コーヒーブレイク⑥~音楽家の生き方 あれこれ-1(『若手音楽家のためのキャリア相談室34』)
箕口一美
人生のある時点での転換
(本稿は2011年『ストリング』誌8月号に掲載された記事の改訂版となります。)
ひとつ大きな仕事が一段落して、旅に出ました。最近は、場所を訪ねることよりも、人を訪ねて歩くことの方が多くなりました。その街に行くのは、あの人が住んでいるから、この人もその街に来るから・・・。今度も、さまざまな機会に出会った友人たちの「日々の生活」の一コマにお邪魔する旅になりました。
チューリヒの空港からスイス国鉄と路面電車を乗り継いで、40分ほど。チューリヒ湖から丘に登り始める谷筋のとば口に、カルミナ・クァルテットの第一ヴァイオリンとヴィオラ夫妻のお宅があります。着いたときには、みんなお留守で、すっかり仲良しになっているラブラドルのジンジャー君が出迎えてくれました。
ホテルが東京都心並みに高いチューリヒでは、何度かこのご夫妻の家に転がり込ませてもらっています。その度に、「クァルテットという生き方」を選んだ二人とその家族たちの日常に触れ、音楽家として生きていく人たちの普通の毎日につかの間伴走する機会を持ちました。
玄関を入ってすぐのダイニングキッチンのテーブルの上には、ヴィオラのウェンディからのメッセージ――「長旅お疲れさま。家にいるつもりでぐったりしていてね。そこにハーブティーがあるから、横にあるケトルに水差しにある水を入れて沸かして飲むといいかも。お部屋はいつもの3階の屋根裏。ほんとにおうちみたいでしょ!」下町長屋の我が家にも来たことのある彼女は、うちのベッドルームが屋根裏であることを知っています。
こういう心配りはやっぱり中声担当ならでは、と思いつつ、キッチンに立つと、シンクの横の壁には「この先のクァルテットの練習予定と本番」と書いた手書きの張り紙が・・・。洗い物や料理をしながら、頭の中で明日の練習の段取りを考えたり、自分のパートのおさらいをしたりするのかしら。ふむふむ、シューマンとシューベルトね、お、ブラームスもかなりやってらっしゃる。
そうこうするうち、足下に寝ていたジンジャーがにわかに立ち上がって玄関にダッシュ、ほどなくエンデルレ家のみなさんが揃ってご帰還です。今日はヴァイオリンのマティアスのお父さんもいっしょ。すっかりチャーミングなお嬢さんになった一人娘のキアーラは、パパにチェロを持ってもらって、少しおくたびれ。学年末試験に、今日明日の協奏曲の本番が重なって、行き帰りの車の中でも、歴史と数学の教科書と格闘していたとか。お邪魔した週末、二人のクァルテット奏者はすっかりパパとママになって、娘が大学オケやコミュニティ・オケと、エルガーやドヴォルザーク(!)のチェロ協奏曲を演奏するのについて歩いているのでした。
パパがたちまち拵えた夕食は、出汁の効いたチキンスープと黒いパンにサラダ。そういえば、初めて泊めてもらったときもマティアスがレスティ(ジャガイモをチーズで焼いたお好み焼きみたいなもの)を焼いてくれたものでした。
カルミナ・クァルテットとのつきあいは、もう20年を超えました。初めてツアーのアテンドをした海外演奏家が彼らでした。演奏家という生き方もまた、人の人生の一つのあり方だ、ということを教えてくれたのも、彼らでした。
第1回ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクールの結果が一種のスキャンダルとして大きな話題になって、1位なしの2位になったカルミナQにはどっと仕事が舞い込みました。その頃ヨーロッパで内田光子と共演して大いに気に入られたことが、日本でのデビューに繋がっています。一躍国際ツアー・アーティストになった彼らでしたが、毎日毎日移動しては演奏、家に帰れるのは、1ヶ月に何日もない、そういう生活に違和感を覚えていたといいます。何としても子供が欲しかったマティアスとウェンディは、1年半先に決まっていた大きなツアーがキャンセルになったそのタイミングに子供が生まれるように計画し、キアーラが誕生しました。二人とも「子供が自分たちと一緒にいてくれる時間は限られている。かわいい今を一緒に過ごさないのはお互い残念」と、遠方のツアーには自らベビーシッターを雇って、子供連れの旅を敢行しました。
やがて、クァルテットはひとつの決断をします。長期間、本拠地であるスイスを離れるツアーの数を減らす。これは彼らが既に築いた国際キャリアに大きな制限をかけるものでした。それでも、家族と過ごす時間が大切だ。子供の成長を日々見守る生活を選びたい。家族連れで旅をしていたエンデルレ家も大変でしたが、家族を離れざるを得ない他の二人にしてみれば、なんで自分たちは離ればなれになってしまうのだ、という思いもあったでしょう。ヨーロッパ屈指の弦楽四重奏マネージャーも離れました。その代わり、彼らはチューリヒ芸術大学のクァルテット・イン・レジデンスのポジションをとり、カルミナQを応援してくれる地元の人々とともに「カルミナQフェライン」を立ち上げて、スイスを中心とした演奏活動を支える基盤も作りました。仕事は主にヨーロッパ域内になり、車を飛ばせば帰れる距離ならば、宿泊もしないで家に戻ります。クァルテット以外の音楽活動にも関わりを持てる時間の余裕が出来て、チェロのシュテファンは指揮者もやっています。
国際キャリアは、華々しさを印象づける反面、トラベルはトラブルの典型のようなことが次々起こるストレスの中で、質の高い演奏をコンスタントに続けねばならないプレッシャーとの戦いでもあります。経済的な見返りもあると同時に、家族との生活を犠牲にする部分もあります。カルミナQは、ある時点で、音楽家としての成功と、人生の喜びのバランス――ライフ・ワークバランスをどんな風にとるべきなのかを真剣に考え、話し合い、今の生き方を選びました。
それでも、かつてプライベートを犠牲にする大変な思いをして、いい仕事をしたことの果実を彼らは十分楽しんでいます。2度目の日本ツアーの公演を聞いたデンオンのプロデューサーが彼らに惚れ込み、今もその関係で彼らのCDはコンスタントに市場に出ています。2011年11月の来日は第一生命ホール10周年企画とレコーディングのため。「今度のツアーは私たちにしてみれば、最長よ。これ以上長かったらダメ」とウェンディは笑っていっていましたが、日本に来ることは楽しみのひとつでもあるようです。なぜなら、そこにはいい仕事を一緒にしてきた仲間たちがいて、今や家族ぐるみのおつきあい、彼らにとっても友を訪ねる旅ですから。
音楽家のキャリア、こんな生き方もあります。次回は、今度の旅で拾った、また別の生き方をご紹介します。