コーヒーブレイク①~旅と引越は、前向きに!(『若手音楽家のためのキャリア相談室30』)

箕口一美

引越しも旅も、ほとんど同じもの!

(本稿は2009年『ストリング』誌6月号に掲載された記事の改訂版となります。)

ほんの2ヶ月前には予想もしていなかったのですが、引っ越しました。覚えていない1歳過ぎの転居から数えれば、記念すべき10回目。大学を出てから、ほぼ数年に一度は動いているので手慣れたもの・・・とはいかないのが、引越です。前と同じ段取りで出来ることはひとつもありません。段取りを決めておいたところで、天候にも左右されるし、予期せぬ事態(階段が狭くて、棚が2階にあがらない、とか)が起こります。おまけに、仕事用のパソコンを大事に運んできたのに、起動しなくなった・・・なんて、泣くに泣けないことも。かくして、カウンセリング・ルームも、コーヒーブレイク。原稿を書くための資料が、どのあたりの箱に収まっているのか、まだ見当もつかないので。

持って動くものが、家財の一切合切か、スーツケースひとつか、ということ以外、引越と旅とは、ほとんど同じものです。どちらも準備が肝心、でも始まったら出たとこ勝負!

例えば、旅立ちの前夜。泊まる日数を数え、必要な衣類の量に合わせてスーツケースの大きさを選び、行く先の気候と天気によって詰めるものを変える。旅先の仕事に必要なこれまでのやりとりや送られてきた資料の中から現場に必須のものを選んでファイルし直し、携帯用のパソコンにデータを移す。担当者や関係者、演奏家、宿泊先が携帯電話のアドレス帳に入っているかを確認し、いつでも連絡できるようにしておく。鉄道や飛行機の切符は荷物が多くてもさっと出せるところに納めながら出発時刻を再確認し、家から駅、空港までのアクセスと所要時間を勘案して、明日の起床時刻を決める。寝る前に、もう一度明日の段取りを頭の中でさっとおさらいし、問題が起こりそうなポイントを心に留めて、さあ、お休みなさい。おっと、目覚まし時計は大丈夫?

かなり準備をきっちりしたつもりでも、旅先での仕事には変更や突発事がつきもの。飛行機は定刻にゲートを離れても、滑走路渋滞で遅れるのは当たり前だし、東京を出たときはピーカンだった空からどかどかと雪が降り、新幹線が八戸に着く頃には、その先の東北本線が止まっているかもしれない。限られた時間と条件の下、準備不足を悔やむよりは今何が出来るか、次に打つ手がいくつあるかを考えるのが先決です。

英語で旅を意味する「トラベル」と、困難や厄介ごとを意味する「トラブル」の語源がいっしょだという話を聞いたことがあります。旅とは、日々平穏なる日常に比べれば、よほど困難なことが多い・・・多少のトラブルも旅のパーツだと最初から思っていれば、実際何かが起こっても、必要以上に深刻になったり、あわてたりしなくて済むようになります。

以前、チューリヒから乗った飛行機が計器のトラブルで空港に引き返してしまい、乗継ぎの帰国便に間に合わなくなってしまったときがありました。まず、地上係員に個人客であることを伝え(団体優先で個人客が忘れられることもあるのです)、そのついでに状況を聞き出し、対応を待っている間に、頭の中では、ヨーロッパ主要空港から成田へ飛んでいる定期便の出発時刻をチェックしていました。仕事柄、ヨーロッパからの演奏家の航空券手配をしているうちに覚えていったものです。今から間に合う遅いフライトは、フランクフルトからの全日空か、パリからの日航かエール・フランスしかないけれど、航空会社の提携関係からするとパリかな・・・ややあって、手渡されたチケットはパリ経由の日航! 誰も褒めてはくれないので、心の中でガッツポーズしました。

もし一日遅れたら次の仕事に間に合わないところでした。だからといって、乗るはずのフライトはとっくに飛んでしまっていたし、ならば、一番好都合なシナリオ(今日中に飛べる)を書き、どうすればそれが可能かを考えてみよう。冷静というよりは、楽天的な前向きさが、こういうときには一番力を発揮するのです。尤も「みのちゃんは予定通りには帰ってこられない」と周りの人がみんな思っているほど、トラブルなトラベルを経験してきた成果(?)でもありますが。

大学入学で親元を離れるまで生活圏がほぼ2キロ四方に収まっていた頃の自分に、1年の三分の一近くを旅の空で過ごし、数年に一度引っ越す人生になるよ、と言っても、きっと信じてはくれないでしょう。誰かが整えてくれた行程を追うだけの旅をしていれば遭うはずのないさまざまな出来事のおかげで、その頃の自分が決して言えなかったセリフが言えるようになりました――「ま、いっか。なんとかなるさ」――究極の前向き! 連休を全部費やしてもまだ片付かない引越荷物に埋まる新居(築年数不詳の長屋)の真ん中でそう呟けるのも、幾多のトラベル(トラブル?)のおかげ。若者よ、旅に出でよ!

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