「アウトリーチ活動の意義とこれからの課題」(第6回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)
9.「上田電鉄別所線」電車内コンサート
一昨年、長野県の上田市に行きました。新しいホールができて今4年目です。上田は大河ドラマの真田丸で有名ですね。上田には上田駅から別所温泉という有名な温泉があり、そこに上田電鉄別所線という25分の電車が走っています。なんとその電車の中でコンサートをしました。
演奏したのは、私とサックスの田中靖人くんでした。上田市に電車がとても好きな担当者がいたので、「電車の中はどうですか?」とこっちが冗談のつもりで言ったのですが、担当者が本気になってくださり、アウトリーチが成立しました。
ホールも温泉も上田の名物です。も上田の名物です。ホールに来たお客さんが温泉にも寄ってみよう、温泉に来た人がホールにも寄ってみようと相乗効果で仲良くなるきっかけにするということで電車の中でコンサートをしました。
町に告知はしましが、有料公演ではなく切符で入れますから、別所温泉で降りる人は490円、入場券だけの人は140円で乗ることができました。電車の中の吊り広告を全部私たちのポスターにしてもらい、一番後ろにステージを作りました。
皆さんも知っている東急線の古い電車が使われていますので、少し茶色いのと少し金色がかったロングシートが二つあるあの感じです。
告知を見た高校生も来ていましたけど、たまたま名古屋から旅行に来ていましたというお客さんがいたりして、「これ毎日やってるんですか?」と言われました。
我々が選んだのは月曜日の13時50分発の電車で、この時間はいつも乗客が少ないということもあって、そこでお客様を集めて仲良くなって、ホールにも来てくださいというアウトリーチをしました。
YouTubeの動画は、本来は当然、電車の中の騒音しか聞こえませんので、映像だけ映して、私たちの録音をかぶせています。電車の揺れはもちろん演奏には不向きですので、なるべく跳躍のある曲は避けて、必ず鍵盤の上に手がある曲を選びました。
サックスも暗譜している曲だけにして、コントラバスの椅子をかっちりテープで固めて、左足をひっかけておいて、体を傾けながら吹いていました。演奏は25分です。
いずれにしても、町のため、人のため、作品のため、この3つの価値の中で、何かの意味では満たしていたのかなという気がします。
10.模擬アウトリーチ
ここから実際のアウトリーチをしてみたいと思います。小学校に行った場合のアウトリーチをこれから疑似体験してもらいます。皆さんに5‐109教室の5年1組の生徒になってもらいます。
アーティストによって伝えることも様々ですので一つの参考にしていただけたらと思います。何回も何回も経験するうちに自分のスタイルができるようになります。
① 感覚を開く
私は大体、拍手でお迎えください!のアナウンスで登場します。
登場したらまずコルトー編のバッハを演奏します。耳を澄ませるということで、子供たちと初対面でも一つになるということができます。音楽にいつも囲まれて生きている割には自発的に耳を澄ますことはあまりないように思います。
今日はみんなで耳を澄ますことから始めましょうということで、無言でバッハを弾き始めます。
そしてバッハの肖像画を見せて、「面白いヘアスタイルをしています。」「みんなのお父さんとかお友達でこういう人いますか?」とか「じゃあ明日からこうして来たい人いますか?」と少しずつこの時代の話に繋げていきます。
耳を澄ますことから始まったので、意識はみんな耳に集中しています。
次によく弾くのがドビュッシーの《水の反映》です。
耳で判断するものは何かというと、〈音の長さ〉と〈大きさ〉と〈音高〉だけです。他のものは耳では判断しません。でもその3項目で音楽は楽しいでしょうか?
