音楽家のビジネス・マネージメント①(『若手音楽家のためのキャリア相談室12』)

箕口一美

次回こそは確定申告をしよう!

 

1.卒業シーズンに想うこと

(本稿は2010年『ストリング』誌4月号に掲載された記事の改訂版となります。)

誕生日が4月(お釈迦様のお誕生日といっしょです)なので、春に向かうこの季節は理由もなく前向きな気分になってきます。何かを始める、冬ごもりしながらじっと考えてきたことを行動に移す、新しい場所で暮らし始める―—卒業という節目を迎えた人には、4月のスタートまでの数週間は、6歳で小学校に上がって以来の学生という身分が終わり、未だ何者でものない自分に、ある種の解放感と、生まれたばかりのような落ち着きのなさと、薄日の下の陰のように這い寄ってくる未来への不安とを抱え込んだ、不思議な時間でしょう。

この頃になると、耳の奥から聞こえてくる音楽があります。マーラーの交響曲第3番。冒頭8本のホルンがフォルティッシモのユニゾンで鳴らすほの暗い開演の旋律から、最終楽章の慰めと励ましに満ちたコラールまで、この季節の温もり始めた空気とそれに混じる早春の花々の香りとともに再生されるのです。大学を卒業して、それまでひとつの躓きもなく来た道が、就職しなかったために全く先の見えない状況になることだけが決まった83年3月、まさにさっき描いたような気持ちで聞いたのが、小澤征爾指揮新日本フィルハーモニー交響楽団演奏のこの作品でした。場所は昭和女子大学人見記念講堂。もう四半世紀以上前のことです。コンサートの後、この状況でも十全の充実をもって歩み出そうと思ったものです。

音楽、特に生の演奏というものは、何十年経っても、まるでそのことが昨日のことであったかのような鮮烈な印象を残し、うなだれている人が自分の力で励ましと希望を見いだせるようにする、そんな力を持っているのです。そのときステージにいたある人は年老い、ある人はすでにこの世を去り、ある人は別の道を進み・・・でも、今も聞こえてくる音楽をつくって聞かせてくれたのは、そのときいた大勢の音楽家たちでした。

そんな音楽家になることを目指している皆さんひとりひとりに祝福あれ。わたしにとって、3月の終わりは、音楽と音楽家のみなさんの力と存在を改めて思う季節です。

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2.確定申告というイベント

3月と言えばもうひとつ、絶対に忘れられない日付があります。3月15日。小さな会社をやっている家に育った人間にとって、この日は12月31日と同じくらい大事な一年のしめくくりの日、つまり確定申告の〆切日。父がこの日に向けて、家の仕事場でじっと籠もり始めると家中が騒いではいけないという緊張感に包まれ、税務署に行く朝、母は火打ち石でも切りそうな雰囲気で送り出していたものです。無事申告を終えた日の夕飯はごちそうでした!

国に納める税金を「確定」させる申告が、それほど大げさなことなのかしらと不思議に思う人もいるでしょうけれど、音楽家という生き方の基本はフリーランス。ひとりの自営業者、一音楽家という小さな会社を経営するのと同じです。3月15日を一年の大きな節目とすることで、自分の仕事のやりくり、つまり私という音楽家の経営ぶりを振り返り、自分の人生設計=キャリア・マネージメントを見直すきっかけになります。

自営業が、学校や会社と大きく違うのは、自分の外側に従うべきスケジュールや計画がない、それも自分で考えて決める点です。気をつけないと、だらだらと、あるいは次々と仕事やそのための練習時間、打ち合わせ等々のスケジュールが押し寄せてきて、無計画な日々が続いてしまいます。自分の仕事=演奏や音楽に係わる仕事を、独り立ちする、食っていけるビジネスとするために、仕事カレンダー(学校だったら学事暦です)を自分で確立する必要があります。その節目に、3月15日を上手に利用しましょう。

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3.次の3月15日には確定申告しよう!

