あなたを知ってもらうには…プロの音楽家としてのPR術③(『若手音楽家のためのキャリア相談室22』)
箕口一美
あなたのファンをつくる(主催者&聞き手編)
1. アタッカ・クァルテット
(本稿は2011年『ストリング』誌7月号に掲載された記事の改訂版となります。)
つくづく私はいい仕事をさせてもらっている、と思います。音楽家という人たちとの仕事の最後には、必ず「演奏」という時間があるからです。リハーサル中のホールに座り、楽器同士の音量のバランス、響きの多寡、時には音楽的表現表出の加減などを気にかけながら聞く行為は仕事ですが、音楽は紛れもなくライブの本物。気がついていなかった微細な心のひび割れに、音楽がすっと沁み入るのを感じて、改めて自分の疲労の深さを自覚するとともに、音楽の癒しの御手に感謝しました。ありがとう、音楽をする人たち。
2011年5月のサントリーホール室内楽アカデミーは、「第7回大阪国際室内楽コンクール第1部門(弦楽四重奏)」の優勝団体、アタッカ・クァルテットをスタディ・ワークショップのゲストに迎えました。
室内楽アカデミーを手伝ってくれているK君が、ニューヨーク拠点で活動するこのグループが大阪に出場すること、終わった後にサントリーホールで自主リサイタルをすることを聞きつけて、「アカデミー・フェローと同世代がアメリカでどうキャリアを作っているか、そんな話を聞いてみるのがいいんじゃないか」と提案したのが始まりでした。もちろん、お願いしたときには、優勝団体になるとは知るよしもなし。結果として、「国際大会で優勝するようなグループって、どんな若者たち?」という座談会になりました。
アタッカ・クァルテットは前々回のバンフ国際コンクールで聞いています。残念ながら決勝には進めませんでした。作り込むタイプの演奏が印象に残り、第2ヴァイオリンの徳永慶子さんとは名刺を交換していました。
その後、ニュー・ジュリアード・アンサンブルのメンバーとして来日したヴィオラのルーク・フレミングが加わった、ということを、ルーク自身のfacebookで知ることになります。今年1月のチェンバーミュージック・アメリカのカンファレンスでは、自主「ショウケース」を開催するというチラシがおかれていました。私は別のミーティングがあったので、相方に頼んで聞きにいってもらいました。
もし、わたしが「若手四重奏団ノート」をつけていたとしたら、アタッカQについて自分が持っていた印象と情報はその程度です。でも、遙か東京の一主催者にこれだけの印象を残すために、彼らはどんな努力をしていたでしょうか?
プロの音楽家としてのPR術――主催者&聞き手編は、「アタッカ・クァルテット」がサントリーホール室内楽アカデミーのゲスト・スピーカーになるまでを例にとりながら、進めてみます。実際、彼らが座談会で話してくれた「アンサンブル&音楽づくり」以外のノウハウは、実践中なだけに、説得力もあり、貴重なものでした。
2. 主催者・聞き手に自分たちの印象を残すノウハウ
▶ コンクールに出るのは・・・コネクション開拓
今でも良く覚えているのは、バンフで決勝進出団体発表の後のロビーでの徳永さんとの会話です。開口一番、彼女は「ああ、お話したいと思っていたのです。声をかけてくださってありがとう」と言いました。日本から来ている主催者であることを誰かから聞いて、ちゃんとチェックしていたのです。すぐに名刺を出し、今ウェブサイトを作っているところなので、これからのスケジュールはぜひそちらを見て欲しい、と言い添えました。アタッカQの周りには、すでに多くのシンパが集まっていて、わざわざバンフまで応援にきた人もいる、とのこと。短い会話の中で、今伝えておきたいことを適切に語るのには、感心したものでした。
コンクールは、応募までのレパートリーの準備、参加が決まってからの課題曲の仕上げ方などだけでも、計画とタイム・マネジメントにかなりの努力が要求されます。実際、アタッカQの練習時間は、1日6、7時間。週5日は最低アンサンブルだけでそれだけの時間を使っています。
コンクール準備が音楽的な訓練として効果が大きいのは当然ですが、それ以上にコンクールに出場した結果として得られるものとして、彼らは以下のようなことを挙げました。補足しながら、記していきます。
-コンクールの審査員に知ってもらえる。優勝できなくても、良い線まで行っていれば、覚えていてくれる。 -コンクールは多くの場合取材対象である。何らかの形で報道される。優勝すればもちろん自分たちの名前が出る記事になる。 -コンクールを聞きにきてくれる人たちに知られる。いわゆる音楽関係者、批評家やマネージャーなどは、2次予選や決勝あたりから見に来るので、そこまでは勝ち残る意気込みが必要。バンフでは、レジデンスと呼ばれる聴衆の中にかなりの地方主催者がいるので、将来の仕事につながる可能性がある。
