東日本大震災の経験から――音楽家にできること(『若手音楽家のためのキャリア相談室29』)
箕口一美
災害時の傷と音楽するということ
(本稿は2011年『ストリング』誌5月号に掲載された記事の改訂版となります。)
3月11日を境に、自分が住まう世界の見え方に紗幕がかかっているような気持ちで毎日を過ごしています。遠くから這い寄ってくるような揺れが突然大きな振幅に変わり、鉄筋コンクリートのビルがきしむ音をたてはじめた時に脳裏をよぎったのは「とうとう来てしまった」・・・70年代の中学生は、小松左京のベストセラー『日本沈没』、関東大震災69年周期説、プレート理論等々のごった煮知識の中で、「日常生活を突然カタストロフが襲う」恐怖を心の基底に刻んでいました。地下鉄がどんどん深くなり、ビルがどんどん高層になって、ふと「ここで『あれ』が来たら、自分はどんなふうに死ぬのだろう・・・」と考える癖がやっと抜けて来た頃に、それがやってきました。家まで1時間半以上かけて徒歩で帰りながら見た東京が、繰り返し思い描いた廃墟と化してはいないことに安堵よりは違和感を覚えて、おそらく、そのために降りてしまった紗幕のように思います。
そんな中、一通の手紙をいただきました。あるピアニストからの、リサイタル開催のお知らせでした。
もう四半世紀近くのおつきあいです。演奏家としてのキャリアを歩み出す直前から、ずっと彼女の歩みを見ています。
達筆の手書きの案内状には、ここ何年か直面しなければならなかった困難に触れながら「その間の心の流れを音に託したく、また励まし続けて下さった方々に感謝をお伝えしたく、想いのこもった曲ばかりを選びました。」とあります。
音楽家としての彼女の生き方は、決して大向こう受けするような派手なものではありません。ただ一心に音楽に向き合う姿は、思わず「仙人」と呼びたくなるほど。教職を得てからは、これまた一心に指導にあたる・・・音楽的課題には、リサイタルを定期的に行うことで、メリハリをつけて取り組んでいく。
音楽家のキャリアマネージメントという分野に関心を持つきっかけは、彼女がそんな風にキャリアを作っていく道筋を「理解」したかったからだ、と言っても過言ではありません。彼女の四半世紀は、音楽家としての成功の「姿」は、たったひとつではない、というアンジェラの言葉を裏付けてくれます。
真摯に音楽と対話を続けてきたひとりのピアニストの声を聞きたいと思う長年のファンが集まる彼女のリサイタルは、気持ちのよいものです。ひとりの音楽家といっしょに歳を重ねていく、というのも、クラシック音楽という永遠のロングセラーならではの楽しみ。時の隔たりなどものともせずに、かつて聞いた音楽がもたらしてくれた感動を昨日のように甦らせることができるのが、あの時弾き、今日このときも弾いた音楽家です。
「あなたを知ってもらうには①」の回で「ある研究によれば、ふつうひとりの人は、親密度は違いますが、100人から1000人の知り合いがいます」というアンジェラの言葉を引きました。あなたの知っているそういう人たちが、あなたといっしょに歳を重ねて、あなた自身の音楽家としての歩みにつきあってくれる――それが100人であっても、何千、何万であっても、等しい意味があります。それが音楽という芸術が生み出せる価値でもあるのです。
3月11日の未曾有の出来事に直面して、「音楽家としての私が何か出来ることはないだろうか」と思い巡らしている若い人も多いと思います。楽器と、食料と水を積んで、被災地に走りたい、と真剣に考えている人もいるでしょう。
取材で一週間現地を訪ねて来た人が言っていました、「自分がしっかりしなければと気を張ってきた人たちも、あれから一ヶ月経って、ストレスと疲労の頂点に達しつつありました。何もすることなく避難所に座っている人たちのために、弾ける限りの曲を弾いている人にも出会いました。よそ者である私ですら、理解を超えた惨状を目にして憔悴しきった心に音楽が沁みこんで来ました。」音楽家が出来ること、その究極は音楽を演奏して、聞いてもらうこと、目の前にいる聞き手のために、心を込めて弾く、聞く人の心と共鳴し、共感して弾くことです。
現場を目の当たりにしてきた人たちの話を聞くにつけ、そこにいない私たちが今すぐかけつけて出来ることはまだまだ限られています。むしろ、この先たぶん半年、一年して、被災地の衣食住が少しずつ安定していく頃、人々の心に寄り添う無形の支えがより重要になっていくはずです。すでに、被災地にあるアーツ・センターがそれに向かって準備を始めています。今はまだ避難所としての役割を果たしている場所で、次の段階を見つめた活動が始まっています。
わずか数分の激震で断ち切られる日常の脆さにあって、変わらない価値や人と人との時間をかけて育てた繋がりを確かに感じさせてくれる――音楽という芸術にはそういう力があります。それを信じて、あわてずにじっくり音楽ができることを考えてみたい・・・そんなふうに思うのです。
物理的な被害がほとんどなかった東京のような場所でも、人の心は間違いなく傷ついています(ちょうど今の私がそうであるように)。今あなたが音楽することは、そうした心と共鳴し共感すること。ここでもあなたに出来ることが間違いなく、あります。