音楽家のビジネス・マネージメント⑥(『若手音楽家のためのキャリア相談室17』)
箕口一美
お金の出入り管理編3「計画を実行に移すために、お金とどうつきあうか」
1. バンフ国際弦楽四重奏コンクール参加者との話から
(本稿は2010年『ストリング』誌11月号に掲載された記事の改訂版となります。)
若い音楽家にとって、夏は研修の季節。日本だけではなく、世界各地で夏のセミナーやセミナーのある音楽祭が開かれ、音楽に集中して取り組む時間を過ごした人も多いのではないでしょうか?
8月末からカナダ・バンフで行われた第10回バンフ国際弦楽四重奏コンクールでも、次世代の若手を育てるプログラムが行われていました。選ばれるのは、たった1団体。今回は、クリーヴランド音楽院のカライオピ(カリオペ)・クァルテットでした。
朝晩は雪も舞うカナディアン・ロッキーの町にコンクールに先立って約2週間ちょっと滞在し、公民館や病院に始まって、スーパーマーケットの売り場(精肉コーナーの前でモーツァルト!)や観光地の野外ステージまで、小さなコンサートを次々と行い、コンクールが始まると、錚々たる審査員たちのコーチングを毎日受けることが出来る。いっしょにバンフセンター(コンクール会場)に住み込んでいる北米の室内楽フリークたちのために行われるレクチャーでは、デモ演奏を一手に引き受け、各地の室内楽協会の有力者も多い聴衆たちにしっかりと売り込みも出来る。
このバンフセンター主催プログラム参加料は、すべて有料です。ただ、このプログラムに賛同した人々の寄付や助成によって、参加者自身は支払わずに済み、滞在費や旅費も賄ってもらえます。加えて、周辺コミュニティでの演奏に対して、ひとり1,250カナダドルの生活費(stipend)が支給されます。 若い演奏家、特に弦楽四重奏のキャリアの初期において、こうした支援の仕組みができあがりつつあるのはすばらしいことですが、この機会をゲットしたカライオピQは、単にラッキーだったわけではありません。
彼らの経歴を見ると、2009年に結成してから、本当に短い期間でこれだけの数のセミナーや研修会、マスタークラスを受けてきているのか、と驚きます。そのための準備に必要な時間(弦楽四重奏の練習時間は半端なものではないですものね)、そしてお金は大変なものだったのではと想像します。バンフのように旅費まで助成がつくということは稀で、たいていは遠隔地で行われるサマーセミナーに選抜されると、若者たちはみんな必死で旅費や滞在費を確保するために演奏の仕事を探す…。カライオピQの四人もきっとそんな日々を通り抜けて、バンフの2週間を手に入れたのでしょう。帰国の日、空港までのバスでいっしょになったヴァイオリンのティモシー・カンターは、すべての若い弦楽四重奏団が必ず口にする言葉を言いました――「今は大変。弦楽四重奏団は食えるようになるのに時間がかかるから・・・でも、続けるよ。ここでは本当にいろいろな人に会えた。それが何よりだ。あなたも含めてね!」―—最後にウィンクしながら、こう言ったティモシーくんは、もうすっかり弦楽四重奏団のCEO。どんな会話も売り込みにつなげる、君はエライぞ!
