2021年度【キャリア形成に関する卒業生・若手音楽家へのインタビュー】作曲家・山中千佳子 氏

 東京藝術大学音楽学部音楽総合研究センター《シンクタンク機能社会・発信室》は、『2021年度音楽学部若手作曲家・演奏家・研究者支援事業』採択事業として、様々な専攻の若手卒業生をお招きし、【キャリア形成に関する卒業生・若手音楽家へのインタビュー】を実施いたしました。
 
 当室教育研究助手の屋野晴香がインタビュアーとなり、音楽家同士だからこそ分かり合える活動のあれこれや、アーティストとしてのこれまでの道のり、在学生へのメッセージをうかがうシリーズ企画です。

 卒業後の道のりは、同じ専攻であっても十人十色。音楽学部全体を見渡せば、アーティスト活動の軌跡は千差万別です。在学生の皆さんには先輩のお話を参考のひとつとし、自分自身の進路を見つけるためのヒントにして頂きたいと思います。

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今回のゲストは、権威ある国際コンクールでも複数の受賞経験のある新進気鋭の実力派、作曲家の山中千佳子(やまなか・ちかこ)さんです。

この記事は、山中さんがインタビューの準備としてご自分の言葉で綴ってくださった原稿を頂戴し、会話をもとに再構成しました。

動画版では作曲家の篠田大介さん・山中千佳子さんご夫妻とのリモートインタビューの様子とともに、より深いお話しが伺えます!

 

《ゲスト:作曲家・山中千佳子》

東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、同大学作曲科首席卒業 、並びにアカンサス音楽賞受賞。 芸大学部3年次在籍中に、第74回日本音楽コンクール作曲部門入選 。東京藝術大学大学院音楽研究科作曲専攻修士課程修了 。 武満徹作曲賞第3位受賞 (審査員:トリスタン・ミュライユ / 2010)。ヴィトルト・ルトスワフスキ生誕100周年記念国際作曲コンクールにて佳作受賞 (2013)
また同年、ジュネーヴ国際音楽コンクール作曲部門にて、Prix du publicとPrix “Jeune public”の二つの特別賞を受賞 (2013)。 同コンクールにおける作曲部門での入賞は、日本人として初の快挙であり、留学や海外講習会の経験が無くとも、音楽は国境を越えてゆけるという確かな実証となった。

 

《聞き手・企画・構成:屋野晴香》

ウィーン国立音楽大学器楽科ピアノ室内楽専攻を学部・大学院ともに満場一致の最優秀で修了。東京藝術大学音楽学部では楽理科に学ぶ。2020年度より同大学音楽学部 音楽総合研究センター シンクタンク機能社会発信室にて教育研究助手を務める。

 

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作曲家として輝かしいキャリアとともに歩まれてこられた山中さんですが、「作曲」にはどのように出会い、いつから始められたのでしょうか?

3歳の頃に、姉がピアノを習っていたのを見て真似したがってピアノを始めました。自宅では、父の趣味でクラシック音楽が日常的に流れている環境で育ちました。11歳頃に、小学校の先生方がスピッツの歌をバンド演奏してくれて、それを聴いて「なんといい歌があるのか」と感激し、また「作詞作曲していいのか!」ということに気づき、独りでポップスの歌を作り始めました。

ポップスの作詞作曲が原点だったのですね!

はい、やがてそれらの音楽を「楽譜にちゃんと書けるようになりたい、もっと色々作ってみたい」という気持ちが生まれ、中学2年生から作曲の先生に師事し始めました。中学3年生になった時に、藝大の附属高校があるということを知り、もっと勉強してみたいと思って受験して、合格、上京。15歳でもう後戻りできない道に進んでしまったんです(笑)

山中さんは、ポップスの歌が作曲の原点となったということでしたが、現在はいわゆる”商業音楽”と呼ばれる分野とは離れた世界での作曲がお仕事の中心ですよね?現在のお仕事内容をご紹介いただけますか?

主に、コンサート会場で演奏される器楽作品や合唱曲などの作曲をしていて、並行して自宅での作曲レッスンも実施しています。
作曲の仕事の流れとしては、演奏家や演奏団体、大学や文化財団などから「いついつのコンサートで初演するための作品を書いて欲しい」と委嘱を受けて、締め切りやコンセプトや作曲料についての話しをふまえ、案件によっては契約書を交わした上で着手していきます。
自宅でのレッスンは、受験生と社会人とを見ておりまして、最近はコロナのために全てオンラインでの実施をしています。

曲が完成した時や、出版される時、演奏される時など、嬉しい瞬間が様々あると思いますが、山中さんにとってはどんな瞬間が作曲家として最も嬉しいときなのでしょうか?

嬉しいこととしては、やはり新曲を委嘱者に喜んでもらえて、かつ会場で初演を聴いたお客さんが興奮してくれているのを見ると、本当に嬉しいですね。レッスンでも、生徒さん一人一人が、学びが深まっていくことを実感して喜んでくれているのを感じられると嬉しいです。

現代を生きる邦人作曲家として国際的に山中さんのご活躍はめざましいですが、卒業後から今のポジションにくるまでのエピソードを教えていただけますか?

