「自分のテーマを見つけるということ」 (第 2 回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)


3. 海外での活動

3.1. 日本現代音楽の伝い手として

続いて今話が出ました、海外での音楽活動についてお話したいと思います。皆さんの中には留学をされた方、これからされる方も多いことでしょう。先輩の話を聞くこともあるでしょうから、海外の様子はなんとなく掴めているのではと思います。私の場合は、現代日本のピアノ作品をたくさん演奏してきたこともあり、最初のうちは特に、それらを海外できちんと知っていただきたいという意識が強くありました。日本の音楽というと、普通、やはり伝統音楽を想像しますよね。実際、お箏や三味線などの邦楽器や雅楽、歌舞伎、太鼓のアンサンブルなどは、結構頻繁に多くの国に出かけていらして、認知も広がっています。これが日本の音楽、というように認知されていると思います。生け花、茶道もそうです。こうした普及はもちろん素晴らしいことなのですけれど、今自分の周りで生まれている音楽を、同じ時代に生きている人たちと共有したいという思いを強く持ってきました。今でもこの気持ちは基本的には変わっていません。

3.2. 交流イベントの実施

海外公演のときには、ソロのリサイタルだけではなく、できるだけ現地の方や演奏家との交流イベントも実施するようにしています。一緒に日本の作曲家や現地の作曲家の作品を弾いたり、レクチャーやワークショップを開催しています。

なかでもカイロでのワークショップは本当に面白かったです。イスラム教でスカーフを被っている人が並んでいるなか、音楽院なので小さい子から大きい子までいて、日本人を見たことないので小さい子たちが面白がってはしゃぎまわっていました。それは楽しかったです。月並みの言葉でいえば、どうしたらお互いに歩み寄って交流することができるかと考えます。何か共通するものを共有したり、あるいは異なるものでもお互いにどういう風に知っていけば面白いだろうかなどと模索して、なるべく実践するようにしています。

3.3. 海外交流から次なる交流へ

それから、海外公演を通して得たものを、今度は国内で日本の人たちに聴いてもらいたいと思うようになりました。そこで、現地で知り合った作曲家の作品を日本に持ち帰り、リサイタル・シリーズや「MUSIC DOCUMENTS」で取り上げるようになりました。あるいは向こうで知り合って興味を覚えた作曲家に新作を書いてもらったこともあります。そうすると、渡航費を捻出することはとても大変なのですが、彼らもなんとかお金を工面して、日本に来てくださいます。またさらに、今度は彼らも日本で私以外の音楽家や、美術家、アーティストたちと知り合うことになります。さらに日本人の音楽を彼らが持ち帰ってくれて、自分の国で演奏してくれたりもします。するといっそう、自分の周りで生まれている音楽を同時代の人と共有できる可能性が広がるわけです。

海外で共演した人を、日本に招いて再びコンサートで共演するということもやっています。たとえば昨年は「MUSIC DOCUMENTS」で、仲の良いスイス人ピアニスト、ヒルデガルド・クリーブHildegard Kleebさんと旦那さんのトロンボーン奏者、ローランド・ダヒンデンRoland Dahindenさんの2人をお呼びして、一緒にコンサートをしました。それから、彼ら2人のデュオもやっていただきました。即興演奏をたくさんやるお二人です。彼らも日本に来ることによって、こちらのアーティストと知り合いますので、お互いに行き来があって、表現の可能性が広がります。こういう音楽家同士の芸術交流というのは、商業ベースには決して乗りません。ですので、派手さはありませんけれども、内容は確実に先進的といえます。

こうした交流では実際にお金のことで頭を抱えます。日本人みたいに几帳面でない国民性の人もなかにはいらっしゃるので、蓋を開けてみたら、何それ?と茫然とすることもあります。大抵何かが起こりますけれど、みんな感じ方や考え方が違いますし、仕事するペースも違いますし、行動の様式も違いますので、しょうがないです。そうした違う者同士が一緒に仕事するためにはどうするか、どういう風に成り立たせていくかということを考えてやっています。知恵というよりも、アイデアを生んでいく感じです。

3.4. 海外活動の流れ、助成申請

私が初めて海外で演奏したのは1983年で、フランス、ブールジュ実験音楽祭に出演したときのことでした。電子音楽の先生で、私が大学院で教わった住谷智先生が推薦してくださり、マルチメディア作品のピアニストとして演奏しました。

それから16年後にあたる1999年に、初めて国際交流基金から助成していただきました。これはヴァイオリニストの手島志保さんとのデュオ・コンサートでした。フランスと、イタリア、ドイツを周りました。それ以降はすべて、ソロ・リサイタル公演でいくつかの組織から助成をいただいてきました。

2002年にヨーロッパとエジプト、2005年にエジプト、2011年にトルコとアメリカ、2012年にアルゼンチン、2013年にスイス、2014年にアイルランド、アルゼンチン、アメリカ、2015年にドイツとスイス、2016年にドイツで、公演活動をしてきました。