2. 将来計画を実行に移すには
さて、前回では、音楽家として生きていくあなた自身の人生の計画を立て、目標を持って仕事をする、ということをおさらいしました。今回はその計画を実行に移すにはどうすればよいか、ということを、お金という観点から考えてみましょう。
何をするにも「先立つものが必要」という言い方があります。この「先立つもの」とは、普通「資金」や「原資」、つまり「お金」を指します。音楽家を目指すあなたの場合には、ふたつの「先立つもの」が必要です。ひとつは、前回までに考えてきた将来計画です。アンジェラ(『Beyond Talent:音楽家を成功に導く12章』)がよく使う喩えを借りれば、「プロの音楽家として生きるという車に乗ったあなたが、どこに向かって走っていくかを見定めるドライブプラン」にあたります。そのプランを持って、さあ、出発!というときに、ガソリンが入っていなければ、車は走りません。もうひとつの先立つもの、それが「お金」であり、あなたがプロとして走るためのガソリンです。
将来計画を考えるとき、10年後という遠くの目標や夢から始めて、5年、3年、1年、半年とだんだん近くなるにつれ、具体的な達成目標を設定していく、と前回で書きました。「一番近い目標を実現させるための方法を考える」――遠いけれど、到着地を心に決めたならば、そこまで行くためにどんな道を選ぶのか――という、具体的な、今すぐ始められることを明らかにし、書き出し、優先順位をつけ、そして、その順番でひとつひとつ、実行し、実現していきましょう。
3. あるヴィオラ奏者の場合
あるヴィオラ奏者に、こんな話を聞いたことがあります。彼女は10代に入る前に、ヴィオラの音色に惹かれて、ヴァイオリンから楽器を持ち替えました。年齢の割に体格がよかったので、たちまちこの楽器に馴染み、先生もその成長ぶりに驚き喜んで、次々と新しいソロ作品に取り組むよう進言してくれました。
でも、彼女は、ソロはちょっと違うな、と思ったそうです。ジュニアオーケストラでヴィオラの声部がオーケストラ全体の音の色を見事に変える瞬間にいつもぞくぞくっと喜びを感じていて、ある日夏の勉強会で弦楽四重奏を初めて弾いたとき、同じ喜びを自分の意志で(指揮者がいなくて)作れることを知り、「わたしはクァルテット弾きになる!」とほとんど瞬時に決断してしまいました。そのことを先生に言うと「クァルテットは仕事にはならない、プロの仕事ではない」と諫められ、ソロ曲の勉強を続けるようにと強く言われたそうです。
あきらめきれなかった彼女は、町に1軒しかなかった楽器屋さんでクリーヴランド四重奏団のCDを見つけ、「え、プロがいる」と知りました。このグループがいるアメリカに行けば、プロになれる!もう留学しかない・・・とまた瞬時に決断。今度はもう誰にも言わず、ラジオの英会話講座で勉強し、音楽用語を英語にした単語帳を作って密かに持ち歩き、レッスンの行き帰りに暗記しました。留学出来るチャンスが巡ってきたときに、言葉が出来ないと行かせてもらえないと思ったからだそうです。
今彼女はアメリカで弦楽四重奏団に入って、夢を実現させています。いつかクァルテット弾きになると決意したとき、まだ10代半ばだった彼女が、留学という目標に向けて、まず最初に具体的に実行に移したのが、英語を学ぶ、だったわけです。実際、これは役に立ちました。高校生になり、アメリカから来た先生の講習会に参加したとき、うまく話すことは出来なかったけれど、先生の言うことは通訳の人よりわかっていたとのこと。このときの出会いがきっかけになって、留学のチャンスも得られたそうで、後になって聞いた話では、この先生が書いた推薦状の一行目に「アジア人の若者にしては英語がよくできる」と書いてあった由。ヴィオラの腕よりも、英語の方で音楽大学に入学できたのかも、と苦笑していました。
4. 小さな夢に向かっていくには:たとえば、留学という夢の場合
音楽の道を歩んできた人にとって、「留学」というのは、やはり大きな夢のひとつです。音大生のキャリアカウンセリングでも、一番よく出てくる話題のトップ3の中に間違いなくランクインしていて、将来計画を立ててみたあなたのドライブマップにも、「留学」の二文字があるのではないかしら?
今まで勉強してきた音楽が生まれた国、その街の風情や空気感、人々の生活の様子などなど、やはり行ってみて、そこに滞在してみて、実感したり納得したりすることがたくさんあります。
でも、反面よく聞くのは「留学したいけど出来ない、うちにはお金がないから、行かせてもらえない。」というフレーズ。奨学金制度や文化庁の在外研修を利用する方法について紹介すると「自分はそんなものをもらえるだけの実力がない」という答えが返ってきたこともあります。なんだか「お金さえあれば、実力がなくても留学できる」という風にも聞こえかねないですね。
先述したヴィオラ奏者の例を見るまでもなく、留学はもっと大きな、遠い目的を実現させるための手段、あるいは中間目標に過ぎません。しかも、仰るとおり「お金がなければ行けない」高価な目標でもあるのです。
「音楽家のビジネス・マネージメント④ 」で挙げた12の質問の続きに戻ってみましょう。 質問6:その計画を実現するために、お金がどれくらい必要ですか?
