コーヒーブレイク⑧~あれか、これか(『若手音楽家のためのキャリア相談室36』)

箕口一美

忙しい中でのタイム・マネジメント

(本稿は2012年『ストリング』誌3月号に掲載された記事の改訂版となります。)

「あんなに忙しそうにされているのに、よく毎月書く時間がありますね」――この連載を始めてから、思いもよらない方から、読んでますよ、と言われて、ぽりぽり頭を掻いていると、続いて、そんな風に言われることがよくあります。

はい、ほんとに忙しいです。特に、2011年から始まったチェンバーミュージック・ガーデンは6月集中開催とはいえ、ほぼ1年中何かしら、話し合ったり、やりとりしたり、決めたり・・・の準備が動いています。加えて、年明けからは7月のレインボウ21インターナショナルの制作作業が本格化、併せて2011年度の助成金や補助金の精算作業が待ったなし。室内楽アカデミーも、第2期の募集に向けて、やれ広告だ、やれ要項の原稿だ・・・もちろん毎月のワークショップもあります。

ですから、書く時間をまとめて取ることはほとんど不可能になっています。

それ以上に頭が痛いのは、書くためには不可欠なインプットのための時間が、ここ数ヶ月全く持てないこと。インプットというと、本を読んだり、資料を精査したり、と思われるでしょうが、私の場合は、人に会うこと、話すことが一番大事なインプットです。そして、旅の時間。移動するだけが目的である時間の流れの中で、車窓の向こうに見える風景と変化、異邦人である心地よい緊張感と、訪問先で一年ぶりに会う友人との昨日の続きのような会話が、無意味な断片であった情報や思いつきを、豊かなアウトプットに変えてくれます。

ところが、とうとうこの冬は、毎年なんとか時間をひねり出していたチェンバーミュージック・アメリカの年次総会も諦めたし、3月のロンドン弦楽四重奏コンクールも、主催公演がちょうどど真ん中に入ってアウト。そろそろアウトプットの品質管理上支障がでそうな危機的状況です。

こんなときは、『Beyond Talent:音楽家を成功に導く12章』の出番です。この状況は、実はタイム・マネジメントがうまくいっていないために生まれてきています。著者のアンジェラ・ビーチング自身も、決して時間配分は得意な方ではない、と明るく笑っていました(ここで、明るく笑う、というのが、大事でもあるのですが)。『ビヨンド・タレント』を書くための時間をひねり出すために彼女が行った生活パターンの改革は、何度読んでも、そうだった、その手があったよね、と納得させてくれます。

「心からの告白」と題された一節には、書くことに集中出来ないアンジェラの悩みが切々と語られています。当時ニューイングランド音楽院のキャリアセンター・ディレクターだった彼女の仕事は、当然フルタイム。まずは、夜と週末に集中して書こうと思ったけれど、仕事の後は疲れていたり、他のことで頭がごったがえしていたり。週末は人とのおつきあいがやはり優先。執筆はいっこうに捗らない・・・。

これは今の私が置かれている状況と全く同じです。今の職場はそれまでと違ってフルタイム・ジョブで、勤務時間中の仕事の密度もカザルスホールにいた頃に匹敵します。あの頃は30代でしたから、体力が落ちた今は疲労度も違います。

かくして、かつてのように夜、もう一仕事する気力も体力も残っていません。週末はといえば、ここ半年あまりは私事の処理に費やすことに終始しました。

では、一体いつ書くのか。

この原稿は、週末の家事の合間に書いています。母と同居するようになって、休みの日にはなるべく一緒に居て、お茶を飲んだり、話をしたり、週一度でよいような家事を分担して、一緒にやったり。別のことに手を動かしながら、原稿の組み立てを考え、母が食事の支度に専念している間を縫ってパソコンに向かいます。集中力の必要な、創作系の原稿は難しいですが、パーツを組み立てていくような書き方でよいものなら、起承転結の文章を先に書き出し、その間を広げていくように書き足していきます。

もうひとつの細切れは、平日の朝の30分です。1時間早起きして、なんとか身体を目覚めさせ、出勤までの時間を書き物にあてます。30分に満たない細切れの時間を綴り合わせて、書く時間をひねり出す――このところ、それでなんとか連載を乗り切っています。

アンジェラがこれと同じような状況を打開するためにとった方法は、朝5時に起きて、30分散歩し、1時間半書くのを日課にすることでした。30分歩くことで目を覚ますだけでなく、これから書こうとしていることを纏めていたに違いありません。

高校から大学時代、毎朝5時に起きて机に向かっていたことを思い出しながら、私もこの生活が出来るかしら・・・と考えているところです。書くことは、今の自分にとって、おそらく諦めてはならないことではないか、と思うからです。

音楽の仕事に限らず、仕事をしながら生きていく過程では、「あれをとるか、これをとるか」という局面が再三ならず訪れます。まさに「あれか、これか」の二者択一の決断です。でも、どうも人生というものは、そういうときに限って、深刻に考える時間も、躊躇している余裕も、それが二者択一だったという自覚も、その瞬間には決して与えられないものです。ただ、ひょっとするとこれがそうかも、といううっすらとした予感を感じることはあります。だいたい、続けたいと思うこと、大事にしていることを諦めなければならないかも、という形で感じるのです。

選択は、結局は自分で決めること。諦めることはしたくない、というのもひとつの選択です。さて、そのために私は早起きできるようになるかしら・・・。

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