音楽家の『コミュ力』アップ大作戦②(『若手音楽家のためのキャリア相談室27』)

箕口一美

 

1. 小さな本番(=アウトリーチ)はコミュ力アップのための有難い練習場

(本稿は2012年『ストリング』誌6月号に掲載された記事の改訂版となります。)

「練習」と聞くと、演奏家の読者の方々は、さっと楽器に向かい、セットアップして、譜面を開いて・・・という絵が浮かぶことでしょう。演奏家にとって練習は生きることそのもの。制作事務屋にとって今やパソコンのキーボードをたたくことが仕事そのものであるように、「練習」のない人生は考えられないことでしょう。

余りにも有名な話なので今更ではありますが、カーネギーホールで売っているTシャツにも「Practice!」と書いてありますしね。

前回の最後に、「コミュ力アップのための『練習問題』を毎回解いていくことにします。」と書きました。その問題のテーマは、以前も取り上げた「小さな本番」です。「演奏だけで勝負する、基本的に音楽が聞きたくてきている人たちが集うコンサートよりも条件が厳しい」小さな本番を練習問題に選ぶのは、それが音楽家としてのコミュ力アップの実践場だからです。

条件が厳しい、ということは具体的にどういうことでしょう。

まず、聞きたいという気持ちを持ってくれるように働きかけることから始めなければならないこと。

それが、お金まで払ってその場にいる人たちに向けて演奏するコンサートとの大きな違いです。聞く気満々の人たちに向けて演奏するのは、結果としてその人たちを楽しませようが、落胆させようが、音楽家としてのあなたが、ほぼこれまでの生涯、そのためだけに研鑽を積んできたと思っていることを、音楽で実現させればよいのです。土俵はもうそこに作られていて、あなたは決められた輪の中で勝負すればよい。

それに対して「小さな本番」は、土俵どころか、土台がどうなっているかも含めて、自分で調べ、自分なりに土俵を決めるところから始めなければなりません。

どんな人たちに向けて演奏することになるのか――こどもなのか、大人なのか、どんな背景や事情を持っている人なのか、そもそも言葉は通じるのか(工場の従業員の人たちへのアウトリーチ、と言われて下見に行ったら、ほとんど全員ブラジルからの出稼ぎさんだった、なんてこともありました)。今まで全くクラシック音楽を生で聞いたことがない人たちかもしれません。

どれくらいの長さ、演奏するのか――保育園児と小学校6年生では、集中力の持続する長さが全く違いますし、病棟での演奏は、入院している人たちの疲労度を考える必要があります。小さな本番をつくってくれた人は2時間弾いてくれと言うかもしれないけれど、実際に聴く人たちは、そんなのノーサンキューと思う可能性もゼロではありません。

どんな場所で演奏するのか――体育館のように広くて落ち着かない場所なのか、教室なのか、宴会場のように天井も低くて、足元は絨毯貼りのデッドな空間なのか。人通りの多い場所で客席も設定されていないような場所なのか、温度調節がされているのか・・・。聴く人も音楽に集中するどころではない環境だったらどうするのか。

そして、何よりそういう人たち、そういう場所で、いったい何を演奏するのか・・・。

こうした事情や状況を、自分で(あるいは共演者といっしょに)見つけ出し、整理し、よい演奏に繋げるための工夫やプログラムの構成を考えるための手がかりにしていく――手間と時間のかかる作業ですが、それこそが、まさに「練習」しがいのあることなのです。

丁寧な準備をした「小さな本番」を重ねていく中で、状況や事情を分析し、共通の要素を見つけ出して整理していくのが苦でなくなり、むしろ楽しく準備を進められるようになります。時間もそれほど長くかけずに、いろいろな聴き手に応じてプログラムを纏めることも出来るようになります。

コミュ力アップには、日々の演奏練習と同じように、繰り返し自分をある状況におく必要があります。小さな本番の準備は、基礎コミュ力のひとつである「相手の状況をよく観察して理解し、相手が分かる形で自分の言いたいことを伝える」練習です。

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2. 練習とは、生き方や考え方を変えていくきっかけ

音楽家という人たちは、「練習」で学び、「練習」を通して、生き方も考え方も変えていける人たちだ――アウトリーチ・コーディネーターを15年近くやって来ての正直な思いであり、尊敬する理由でもあります。