アタッカQに限らず、コンクールの現場で参加者が積極的に聞き手や関係者とおぼしき人と話す姿は、最近は当たり前のようになってきました。
審査員に知ってもらえるようになるためには、例え決勝に進めなくても、審査員ひとりひとりに講評を求めに行くというのも大切です。コンクールによっては、ちゃんとそういう時間を作ってくれる場合もありますが、そうでなくても、何が自分たちに足りなかったかを率直に聞かせてもらいましょう。ひょっとすると、自分のところに勉強に来い、と言ってもらえるかも・・・。
いずれにせよ、コンクールは若いうちだけ許される、広報ツールだ、と考えることもできます。ちなみに、大阪、レッジョ・エミリア、メルボルンと続く今年のコンクール・グランドスラムに、アタッカQは大阪、メルボルンの2戦出場です。どうして全部応募しなかったの、という問いに、「3つ出て全部落とすより、2つ獲る方がいい!」その意欲と自信に脱帽。 ▶ すべての仕事は、次の仕事のきっかけ
「コンサートは、拍手が止んで、客席が明るくなってオシマイ」ではありません。終わった後、楽屋裏やレセプションで、自分たちを呼んでくれた人たちや今日聞いてくれた人たちに、ちゃんと挨拶と感謝の言葉が言えること。気に入ったという言葉を聞いたら、また来て欲しいという言葉があったら、それをちゃんと具体的なこと、次のチャンスはいつ頃あるのか、お互いどの時期だったらいいか、などの会話まで進めること。もちろん、後日、なるべくすぐにお礼のメールとともに、次回につながるやりとりを始めること。
若いうちは特に、相手に好印象を与える、ということが、次の仕事につながる道。どんなにステージ上でヘマをやっても、とんでもない間違いをしでかしても、お辞儀の時はにこやかに、袖に戻っても、そこに主催者の誰かがいたら、叫ばない、取り乱さない! 自分の演奏に吐き気がするほど落ち込んでいても、「すばらしい演奏でしたね!」と言うお客様には、「ありがとうございました。気に入っていただけてうれしいです。」とにっこりしましょう。このあたりは、アンジェラの本にも書いてあったことですね。
もうひとつ、徳永さんのこの言葉は書いておきましょう。「演奏のときはドレスを着ていても、着替えたらジーンズとTシャツというのは、だめです。知らされていないけれど、レセプションがあるかも知れないし。音楽家にとって、演奏会の日は家を出て、帰ってくるまでが本番です。本番に出かける服装は、よそ行きであるべきです。」 ▶ 「投資」すること、「開発」すること、プランを持つこと――ビジネス感覚の重要性
チェンバーミュージック・アメリカのカンファレンスには、必ずショウケース(試演会)が組み込まれています。ただ、数と時間が限られていること、会場が必ずしも音響的に恵まれていないこともあって、最近はこの時期にあわせて、自主的にニューヨークでリサイタルを開いたり、1時間くらいのショウケースを自分で主宰したりする若い団体が増えてきました。
たいていの場合、自分の費用で行うこうした活動は、カンファレンスに集まってくる地方主催者をターゲットにしたPRであり、その費用は未来の仕事を得るための「投資」。いくらすばらしいプレスキットを作っても、サンプラーの録音を送っても、生の説得力はたいしたものです。主催者がカンファレンスに来る目的はそうしたライブの機会を求めて、ということもあるのです。
かくして、カンファレンス参加者のメールボックスは直前10日間くらい、連日そうしたお知らせであふれかえることになります。
畳みかけるように、会場で配られる参加者キットの中には、そういうミニコンサートのお知らせがごっそり。その中で、なぜアタッカQのショウケースのチラシだけを私が手にしたのか。
おそらく、私信の形で来た、ヴィオラのルーク・フレミングのメールのせいでしょう。「ニューヨークに来るとうかがいました。ショウケースをするのできいてくださいますか?」その一言があるかないかで、情報のアンテナの立ち方が変わります。実際、カンファレンス会場で、チラシがすぐに目に入りましたから。投資をしたら、それを回収するための努力が必要です。
アタッカQは、投資だけではなく、自分たちでファンを増やす「開発」もしています。目下ニューヨークの中心にある小さな教会で進行中のハイドン弦楽四重奏曲全曲演奏会です。The 68(全部で68曲あるので)と銘打ったシリーズは、無料で、「お気持ちをよろしく」という箱がおいてあるそうです。ハイドン全曲に挑むという音楽的目標と、自分たちを聞いてくれる人を増やすという開発目的を上手に合致させた、なかなか強かなプロジェクトです。