今号からは、音楽家のビジネス・マネージメントをテーマに何回か話を進めていきます。

アンジェラ・ビーチング『Beyond Talent:音楽家を成功に導く12章』の第10章「フリーランスのライフスタイル――仕事、時間、お金をマネージメントする」を読んでいただけば、ここで言おうとしていることの理由や意味をしっかり理解できます。ここでは、紙数の都合で細かく描ききれなかった、日本の状況とアドバイスを中心にしてみます。

第一弾は「次の3月15日は確定申告しよう!」です。

第10章9節が「税金入門」になっているので、本をお持ちの方はまず読んでみてください。この部分は著者の許可を得て、日本の「確定申告」の概要を説明しています。

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4.かけだしの音楽家が確定申告するとよい5つの理由

若い音楽家に会ったり話したりする機会があるたびに、必ず「確定申告してる?」と聞くようにしています。いきなり言われて鳩が豆鉄砲の人が多いのですが、みんなを思っての老婆心、いえ、母心なんですよ。理由は以下の通り。 ① 払いすぎた税金が返ってくる(はず) ② 音楽で仕事をするために必要な経費と生活するための経費(生活費)の区別がつくようになる。 ③ 自分が今生活していくためにどのくらいお金が必要か、具体的に見えてくる。 ④ 目標としていることを実現するために、お金を貯めるめどをつけることができる。 ⑤ 音楽を仕事とする人生設計を立てるめどが見えてくる。 ⑥ 住民税や国民年金、健康保険など、社会人として一人前の義務を果たす基礎ができる。

③~⑥は、次稿に譲り、まず①と②の話をしましょう。

「税金が返ってくる」を聞くと、大喜びの人と???の人に分かれます。???の人は、まだ仕事を始めて日が浅い人。お金をもらって仕事をするときのレッスン1は、「額面と手取りの違い」の意味を知ることです。

3万円の仕事と言われたのに、振り込まれたのは26,937円。この3,063円が「源泉徴収された」税金です。日本の法律では、音楽家が演奏という仕事を提供した対価として支払われる「報酬」は、支払元つまりあなたに仕事を依頼した契約相手の責任で、支払う前にあらかじめ税金(所得税と復興特別所得税*)を引いて、報酬の受取人(あなた)に代わって税務署に税金を納めることが義務になっています。(*復興特別所得税というのは、平成25年1月1日から平成49年12月31日分まで徴収されるもので、税額は所得税額の2.1%になります。)

この仕組みを「所得税の源泉徴収」といいます。所得税は国税といって、国に納める税金です(このほかに自分が住んでいる都道府県市町村区に納める住民税があります。これは別途、所得税を元に計算されて、6月ころに確定通知が来ます)。

報酬として払われる3万円を「額面」といい、実際受け取った金額を「手取り」といいます。これは、音楽の仕事の常識ボキャブラリーですから、覚えておきましょう。

先払いとして源泉された3,063円も、あなたが仕事でしっかり稼いだ「収入」の一部。あなたが確定申告をするまで、税務署が「預かっていて」くれていると考えましょう。

引かれる税金は、1回に支払われる報酬額が100万円までは額面の10.21%、100万円を超えたら、100万円までの部分は10.21%、超えた分には20.42%になります。【詳しくは国税局ウェブページを参照ください。】これも一応常識として知っておきましょう。

以上を纏めれば、 レッスン1:演奏の仕事の報酬から、あなたは税金を先払いしています。

さて、一年間一生懸命演奏の仕事や演奏以外のアルバイト(副業)を組み合わせて、仮に100万円の収入を得たと考えましょう。ここで言う一年間は、4月から始まる1年ではなく、カレンダーと同じ1月から12月の1年です。税金を計算する1年はカレンダーといっしょです。

副業アルバイトの場合、お金を「報酬」ではなく「給与」(給料)という形でもらうこともある(給与のときは税率が違う場合がある)ので、多少の違いはありますが、あなたはもう約10万円の所得税を先払いしていることになります。

このままなにもしなければ、この約10万円はあなたが納めた税金となります。めでたし、めでたし、よいコクミン!