もし、あなたにとって、遠い大きな目標に到達するための通過点に「留学」があるならば、行きたい国、学校を具体的にして、学費や生活費、渡航費がどれくらいかかるかを「すぐに」調べてみましょう。
コンクールで入賞することを、近い目標に立てたならば、受けようとしているコンクールの開催時期、規則を調べ、参加のためにかかる費用(登録費や1次審査料、審査資料としての録音や録画にかかる費用なども含めて)から、そのコンクールを目指すための自分の研修費(特別レッスンや講習会の参加費など)を積算してみましょう。
リサイタルを開くことに決めたならば、会場費や印刷費、チケットの販売にかかる費用、広報・宣伝にかかる費用、共演者への謝礼、当日の手伝いのアルバイト料・・・等々を調べて、費用を計算してみましょう。
留学に備えて、語学研修を受けることに決めたならば、その方法とかかる費用をリサーチしましょう。語学学校へ通うのもひとつの方法ですが、一般的に一番お金がかかります。ラジオやテレビの語学プログラムが一番手頃ですが、自分でペースを作って、中断しないように続ける努力が一番必要なものでもあります。自分が続けられる、成果のあがる方法をじっくり考えて、それがいくらかかるかを計算しましょう。
自分の売り込み資料を作る(プロフィール写真をプロに撮影してもらったり、サンプル録音を製作したり)、自分のウェブサイトを立ち上げる、カライオピ・クァルテットのように、次々と講習会やセミナーを受けて実力を磨くとともに、ネットワークを広げる、等々、具体的な実施計画、今すぐに実行に移すことのほとんどに、なんらかのお金がかかります。どういうお金のかかり方がするかをじっくり考えて、書き出してみる、そして、実際いくらかかるかを調べて、これもどんどん紙に書いていきましょう。
ここで大事なのは、必ず書き留めること。漫然と考えているだけではだめです。走り出してから、ガソリンが足りない!にならないように。
質問7:質問3で作った過去3ヶ月の支出と、お金の使い方の傾向を見て、質問6の計画を実現するためのお金が出てきそうですか? 実際に必要なお金の金額をだいたい積算することが出来れば、この質問に答えるのは簡単ですね。もちろん過去3ヶ月の支出とお金の使い方の傾向を予め掴んでいることが前提です。
質問8:出てこないとしたら、どうすればいいと思いますか?(節約、貯金、など)
今の生活パターン、お金の使い方パターンが、将来計画を実現する、一番近い目標もクリアできない状況であるということは、あなたの生活が典型的「その日暮らし」になっているということです。音楽家という自営業者(音楽家に限らず、雇われずに仕事をしている人一般にそうですが)にとって、その日暮らしというのは、一種の慢性病のようなもので、慣れてしまうとそれ以上の努力をする力をいつの間にか失ってしまう恐ろしい病気です。誰も生活を保障してくれない生き方には致命的ですらあります。
では、どうすればいいと思いますか?
まず、これまでの支出傾向を徹底的に見直します。コンビニ買いのだらだら支出はありませんか? たばこやお酒といった嗜好品に使う金額は適正ですか? 外食の回数が多すぎませんか? 外食に頼らざるを得ないときには、1日の上限額を決めていますか? 携帯電話で使っていない有料サービスはありませんか? 2台目の携帯はどうしても必要ですか? 回数券などを使って公共交通機関の利用を少しでも安く抑えていますか?等々・・・。
固定的な支出で、節約できることは節約し、それ以外の支出が本当に必要かどうか、じっくり考える・・・これだけでも、少し貯金に回せるお金が出てくるはずです。それがほんの数万だったとしても、塵も積もれば山となる、です。千里の道も一歩からの精神で、こつこつと行きましょう。友達づきあいももちろん大切ですが、飲みを月4回から2回に減らして節約しつつ、その時間を練習や勉強に充てることで腕も磨くのだ、というくらいのつもりで。
出て行くお金を監視すると同時に、入ってくるお金についても考えてみましょう。 質問9:ところで、いまあなたは1ヶ月にどのくらい仕事をして、どのくらいお金をもらっていますか? 質問10:それは十分ですか、足りませんか?
近い目標達成のために、そもそも入ってくるお金が足りない、ということであれば、仕事を増やして、収入を上げる必要も出てきます。
でも、その前に次の質問を自分にしてみてください。 質問11:今の仕事の仕方で、自分の音楽面での研鑽を積む余裕(きちんと練習時間や勉強の時間をとる)がありますか?
この問いは、一生ついて回ります。音楽家という仕事は、ルーチン・ワーク(きまりきった手順の仕事)にはなり得ず、常に自分を磨き、その成果を仕事で提供していくもの。いつも、心のどこかにこの問いを置いてください。
とはいえ、プロの音楽家になるために、一時的に勉強よりも資金稼ぎになる時期も必要になります。もう少し仕事を増やして、お金を稼ぎたい・・・次回は「音楽家と副業」について、話を進めていきます。