彼らは、このプロジェクトの完遂を中期目標としたプランを持っています。この秋から始まるジュリアード音楽院でのアシスタント・レジデンス(ジュリアード・クァルテットの助手として教える)をベースに、地道に評価を上げ、次のステップへ進む準備を始めたところです。 ▶ 仕事は分担する――4人の特性を生かした、グループマネジメント
弦楽四重奏団に限らず、小編成のアンサンブルが遅かれ早かれ迎える最大の危機は、事務仕事がひとりに集中して、他のメンバーとうまくいかなくなる、なのです。集中しがちな人は、仕事をとってくるのがうまい、主催者と如才なく話ができる、旅や宿の手配が上手・・・等々、音楽家が「苦手」とすることが出来てしまう人。他のメンバーは、最初は「ありがたい」、そのうち「当然」となり、仕事上のいろいろな調整事で気に入らないことがあると、その人のせいになる・・・やがて、「おれはみんなの使用人じゃないぞー!」という叫びとともに危機勃発、となります(これはフィクションではありません。いくつもそういう例を見ています)。
アンサンブルで仕事をする、というのは、小さな会社を経営するのと同じです。音楽以外に山のようにすべきことがあります。ひとりで負いきれるものではありません。会社と同じように、分業が必要になります。
アタッカQは、仕事を4人で分けるときに、それぞれの得意とするところを生かすようにしたとのこと。旅やスケジュール作りが得意な人が、ツアーとブッキング担当。対人関係大好き、主催者とのやりとりも苦にならない人が、PR&仕事の売り込み担当、とにかく音楽面での知識と情熱が・・・という人はライブラリアンとレパートリー研究担当、細かい金勘定とやりくりは任せて、という人が会計係。そして4人がいつも情報共有できるように、あらゆるメールがメンバーにCCされて、伝言は必ず他の3人に直接する、というルールがあるそうです。
これもいろいろな失敗や反省から生まれた経験則。アタッカQもご多分に漏れず、2回のメンバー変更を経験し、一度は解散の危機を乗り越えています。音楽面での対立よりも、人間的な感情のこじれの方が危機は深い・・・多くを語ろうとしない彼らは、そういう面ではもう十分に大人の音楽家たちのグループでした。
アタッカQの経験は、アメリカ合衆国という、室内楽マーケットがある程度成熟し、かつ「聞き手による主催者」が健全に、たくさん存在している国でのキャリア・ビルディングです。若手を評価する仕組みもそこそこ機能しており、「産児制限が必要」なほどたくさんの弦楽四重奏団が次々と結成されているとしても、主催者の高齢化が問題となり、中心人物の死によって、主催団体が消滅していたとしても、仕事やキャリアアップの努力が報われる状況があります。
日本には、そういう状況がない、のでしょうか? わたしにはそうは思えないのです。聞きたい人たちとどう繋がっていくかが見えていないだけ。聞きたい人たちも、何をすればよく、どうやって音楽家と繋がるかが見えていないだけのように思います。
この仕事に入ったばかりのときに、最初にさせられた仕事の一つが、音楽雑誌の最後の方にある「今月のコンサート情報」を1年分集計し、どこのホールや文化会館が、どんなコンサートを、年に何回くらい主催しているかを調べることでした。そうやって、コンサートをやってくれそうなところをピックアップし、音楽家を売り込んでいく基礎資料を作ったのです。
今なら、インターネットを駆使して、室内楽や若手のためのコンサートを定期的に行っているところを、くまなく調べることができるでしょう。宣伝費用のない主催者ほど、インターネットの無料ブログやfacebook、twitterを活用していますから。
そういうところに、丁寧にアプローチしていくことで、最初のきっかけが得られるかもしれません。
「プロの音楽家としてのPR術①」で書いたように、まず自分を知っている人から少しずつ輪を広げている努力をして、そういう人たちの力も借りながら、仕事のきっかけを掴んでいくこともできるでしょう。 アタッカQが今努力していることひとつひとつをよく見ると、結局は「自分たちを聞いてもらうこと」につなげるためのさまざまなやり方であることがよくわかります。まねをする必要はありませんが、ヒントをもらうことは出来るでしょう。
もう一つ大事なのは、「聞いてもらう」自分たちを磨く努力も同時に行っていること。聞いてもらう内実を充実させるために、コンクールに挑戦し、ハイドン全曲に取り組み、そして聞いてくれた人たちには「ありがとう」、なのです。
「とても気持ちいい人たちです。」――アタッカQを評して、何人もの人たちがそういう感想を漏らしていました。彼らの努力は報われています。こういう人たちの話なら、ぜひ室内楽アカデミーで話して欲しいと思います。
あなたの音楽が聞けるのを楽しみしています・・・そう言ってくれる人を確実に増やしてくこと。くどいようですが、それがプロの音楽家のPR術です。