こどもたちのために演奏するなんて初めて、まして人前で話をするなんて・・・と、教室に入っていく直前まで躊躇っていたけれど、音楽で何かが伝わったという手応えを聴き手の笑顔や涙、拍手の温かさに直接感じて励まされ、その経験をジャンピング・ボードにして、次の工夫や選曲のアイディアを出していく――そんな音楽家の人たちを何人も見てきました。

アウトリーチの本番の前に、よく「ラン・スルー」と言って、トークも演奏も本番の手順通りのリハーサルをやってもらうのですが、そこであれこれアドバイスしたことも、実際にやってみて、初めて納得してくれます(本番が終わった後に、「昨日言われたことは、今ひとつ腑に落ちなかったのだけれど、今日やってみてよくわかりました。」と何度言われたことか!)。

練習に実践が組み合わされて、経験として身につけていく――それが音楽家のすばらしいところだと思います。

「小さな本番」をきちんと準備し実践する――これをコミュ力アップの練習だと考えてください。練習を重ねるのは、音楽家の得意です。それを活かせばよい結果が出ます。その意味で、これは比較的取り組みやすい課題です。

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3. 「練習」とは?

本題に入る前に、もう少し「練習」について、考えておきたいと思います。

「練習」は、英語で言えばpractice。この言葉は、ふたつの顔を持っています。ひとつは漢字の文字通り「習いつつ、練り上げる」、つまり、繰り返し実践することです。その意味でのpracticeが指しているのは、「実際に行うこと」と「それを繰り返すこと」です。

そこから見えてくるもうひとつの顔。辞書を引くと2番目くらいに出てくる意味です。「いつもすること」「習慣」「慣習、慣行」「しきたり、ならわし」・・・。

カンのいい人ならば、もう筆者が言いたいことが分かるでしょう。「practice練習」という言葉には、繰り返すことで技倆面での熟達度を上げるポジティヴな意味と、繰り返すことがマンネリに結びつき、反省と批判を失ったただの反復運動に陥るネガティヴな意味を内包しているのです。

アウトリーチ・コーディネーターが何人か集まると、話題になることが2つあります。ひとつは、音楽家たちが聴き手との間につくり出す奇跡のような時間のこと。その様子を語る言葉はとても熱くて、そうした時間に立ち会えたことの喜びに満ちています。これがあるから、この仕事、やめられないよねえ――本心からそう思います。

もうひとつの話題は、いささか気が重いこと。マンネリとの戦いです。

よく考え、準備したプログラムは、間違いなく聴き手との間によい時間を創ります。ですから、そのプログラムを繰り返し使うことは悪いことではありません。繰り返すことで、完成度を上げていくことが出来ますし、演奏にも自信と余裕が生まれます。でも、そこにマンネリが入り込んでくる隙も出来るのです。

マンネリは、同じプログラムが最初にやったときよりなぜか短くなるという形で見えてくることがあります。本当にささいなことなのですが、かつては相手の反応を見て、それに応えるように進めていた部分で、さっさと行ってしまう。慣れてくるほど、手順を追うことが優先されて、なぜそういう手順になっていたのか、その部分で何を伝えようとしていたかがだんだんぼやけてきてしまうのです。

聴き手は毎回違いますから、こちらか同じ事を繰り返しやっているだけでも、喜んだり、驚いたり、感心したり、という反応は返ってきます。よく出来たプログラムであるほど、そういうものです。

マンネリ化していることに気がつかない理由です。

相手を見ずに、いつしかパターン化したことを繰り返すだけになっているプログラムは、実はすぐにわかります。少なくとも、音楽と音楽家の力を信じて、学校や地域コミュニティに場を作る仕掛けをしている人たちには、すぐにわかってしまいます。

