音楽家の社会貢献と社会参画③(『若手音楽家のためのキャリア相談室25』)

箕口一美

好きなことを仕事にするということ

 

1. 好きなことを仕事にするのは幸せ?

(本稿は2012年『ストリング』誌2月号に掲載された記事の改訂版となります。)

2012年の訪れを告げる鐘を聞いて、「ああ、やっと2011年が終わった・・・」と心からほっとしました。本当に最後まで、まだ何か起こるかも知れないと思って、気が抜けなかった一年でした。

ついさっき、父と同い年だったバレーボールの松平康隆氏が31日に逝去していたことを知って、大いなる喪失の年の締め括りがこの人だったか、と改めて深い感慨を覚えました。この歳になると知己の訃報に接することが自然と多くなるもの。とはいえ、昨年は人生の選択肢を与えてくれた人、人格形成に大きく影響を与えた人が次々亡くなるという経験をしました。この出会いがなかったら、この人がいなかったら、自分は今のようではなかったろう・・・もうこの人たちから直接何も受け取ることができなくなったということは、「継承の責任」がこの手に渡されたのだ・・・具体的に何をどのように引き継がなければならないのか、頭の中は真っ白ですが、その責任だけはヒリヒリ(ひしひし、ではなくて)感じる、一年の始まりです。

そんな年の初めに、みなさんといっしょに考えたいフレーズは、これです。

好きなことをやっていて、お金をもらうなんて、幸せだ

実はこれ、昨年4月にNHK-BSの番組「たけし アート☆ビート」が始まるときに流れた番組宣伝の最後で、ビートたけしさん自身が口走った一言です。うわー、でたぁ。芸術に関わって生計を立てている人が一度は言われたことがある、このフレーズ。羨望に、多少のやっかみのスパイスがかかった調子で、初対面の人に言われたりすると、微笑みを心の中で引きつらせてしまうこともあります。

こういうことを有名人に言われると困っちゃうよぉ、なのですが、この際、この「幸せ」の意味をじっくり考えてみましょう。

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2. 「好きなこと」

「好き」は、とても重要なモチベーションです。好きだから、一生懸命になれる。夢中になれる。時間を忘れて、没頭できるというのは、時間をかけて身につけなければならないことに取り組む場合には、何よりのことなのです。それがスキルに結びつけば、その人の「得意」になります。ちょっと昔の言い方をすれば、「人より秀でる」ことができるのです。

最近の風潮では、「人に秀でる」のは余り良いことではないように思われていますが、「秀でた人」がいない社会は衰えていきます。好きで夢中になるエネルギーが、それでなくてもゲームやスマホに持って行かれている今の日本、ちょっと心配です。

「好きなこと」というのは、一見とても個人的なことに思えるし、ネガティヴな意味に使われることもあります。けれど、好きなことを突き詰めていくことで、ひとつのことを他の人がするよりうまく出来るようになり、結果として、その人が社会で果たせる役割がはっきり見えてくるのです。社会の中でその人が「担当」出来ることが明確になるのです。

もちろん、突き詰めていく過程では、苦しいこと、大変なことも次々出てくる。でも続けられるのは、「好きだから」。「好きだ」は、その人を動かす一番強い動機なのです。なにより、人のせいに出来ない。だって「好きでやっているのだもの。」

突き詰めていく過程で自分の役割が見えてきます。「好きでやっていたこと」が他の人の役に立つ、喜んで貰える。好きなことが「社会化」していく最初の手応えです。それが、社会人としての自覚になり、自分が果たすべき役割の自覚=ミッション感覚が生まれることに繋がります。

ただし、ひとつ勘違いして欲しくないのは、「好きなこと」と「楽なこと」は違うということ。楽に出来ることは、突き詰めることができません。今日出来ないことが明日出来るようになる(明後日かも知れないし、1年後かもしれないけれど)、そのためにあれこれ努力したり、頑張ったりすること、それが突き詰めることです。

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3. 「好きなこと」と「お金をもらうこと」

好きなことをきっちり突き詰めて、自分のスキルとして、人の役に立つものにすることが出来れば、その対価として「お金をもらう」ことに繋がるのは、ある意味当然です。お金をもらう、ということは、あなたの努力に対してお金が払われているのではありません。あなたが努力の結果として提供できたもの、磨いてきたスキルを駆使して披露したことに対する他人の評価そのものが、お金という形で提示されたと考えましょう。

他の人があなたのつくり出したものをどう見ているか、お金という尺度で示している-それが「お金」の意味なのです。

やはり昨年亡くなったチェロのバーナード・グリーンハウスさんに、お説教されたことがあります。フィー(演奏料)というのは、その人が蓄積してきたもの、経験、技倆、人生そのものへの尊敬なのだよ、と。

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4. 「幸せだ」に至る道:あなたの「覚醒の瞬間」は?

