを決めた際、ほかの楽曲をがんばって最初の3日で済ませ、最後の1日を《クリック・クラック》に充てると放送局に伝えました。

最初の3日はスムースに録り終えて、明日は《クリック・クラック》ですねという話になりました。私がアップライト・ピアノを用意しておいてくださいと言ったところ、みんな驚いてしまい、何それって言うから、この曲はアップライトだととても良いのでと答えました。近藤さんもいらしたので、2人で言ったのですが、やはりトーンマイスターが絶対に譲らないんですね。「アップライトはピアノじゃない。あんなおもちゃで録るのなら、僕のプライドが許さない」と、本当にすごい剣幕で怒り出したんです。前の日にですよ。とにかく出しておいてくださいと係の人に言って、その日は帰って、次の朝行ったら、やっぱりまだものすごい怒っていました。「あなたはなんでこんな仕事をさせんだ」とまで言うわけです。そう言われてもね。ちょうど放送局にフランクフルト在住の作曲家も遊びに来ていて、ベルクの曲には、アップライトで弾くところがあるぞとか色々加勢してくれたのですが、全然だめで、絶対譲らないのです。本当に何時間も絶対譲らない。「こんなおもちゃで録ったら、僕のプライドが許さない、こんなおもちゃはダメだ。」そのくり返しなんです。

でも最後は、時間が無くなってきたから私の考えに従ってくださいと言って、押し切りました。まずアップライトで録って、それからなんとかしましょうと。いったんトーンマイスターが折れたんですね。無事に録音は終わり、私は日本に帰りました。その後、トーンマイスターが編集を終え、編集テープを送ってきたら、なんと、ものすごく加工してある。色々と加工、電気的な処理まで施してありました。もう聴いていて頭を抱え込みました。これは音楽になっていない、と。彼はプライドが許さないから、アプライトの音をCD化したくない。だから我々が日本に帰ってから、良かれとあちらで色々やったわけです。当時はまだメールではなくFAXだったと思います。その後も当然、大変なやり取りがありました。が、最終的には満足のいく内容にまとめ直していただきました。

海外で活動をする、あるいは仕事をするということは、こういうことが日々、生じるということです。ですから交渉の際にどこで強く出て、引っ込めて、どこで折衝するかといったことを考えながらやります。そして何があっても、終わったらああよかったなとすぐに水に流します。

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2.4. フリーランス・アーティストという生業を支えるソフト(内容)/ハード(環境)条件

さきほどキャリア展開のところでお話したとおり、私はリサイタル・シリーズの年1回と、「MUSIC DOCUMENTS」の年3回、自分でプロデュースする演奏会をやっています。またその他の演奏の仕事も受けてやっています。事務所には所属していませんので、これらをフリーランスでやっています。始めた頃には、やはり事務所に所属した方が良いのかなと考えたこともありました。ですが、私のようなことをやっておりますと、事務所の方からのダメ出しが強くなるということも考えられました。事務所としてはお金が入り、経営が回っていかないとどうしようもないので、やはり売れるものしかやらなくなってきます。ですので、結局は所属せず、自分でやることにしました。私が事務所に所属しなかったのは、私の性格がかなり天の邪鬼で反骨精神みたいなものがあり、既存のものにすっぽり入るということに抵抗を感じたからだと思います。あと、演奏家よりも作曲家の方がこだわりが強いので、先ほどお話しましたように、私が身を置いた環境も影響したと思います。つまり自分でやらなければ実現できないことが多い現代作曲家たちの影響を受けたということです。これは間違いないと思います。

なぜフリーランス・アーティストとしての活動が可能だったのかということが、テーマの獲得にかかわるもう1つの面になると思います。これまで話してきた信念や方向性にかかわる自覚というのはわりと内容面、ソフトの面で、これから話すことは環境面、ハードの面ということです。ソフトとハードというのは全く分かれるわけではなく、密接な関係があります。まずはソフト面、つまり自分の問題として、信念を持って続けていくのが大前提です。信念がないと、こうした演奏活動は続けられません。ですが現実問題として、フリーランスで完全に一人でやっていけるのかというと、やるべきことがあまりにも多いことに驚かれることでしょう。

皆さんこれまでに演奏会を開かれたことがあると思いますが、どんなことが必要でしたか? まずはホールを取るところからです。場合によっては抽選があります。それから、チラシやプログラムを作り、それで宣伝します。お客様が来ないと困りますものね。それから、招待状を作って発送する作業もあります。チケットを売るためのマネジメントの販売作業もあります。当日には舞台監督も必要ですし、受付スタッフも要ります。その他、楽器手配、搬送車の手配、ピアノですと調律師の手配。ときには助成金が必要となります。そのためには書類を書かなくてはなりません。本当に一つのイベントに沢山の作業項目が関わってきます。一つのイベントを支えているものが本当に沢山あるということです。そしてこれらには大変な時間が必要となります。こういうことをしていて練習ができなくなるという状況では、何のためにコンサートをやっているのか分からなくなります。とにかく練習したいですよね。そのためにこうしたことに向かない人は音楽事務所に頼むわけですね。当然の心理だと思います。