東京の下町地域の小学校で毎年アウトリーチコンサートを行っている区の職員の人が、こんなことを言っていました。

「弦楽器の響きを体験させてやりたくて、あるプロのオーケストラにお願いしたことがあります。こうした活動も定期的に行っている団体なので、安心してプログラムもお任せしました。ところがです。何が悪い、というのではないのですけれど、違うのです。何か空気が薄い。楽器の説明も上手だし、進行もスムース。でも、教室全体の空気がそこで人が人のために演奏している、という感じにならない。いつもは、オケではなくて、もっと少ない人数の演奏者しかいないのに、と思いながら、演奏者を見ていました。何が違うのか、すぐにわかりました。本当に目の前にこどもたちがいるのに、こどもの方を見ていないのですよ。お話しているときも、演奏しているときも、こどもたちがいろいろな反応を返しているのに、見ていない。あるいは目に入っていないのかも。内容はすばらしいものだったし、先生方も喜んでいました。でも、ぼくには、なんだかコピーを繰り返しているうちに薄くなっちゃった、劣化コピーを見せられたような気分しか残りませんでした。こどもたちも教室出たら忘れちゃいそうで。」

相手を見失い、「反復練習」のように手順を踏んでいくだけのアウトリーチは、その場を作ってくれた人に対して失礼なだけでなく、まさに一期一会で出会った人たちの、クラシック音楽との初めての遭遇を台なしにしてしまいます。未来の聴き手を永遠に失うことにもなりかねません。ちなみにこの職員さんは、このオケには二度と依頼しませんでしたし、しばらく弦楽器がいやになってしまいました。弦楽器と共に生きる方でしたら、由々しき問題です!

Practice makes perfectであることは否定しません。場数を踏むことで、細部を詰めていける利点もあります。他方「練習すればいいってものではない。頭を使って練習せよ。」と言われたこともあるでしょう。

小さな本番で、聴き手も弾いているあなた自身も、お互いに良い時間だったと思えるには、そのプログラムで演奏するのが初めてでも何十回目でも、忘れてはならないことがあります。いまあなたがしようとしていることは何であり(what)、何故それをしようとしているのか(why)、相手は誰なのか(who)、です。ここに何時(when)と何処で(where)が加わった5のWは、小さな本番のプログラムを、メッセージのある、コミュ力いっぱいのものにするための前提であり、マンネリに陥らないためのお守りになります。どうやって(how)は、その後についてくるのです。これを心と頭にとめて(考えて)、小さな本番に取り組み、頭を使う練習方法を見つけ出していきましょう。

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4. コミュ力アップのポイント確認「練習問題」

さあ、やっと練習問題です。

最初から、少しハードルが高いかも知れませんが、さっき「弦楽器がいやになってしまった」職員さんが実際に取り組んでいるプロジェクトを課題にさせてもらいましょう。

実は、今年3月、彼からの依頼でサントリーホール室内楽アカデミーのフェローで結成した弦楽四重奏団クァルテット・セレシアが、このプロジェクトでアウトリーチをさせてもらいました。フェローたちと担当スタッフの周到な準備のおかげで、この職員さんから「濃密な空気感のあるアウトリーチ」というお褒めの言葉をいただきました。「空気の薄いアウトリーチ」の話は、反省会の席で聞いたので、「もしうちのフェローたちが空気の薄いことをやらかしていたら、永遠に弦楽器の出番はなくなったかも・・・」と内心かなり焦りました。

4人がプログラムを組み上げるにあたって考えたことを参考にしながら、過程をひとつひとつ、見ていきたいと思います。

依頼内容は、次のようなものでした。

小学校1年生にクラシック音楽というのは、難しい課題のようですが、いきなり体育館で全校生徒というよりは、ターゲットも人数も絞られている上、音楽室という小さな空間で行うので、より親しく子供たちに接しながらのプログラムが可能です。

さて、こうした依頼を受けたとき、あなたはまず何を考えますか?

わー、小学校1年生だ、何を弾いたらいいだろう。

ひとりだと不安だな、誰かお話が上手な人に手伝ってもらえないかな。どうしよう・・・。

最後の「どうしよう・・・」というのが、最初に頭に浮かぶことではないかしら。つまり、ノー・アイディアということです。最初はみんなそうです。

今から14年ほど前、初めて小学校でアウトリーチをしたとき、今は某交響楽団のコンサートマスターである、当時の新進ヴァイオリニストは、こう言いました「みのさん、ぼくは何をしたらええの?」――問われた私も分かりません。苦し紛れに「いま思っていることを弾いて、語れ!」と答えました。――小さな本番を練習問題にするこの大作戦、初めの一歩は今も変わりません――「いま思っていること、それはなんだ」-what?です。次回はこのwhatを明らかにする練習から始めましょう。

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