耳じゃない感覚は、例えば「綺麗な音がするね。」とか、「なんか甘ったるい音がするなぁ。」とか色んな感覚を耳と連動しながら誘発します。ですから音楽は無限に面白いという話をします。
そして、感覚を全部開くために、水面があって、月が光を落としていて、ここに風が吹いてきて、木々の香りがして、七色の光が閃いて、という状況を説明したうえで、《水の反映》を聴いてもらいます。
曲を変える場合もありますが、ほとんどこのパターンで、体を全部開いてくださいと話をしてから聴いてもらいます。
② ソナタについて
次は時代を遡ってモーツァルトのソナタを弾きます。
今度はソナタ形式を紹介して、なぜこれが美しいとされるか、人間はなぜこれに夢をはせたかという話をします。良く弾くのがモーツァルトのK.310のa-mollソナタです。
この後解体ショーをしてピアノの歴史や構造を全部話した後に、ラフマニノフのcis-mollのプレリュードを弾きます。
私にとってはコンパクトな時間でピアニッシモからフォルティシモまで低音から高音まで色んな音が網羅できているという意味で、この曲を選ぶことが多いです。
この時点で、色々やっているとたぶん授業45分のうち40分近く経っています。授業の中で演奏は20分くらいです。
最後はラグタイムを弾いたり、ルロイ・アンダーソンのピアノ曲を弾いたり、みんなで歌を歌ったりして終わります。それまでの4曲にはすごい工夫をして最後は楽しい時間で終わります。
③ 模擬授業
今日の模擬授業では途中のモーツァルトの部分と、ラフマニノフの部分をやってみたいと思います。
このタイトルを見て、こんな感じの曲というのがわかりますか?
《水の反映》はわかりますか? アリオーソ(arioso)は小さな歌という意味だから綺麗なメロディということがわかります。
ピアノソナタ第8番というタイトルを聞いて、「かっこいい」と思いますか? わかるとしたらイ短調だからmollということはわかります。
この曲はすごくよくできた良い曲です。素晴らしい曲だから今日持ってきました。
ケッヘル(K)というのはケッヘルさんという人の名前です。モーツァルトはたくさんの曲を書いてそのまま亡くなってしまったので、ケッヘルはこの順番だろうなと番号を振りました。
「ソナタ」は聞いたことありますか? ソナタ形式には色んな約束があるのですが、せっかくだから今日は聴きどころの種明かしをしてから聴いてもらいたいと思います。
ソナタという形には、大事なメロディが二つあります。今日はその二つのメロディをまず取り出して弾いてみたいと思います。
まずこのソナタ第8番の二つのテーマですが、曲の最初に現れるテーマはこういうテーマです。
♪~ 【譜例7】
こんなテーマです。こうして曲の内容が少しわかってきました。このテーマを聞いてどんな感じがしましたか?急に言葉にするのは難しいです。例えば私は、力強く前に進んでる感じがします。
(学生Aの感想)「悲しい」
(学生Bの感想)「暗い」
(学生Cの感想)「重い」
みんなの答えは全員正解です。私はこう思ったけど間違いかしらということはありません。かっこいいと思ったらかっこいい、悲しいと思ったら悲しい、曲には言葉がついているものではありませんので、感じた通りが正解です。
このテーマがしばらく展開していくと、次の2番目の大事なテーマが現れます。こんなテーマです。聴いてみてください。
♪~【譜例8】
どんな感じがしますか?
(学生Aの感想)「かわいらしい」
(学生Bの感想)「明るい」
(学生Cの感想)「スピードが速い」
2番目のテーマのように「かわいらしい」「明るい」「スピードが速い」、そうかといえば、1番目のように「悲しい」「暗い」「重い」と、一つの曲の中でも対照的な感想が出てきます。
ちょっと不思議な感じがしませんか? でも良く考えてみたら、我々も一つの体しかありません。
時間の経過とともに、悲しくて暗くて重い気持ちにもなります。かわいくて明るくてスピードが速い感じの時もあります。
自分の体は一つなんだけど、その中に色んなことを思い描く、色んなことを積み重ねて経験をしていく、その経験というものが人間というものを面白くしていきます。
そして、このクラスも全員が同じことが得意で、同じことが苦手ではないです。それぞれいいところがあります。そのいいところをみんなが活かし合うからみんなしかできない美しいクラスができます。
モーツァルトという素晴らしい芸術家がソナタという形で示してくれたものは、違うものが同居して助け合うことによって、素晴らしいものができる。こういう人間の美しい作業を曲として表してくれたのがこのソナタという形です。
④ ソナタのテーマに耳を傾ける
もう一回第1テーマと、第2テーマを聴いてください。
♪~(第1テーマ)
♪~(第2テーマ)
今日はこのソナタの二つのテーマを追いながら聴いてもらいたいと思います。
耳で二つのテーマを追うように、冒険するように聴いてみてくれると嬉しいです。
タンタータタンというリズムが出てきたら、暗くても明るくても第1テーマです。
タカタカタカタカと細かい音符が動いたら第2テーマです。
今は第1テーマのような音型が聴こえるな、今は第2テーマのような音型が聴こえるなとか、両方一緒に弾くこともできます。片方が第1テーマで、片方が第2テーマという感じで、自分でストーリーを作りながら聴いてくれると嬉しいです。ではモーツァルトのピアノソナタ第8番、イ短調K. 310第1楽章を演奏します。
みんなは二つのテーマを追えましたか?