この連載でも何回も書いてきましたが、音楽だけで生活していけるようになるまでに、こどもの頃からの練習に始まって、好きでなければやっていられない苦しいことや辛いことも経験してきていることでしょう。音楽だけでは喰っていけない状況に直面している人もいるでしょう。音楽で生計をたてることを諦めかけている人もいるかも知れません。もしそうなら、なおのこと「好きなこと」について、自分がこれまで音楽とどんな風に向き合ってきたかも含めて、もう一度突き詰めて取り組んで見てはどうでしょう。

特に、音楽大学や大学院を終えて、楽器を操るスキルはもう十分に身について、弾くという行為だけならば、「楽に」なっているくらいの年頃の人には、今自分が出来ないことは何なのか、明日出来るようになるべきことは何なのかを突き詰めて欲しいと思うのです。

楽器を操る物理的なスキルをクリアしただけでは、他の人には何も届かない。それはスタートラインに過ぎません。20数年の人生のほとんどを費やしてきたことで、やっとスタートラインに立てる。音楽という好きなことで生きていくというのは、そういうことだということを知るのが二十代です。

音楽を他の人に伝え、届け、相手から感動という共感を返してもらえるように、人間の喜怒哀楽を繊細に感じられる感性を豊かにするためのインプットを怠らず、音楽そのものについて、楽譜の行間に込められてきた作曲家自身の思いと、その作品を弾き継いできた過去の音楽家たちの情熱を読むための知識と見識を蓄積し、演奏することに結びつける。これは演奏を仕事にしていないけれど、音楽に関わって生きている人すべてに言えることです。知らないこと、すべきことは、まだまだ山のようにあります。

楽器を操り、楽譜を音にするスキルにだけ払われているお金なのか、あなたの音楽に払われているお金なのか、考えながら仕事をしましょう。前者ならば、あなたの代わりはいくらでもいます。後者はあなたにしか出来ないことへの評価です。お金という形ではなく、支払われることもあります。感謝の言葉だったり、涙だったり。自分自身の蓄積に繋がることだったり、人生の選択肢だったり。

ひとつだけ覚えておいてほしいことは、好きなことが仕事になり、好きだということが仕事の原動力になるような生き方は、なかなか出来ることではありません。驚くかもしれませんが、かなり多くの人たちが好きなことではない仕事をして生きているのです。仕事とは、お金を得る手段に過ぎず、好きなことは仕事ではない。「音楽のお仕事なんて、好きなことで仕事ができて、幸せですね」というフレーズに羨望の響きが聞こえるのは、当然なのです。

そう言われたとき、謙遜の気持ちを持つのはよいことだと思いますが、卑下する必要はありません。むしろ、人が幸せですねと言ってくれるような仕事をしているということに、誇りを持ち、同時に責任を感じて欲しいのです。そんなにいい仕事をしているのだから、もっといい仕事をするために、自分は何をしなければいけないのだろうか、そんな風に考えて欲しいのです。ただ、好きだからだけでやってきた、あるいは好きか嫌いか以前に、音楽することが普通のことだからやってきた、というレベルから離陸して欲しい。

それを「覚醒の瞬間」と言います。はっと目が覚めるように、今まで漫然とやって来たことの意味が突然変わるのです。

例えば、英語が好きで、一生懸命文法を勉強したり、単語を覚えたりして、テストの点がいいと満足していたのが、ある日突然「英語は道具に過ぎない」と考え至るのです。単語や文法の教科書に書いてあることを丸暗記しているだけでは、道具として使いこなせるようにならないことに気付く。そうなると、いきなりハードルが高くなります。毎週の単語テストに満点をとることではなく、英語で文学を読む、日本語にせず意味が分かる、英語で文章を書く、話をする・・・。高くなった目標に向け、今何が出来るか、もう学校の勉強だけでは足りないのは明かで、自分で方法を考えなければならない。うわぁ、大変だ。

音楽とあなたの関係にも、そんな「覚醒の瞬間」がある(あった)はず。すぐに全てが見えるわけではありません。「これまでとは違う何か」があることに、文字通りはっと気がつく。例えば、「音楽は聴く人がいて、初めて音楽だ」とか・・・。

他の人に、自分の音楽を伝えるのは、ほんとうに大変なことです。自分が納得する程度では、人に伝わっていないと思って間違いないでしょう。

以前登場したアタッカ・クァルテットが、何が一番大変だと言って、自分たちが音楽で伝えようとしていることに聴き手の関心と集中力を惹きつけて、持続させることだ、とぼやいていました。

カルミナ・クァルテットのチェロ奏者であるシュテファン・ゲルナーが、マスタークラスで繰り返し言っていたのは、「主題であれ、経過部であれ、それが曲全体の中でどんな意味を持つのか、聞いている側が理解する時間を与えなければならない。そんなにさらさらと弾いていたら、聴き手はそれが大事なフレーズであることがわからないだろう。『間』を取って、それが大事だということを分かってもらう時間を作れ」。駆け出しもベテランも、同じこと――伝えることに努力し続けているのです。

音楽家としての社会貢献の「はじめの一歩」は、この「覚醒」に始まるのではないでしょうか。音楽家であることは、伝える人になること。伝える人が一番大切にしているのは、音楽を受け取ってくれる、あなた以外の「他の人」であり、社会はそんな他の人たちの集合体です。

社会貢献は、特別に何かをすることではありません。音楽家として生きるのは、一生かけて好きなことで、社会の中で自分の役割を果たすこと。自分の役割に「覚醒」して、そのハードルの高さにどぎまぎしながら、今すべきことを一生懸命やっていきましょう。好きなことをやって、お金をもらえて(=仕事にできて)、幸せだ、と思えるように。

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