2.5. サポーターの有難い存在

でもこうやって自分がフリーランス・アーティストとして続けてこられたのは、私を取り巻く環境にとても恵まれていたということでもあります。私の周りには、とても素晴らしい人々が多いのです。彼らがいつも私を助けてくれました。彼らのサポートなしには続けてこられなかったと、いつも感謝ばかりしています。

まず一番助けてくれたのは、私の夫です。ソフトやハードの両面でとても支えてくれています。それからプロのデザイナーで、チラシやプログラムを作ってくれている人がいます。リサイタル・シリーズのチラシもプログラムも第1回から26回までずっと作ってくれています。もちろん仕事として、私はちゃんとお金を払っています。でもビジネスとしてやっているというよりは、積極的に参加し、協力してくれているという感じなのです。それからチラシの挟み込みをしてくれている人がいます。またドカンと大学やいろいろなところに置いてくれる人、そういう人とも26年間ずっと一緒です。それから舞台監督も一緒です。さらに招待状を郵送してくださったり、手伝ったりしてくれる人もいて、私の昔のお弟子さんなのですけれど、ここ10年くらい一緒です。それから受付をやってくださる方もずっと一緒です。

私は神戸出身なのですが、神戸のジーベックホールところで演奏会をしたご縁から、そこの職員だった人が途中から、受付をやってあげると言ってくださって、神戸から来てやってくださっています。大概、東京の仕事を見つけて、交通費が生じないようにして来てくれます。こんな風に、いつも積極的に加わってくださる、ゆるいチームのような形で、コンサート・シリーズの方は進めています。

このように、人の力はとても有難く、とても大きなものだと思います。どうぞ人を大切にして、人の力を信じてやっていってください。一人ではとてもできないように思われることでも、何人かの専門性が繋がればできることがあります。どうぞそういうご縁を大切にしていってください。

現在では、大学の授業や民間の公開講座などで、マネジメントに関することを学べる機会が増えてきました。プロデュースに関しても然りですね。私たち世代が若かった頃は、こうした支援は全くありませんでした。「門前の小僧習わぬ経を読む」と言いますけど、やっている人の活動を見様見真似でやり、時に恐る恐る企業秘密を聞いてみたり、失敗したり、試行錯誤しながらやってきました。そういう流れが当たり前だったのです。今の学生さんはわりと、手取り足取り大学で教えてもらっています。そういう状況は本当にうらやましいと思いますけど、大切なのは、システムだけあっても、人がいなければ何もできないということです。またシステムに縛られて、柔軟に対応できないのもつまらないと思います。人の力を信じて、あなたに関わる人を大切にして、活動を展開していってください。

2.6. 個人プロデュースについて

最近は、若い音楽家が自分たちでプロデュースしていくということもよく見聞きします。この間もある若いピアニストの人がいて、その人を数人がサポートしている場に偶然居合わせました。彼女たちは、ケータリング付きのコンサート、食事つきのコンサートをやろうと盛り上がっていました。規制の枠にはまらないで、若い人たちがこうした新しい方向で考えてやっていくのは、とても素敵なことだと思います。

現実には食べていけるかどうかという大問題がありますが、それでも会社という組織になっている事務所に縛られないような音楽活動をやっていく方法もあると思います。現に、事務所に所属していた人が独立して自分でやりたいことをやっていくというアーティストも増えていますので、若い人はもっと柔軟に考えてゆけばいいと思います。

昨今では、誰もがある程度コンピューターを使えるようになりました。簡単に写真を撮ったり、ビデオを録画したり、チラシは印刷屋さんになど、以前はプロの仕事だったものが、そうじゃない人でもできるようになりました。これからもこの傾向は強くなるように思います。もちろんプロフェッショナルな仕事に比べれば、質は落ちます。また世の中全体が素人の仕事で成り立ってしまうことも危惧します。結局、回り回って行きつく先は、プロフェッショナルである私たちの仕事がなくなるということに繋がり兼ねません。平田オリザさんが「芸術の敵は政治じゃない、市場経済だ」と言っていますが、そういうことなんだと思います。

残念なことに、全部お金に還元して考えられてしまいます。ですから音楽家はどうしたらよいのかという問題をつきつけられています。少なくとも音楽家が世の中の流れに足をすくわれてしまうと、同様に市場経済に商人のように関わることになってしまいます。ですから自分がどんな音楽家であるか自覚を持って、信念を持って、自分の足でちゃんと歩んでいくということを、早くから認識してやっていっていただきたいと思います。

私は音楽の力というのをすごく信じています。音楽の存在、音楽家の存在というのは、周りの人たちの意識を変えていくものでもあると思います。私の場合、今は、「nothing but music」という非営利の組織を作って、演奏活動をそこに集約して行っています。活動を続けてきたなかで、個人プロデュースは実に身軽でやりやすいということを痛感した一方、組織の方が機動しやすい場合もあるという両面があることが分かりました。そこでこうした組織を作りました。個人的な小さな組織ではありますが、ちゃんと約款もあり、監査役もおります。

ウェブページも自分たちで作っています。私の場合は、海外からのアクセスに役立つように作っておりますので、英語のページを先に作っています。ホームページを持っていない人も結構いますが、海外活動を視野に入れている人は特にあった方がいいと思います。(井上郷子先生 ホームページ)

 

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