2012年アルゼンチン公演


2011年NY公演 リハーサル風景

2014年アメリカ公演


2014年アメリカ公演

この2017年も秋にヨーロッパで公演するのですが、国際交流基金から助成いただいています。国際交流基金は公的な機関ですので、きちんとした文書のやり取りが必要になります。また公平性を保つために、一個人や団体に3年連続して助成しないという規則があるようです。私の場合、2014~15年と助成いただき、2016年度は申請せず、1年空いたので、今年また申請し、いただけることになりました。他には野村財団からいただいたことがあります。

3.5. 海外公演の企画と準備

2000年以降の海外活動で開催してきたコンサートは、60回以上になりました。その内容は、何らかのテーマを新たに設定することもあれば、東京でのリサイタルをもとにプログラムを組むこともあります。先ほどお話したモートン・フェルドマンの《バニータ・マーカスのために》をブエノスアイレスとトリーアからリクエストいただいたように、招聘先から演奏曲のリクエストが届く場合もあります。

この2017年11月に予定しているイギリスやドイツでの公演の一部では、3月のリサイタル・シリーズでやった近藤譲さんのプログラムをもとにして、曲を若干加える形で演奏会をする予定です。現代日本のピアノ作品でリサイタルをしようと思う場合は、このように大体プログラムの軸になるものを何パターンか考えておいて、それに肉付けをしていく形をとります。

また新たにテーマを立てる例としては、直近では6月にアイルランドにて、アイルランドと日本の両方に縁があった小泉八雲つまりラフカディオ・ハーンをテーマに据えたプロジェクトを始動します。アイルランドと日本の作曲家2人ずつに、ハーンの書いたテキストの一篇に作曲していただき、ピアノと朗読者で演奏するという企画です。これは、もともとアイルランド側からラフカディオ・ハーンのテーマで依頼されたもので、企画内容をこちらからも提案し、このような内容となりました。今年9月から10月にかけて同じ企画を東京と松山でも行います。


2017年アイルランド公演

こうした公演は、やはり準備にとても時間がかかります。どうしたらより良い公演になるか試行錯誤します。そして大体2、3年ぐらい前から構想を始めます。関わる音楽家たちと実際に会ったり、メール上でディスカッションして、プログラムを決め、必要なものを準備したりと、プロジェクト・コンサートを作り上げていきます。ですから、1つの公演を実施するために、本当に随分長い時間をかけています。

実際には、複数のプロジェクトを平行して進めています。たとえば、現在は、3つの大きなプロジェクトを進めています。1つ目は来月行くアイルランドの最終調整です。結局3種類のコンサートのプログラムを持っていくことになりました。プロデュースのほか、私は当然演奏者でもあるので練習をしています。2つ目は、11月のヨーロッパ公演に向けて必要な段取りを踏んでいます。3つ目は、日本国内の定期的なシリーズの進行となります。ですから複数のプロジェクトを同時並行で少しずつ進めています。こっちは今ゆっくりでいいけど、こっちは先に集中して済ませてですとか、これは終わったから、次はこっちをやらなきゃとか、バランスを取りながら進めています。

3.6. 助成申請時の大切なポイント

最後に助成組織に提出する申請書について少しお話しましょう。助成金をいただくための書類は、本当に準備が大変です。申請書には、嘘、つまりできないことは書いてはいけません。記入漏れがないようになど、基本的なことに気をつけて、こちらの意図が相手に良く伝わるように書きます。自分のプロジェクトの目的や意図をよりわかってもらえるように、客観的に見たらどのように見えるのか気を付けながら書くとよいでしょう。結局は、自分の音楽活動の実質が、こうした書類作成に繋がっていきます。つまり音楽家としての実質があるということが大前提となります。それは社会的信用ともかかわります。社会的信用は、コンサートをはじめ、一つ一つの事柄を誠実に行っていく積み重ねによって得られるものだと思います。そしてこの社会的信用を得るためには5年はかかると思います。ということは、若い頃、特に活動を初めて5年間は本当に大変だと思います。ですからどうぞその間はうまくいかなくても、辛抱して続けてください。社会的な実状として5年間は、有意義であることが分かっていても、お金が助成できないということがあるのです。5年経ってちゃんと実質ができてきたなと思われる頃、得られるものを得て、活動しやすくなっていくと思います。

先日、テレビを見ていましたら、海洋生物のフジツボを研究している人のインタビューをたまたま目にしました。その方は50代で、20代から今まで2種類のフジツボを研究してきてやっと終わったのだそうです。それでインタビュアーに、あと1種類くらいしか研究できない、と話しているわけです。私も50を過ぎていますから、その話を聞いてすごく腑に落ちるところがありました。私の人生もあと20年くらいかと思うと、あと何ができるのかと本当に思うようになります。何にでも長い時間と手間がかかります。些細なことしかできないかもしれません。しかし人生ももちろん、この世界もその積み重ねだと思います。ですから皆さんも、我慢することはいっぱいあることでしょうが、どうかめげないで、皆さんの道を見つけて進んでいっていただきたいと思います。頑張ってください。

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