でも、ちょっと思い出してください。先の3万円の仕事をしたとき、会場までの往復交通費が1,500円かかりました。夕食に買ったお弁当が800円、ストッキングが伝線してしまったのでその場で買い換えたのが600円。そういえば、直前に弓の毛替えもしたっけ、もらった金額くらいかかっちゃった・・・。こうした費用は、すべてあなたがその演奏の仕事をするために必要なものでした。

このように、仕事をするためにかける、仕事に不可欠な費用のことを「経費(コスト)」といいます。「報酬」で仕事をしている人は、その仕事の準備や必要な道具(楽器)、知識や情報を集めるための資料、仕事を得るために使った電話代や契約相手の求めに応じて渡したプロフィールや写真など、お金をもらうために、お金をかけます。こうした費用は、もらった「報酬」の中から出していくわけです。

税金の考え方は、「収入」からその収入を得るために使った「経費」を引いた「所得(実際にその仕事から得た利益)」を元に、税金の金額を計算するというものです。ですから、「源泉徴収」されたままの税金は、交通費、弁当代やストッキング代のことなど考えてくれません。本当は払わなくていい分まで払ってしまっていることになります。単純に計算しても、3万円から2,900円引いた、27,100円の10.21%でいいはずですよね。この差額が払いすぎの税金です。塵も積もれば山となるのたとえ通り、払いすぎた分を返してもらわなければ、と思うのが自然ですよね。

というわけで、これだけの収入を得るのに、これだけ経費を使って、実際の「所得」はこれだけでした、と税務署に知らせるのが、「確定申告」なのです。

たいていの場合、特に若い演奏家の場合は、払いすぎているケースがほとんどです。

ついこの前も、以前いっしょに仕事をした若い金管楽器奏者からメールが来ました、「おかげさまで9万円、返ってきます!」わたしのおかげではなく、1年間こつこつと仕事をして、収入と経費を管理し、ちゃんと確定申告をした自分を褒めてあげてね、と思いました。返ってきたお金でぱーっと飲みにいくのではなく、次の自分のステップアップにつながる投資に使ってほしいものです。

レッスン2:確定申告は、払うべき正しい税額を決められた仕組みに従って計算し、税務署に知らせること。

確定申告に必要な書類や提出物などは、国税庁のホームページを見れば、一年中いつでも説明が出ています。 「国税庁 確定申告書等作成コーナー https://www.keisan.nta.go.jp/kyoutu/ky/sm/top#bsctrl【2019年3月現在】

上記ページから「作成開始」>まずは「印刷して書面提出する」>「平成●年分の申告書等の作成」>「所得税」を選択し、音楽家の確定申告は、「給与・年金意外の所得のある方(全ての所得対応)」で入力作業を行います。

提出書類の中には、確定申告書の他に、一年間に得た収入と先払いしている税金(源泉徴収額)をまとめて書くもの(所得の内訳書)や、経費を「科目」別に分けて記入するもの(収支内訳書)があります。「科目」の欄には、「租税公課」「荷造運賃」「水道光熱費」「旅費交通費」「通信費」「広告宣伝費」「接待交際費」「消耗品費」等々が並んでいます。

問題は、こうした用語の意味を理解し、手引きに書いてある通りに書類を書き込めるようにするまでの準備。つまり、一年間の収入が一目でわかるように「収入記録」をつけ、仕事のために使った経費が、税務署が言う「科目」または費目別に整理されて、総額がわかるようにすること。最初の1年は慣れるまで戸惑いも多いでしょうが、1年後の「大喜び」を目指して、今から始めましょう!

はじめの一歩は、「収入記録」と「経費帳」。こどものときにつけたお小遣い帳を思い出しながらスタートです。次回は、こうした記録の付け方、経費と生活費の見分け方から始めましょう。

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