実は、30歳までに国際コンクールに入賞できなかったら、作曲家は諦めようと思っていました。

「30歳までに国際コンクール」という区切りを自分の中で持って挑んでいたのですね。

はい。結果的には30歳で二つの国際コンクールに入賞できましたが、実はコンクールで入賞してもそれが作曲の仕事に直結するわけでは全然なかった・・・

けれども、まず大きな舞台で受賞をいただいて、今後、自信を持って曲を書いていける大きなエールをいただいたのは確かです。横浜で書いた曲が、ジュネーヴやワルシャワの国際コンクールで入賞できたことは本当に嬉しい驚きでした。まず私ではなく楽譜だけが海を越えて行ったのです(笑)

その後、色んな方々に私という作曲家がいることを知っていただく努力をしていきました。「仕事を作る」ということですね。素晴らしい指揮者や演奏家、財団の方々と知り合えていけて、少しずつ人脈が広がって音楽に共感していただける人が増えたことで、仕事もいただけるようになっていった感じです。

■ジュネーブ国際コンクール受賞作紹:山中千佳子《Uminari》

 

藝高から藝大へ進まれ、大きなコンクールでも入賞し活躍されていて、沢山の委嘱作品があり、いわゆる“王道コース”を進まれているように思われます。

そんな山中さんですら、先ほど「実はコンクールで入賞してもそれが作曲の仕事に直結するわけでは全然なかった・・・」と仰ったように、苦しい場面も沢山あったことと思いますし、現在の学生たちからも「芸術活動に注力することと、経済面を含め社会の中で生きていくこととの両立」に対して不安の声が多くあります。創作活動自体がとてもエネルギーの必要な行為だと思うのですが、生きるための資源も必要だ、と。

学生時代からの友人としては、山中さんは非常に繊細な感性を持ちながらもとても力強く生きている方だと感じているのですが、これまでを振り返ってみて、音楽活動を続けて来るのに支えになっていた考え方や、活動を続けるための秘訣のようなものがあったとすれば、どんなポイントだったか、是非教えていただきたいです。

音楽活動を続けていく秘訣としては、今現在自分がどういう期間を過ごしているのかを常に客観的に捉えておくということでしょうか。例えば卒業直後しばらく実家にお世話になる場合でも、それを音楽面や経済面や人間関係、社会評価などいろんな観点で捉えておくと、その期間をだらだら過ごすのではなくて、常にアップデートを意識していけるようになると思います。

やはり経済状況との兼ね合いはとても重要ですよね。私について言えば、大学院卒業後はすぐに作曲の仕事がゴロゴロあるはずもなく、音楽教室などに勤務しながら曲を書くという期間がありました。

週の大半を生活費のために働き、残りの時間で作曲をするのでどうしたって作曲時間は減るわけです。本末転倒ですよね。この状況はいずれ抜け出なくてはいけないと思い、限られた時間で必死にオーケストラ曲などを書いていました。

あと、「ちょっとだけキツイ状況」に身を置くようにしていくと、しばらくすると力がついてそのキツさを超えられるようになります。ただ、キツさのあまり心身を壊してはいけないので、塩梅は自分と相談ですが。

またこれは極論かもしれませんが、実家に必要以上に依存してしまうと、伸びていける力も鈍るのではと思っています。私の場合は実家が離れているので何としてもなんとかしなくてはいけない、その状況の中で馬鹿力が出たところもたくさんありました。
人によるとは思いますが、人間、つい楽な方に流れて安座してしまいますから。

 

確かに20代にしか出せないエネルギーで乗り越えられたキツイ状況って、ありますよね。

反対にコロナ禍では舞台芸術はストップすることを余儀なくされ、否応なく自分のバイオリズムとは関係なく、エネルギーを貯めておくしかない時間になったような感覚があります。

“文化は不要不急なのか”という問いや、“こんな時だからこそ音楽を、芸術を”といったフレーズもよく耳にしました。新型コロナウィルス禍で多くのアーティストが「社会に音楽や音楽家が貢献できる事は何だろうか?」と深く向き合わされることにもなりましたが、山中さんはゼロからひとつの作品を生み出す作り手として、この期間中、一体どんな事を考えられていたのでしょうか?

「音楽が社会にとってどのように役に立つのか」というようなことは、東日本大震災から、まさに現在の新型コロナ禍でも、常に突きつけられてきました。

特にコロナによって、「社会の営みについて、音楽は直接的に影響を及ぼさない=音楽が止められても、必要最低限の社会は維持されていくこと」を目の当たりにしました。まず衣食住の安定、経済的な安心があって、その次の段階に音楽が必要となってくる。

ですから、まずは音楽文化が常に維持され親しまれているかどうかが、健全な社会が運営されているかどうかの指標になると思います。

前置きが長くなりましたが、私としては音楽が直接的に社会に貢献していく、というのはなかなか難しいことだと思っています。

ただ、作曲家としては、その時代の社会の発している声や湧き上がっている叫びのようなものをしっかりと掬い取って、作品というかたちに落とし込んでいきたいと。その作品たちが社会に生きる人々を映す鏡のような存在になれればと思っています。

物質的な貢献は難しいですが、精神的な面で人を支えたり励ましたり潤したりできる、そういった貢献をしていきたいですし、文化とはまさにそういうものであろうと思います。

最後になりますが、山中さんが藝大での学びのなかで得たものや、それを踏まえて、いまの学生さん達に伝えたいアドバイスなどがあれば是非お聞かせください。

藝大で得たものは、やはり優れた音楽家の友人ですね。それに尽きると思います。
作曲科は放任主義というか、ほとんど個人の自力に任されていたので、学びとしては「大学は何も教えてくれないということを学んだ」という感じでしたね(笑)

藝大は、「自分でやる!」ということを学ぶところですよね。教員として戻ってきてみても、たしかにそう思います(笑)

学生さんには、自分の特性がどういった方向なのかを学生のうちに見定めていくことと、その特性をどうやったら活かせるかを常に考えることをお勧めします。

あとは「それをやることで、またはそれをやらないことで後悔しないかどうか」を問いながら貴重な学生生活を送っていって欲しい。4年間はあっという間で、20代にしか出せない勢いや馬力というものが確かにありますから。