我々人間は2人以上、複数の人間が集まると、色んな意味で切磋琢磨して競争して戦いをしてきました。
そして、技術や知識、性格性やスピード、色んなものをみんなで戦いながら向上させてきました。素晴らしいことです。
ですが、戦って得た技術や知識というものは、人のために使わないと意味がないです。勝つことがゴールではないということです。
これで得たものというのはぜひぜひ人のために使いましょう。
今の二つのテーマ、戦わずに協力しています。音楽というものは戦いがなく美しく共存する姿である。ということが一番わかるのがソナタです。
モーツァルトが生きた時代というのは、産業革命といって、だんだんと人々が便利になっていった時代です。
長い間、手間暇かけてやってきたものが、スイッチひとつでできるようになりました。そんな便利になっていった時代に、我先に近代化しようとして、ついつい時間をかけることや、心を込めて手をかけたことを忘れがちな時代でした。
モーツァルト、ベートーヴェン、ハイドンといった古典の時代、ソナタをたくさん書いた人たちというのは、協同することが大切だよということで、ソナタという曲を我々に残してくれました。200年経った今でも我々にとっての課題として響く作品ではないと思います。
みんながこれから出会うだろう交響曲や協奏曲とか、室内楽で、二重奏曲、三重奏曲、四重奏曲というタイトルがついていたら、第1楽章は大体このソナタで書かれています。そういう曲に初めて出会う時には、早く2つのテーマを見つけて、それがどうやって協力しあっているかという姿を思いながら聴いてほしいと思います。
⑤ ピアノ解体ショー
今まで弾いてきたピアノですが、このピアノ何でできていますか?
何の木でできているでしょうか? 正解は【松】です。
松だけではありません。松、楓、ブナ、楢の木などたくさん使っています。
みんなから見てこのピアノ床と平行の木、鍵盤、響板、これは全部松の木です。
横側にぐ~っと曲がっている木はブナの木です。ブナの木というのは模様が汚いんだけど、楢の木を一枚綺麗に貼っているので綺麗な模様が出ています。
中にはたくさんの楓の部品が使われています。
松の木がピアノになるまでは大変です。
なぜかというと、水の中に12年浸けておきます。松は自然に生えていて、いらない物がたくさんついているので、ばい菌がいるかもしれなません。そして松には松ヤニという油のようなものがついています。そういう物を全部長い時間かけて洗い流します。そして綺麗になったら8年外に干して、やっとピアノの木になります。
今は技術が進んで、もう少し短い期間でできますけど1・2年ではできません。
みんながいつも大切にしていてくれるピアノ、これからも大事にしてもらおうと思ってこんな話をしたんだけど、みんなから見ると黒い箱です。
こっちに(舞台から右手)座っている人はみんな私の手が見えたと思いますが、ここからは音は出ていないんです。どこからともなく音が聴こえてくる。今日はみんなに特別にピアノの音が出るしくみの部分を見せたいと思います。
これからピアノを色々触ろうと思うのですが、ズボンにはベルトがあったり、ボタンがあったりするので、ピアノを傷つけないためにビストロエプロンをつけます。
(鍵盤部分を取る作業)
はい、どうぞ、触ってみてください。ここの鍵盤とここのテコになっている部分の模様が違うのが分かりますか? しなりが必要なところには松、しっかりとしたいところには楓、色々な研究でこうなっています。小学生の男の子は全然離れないで見ていることがあります。本当はこれを全員で回して、先生方にも回しています。
今から約300年前イタリアのトリノという町で小さなピアノが生まれました。でもそのピアノは今のような立派なものではなくて、鍵盤の数も半分くらいで、音も全然鳴らず、最初から人気があったわけではありません。だんだんと発展して、今から170年ほど前に今の形になりました。これ以降の人は、この立派なピアノを使って作曲をしたり、演奏をしました。
今日は色々な作曲家のなかから、ラフマニノフというロシアの作曲家の前奏曲を演奏します。
ラフマニノフは1873年生まれですので、すでにこのピアノがあるときです。ラフマニノフはもちろん若い時からピアノも上手で作曲も上手だったのですが、何よりも体がすべて大きかった人です。身長も2メートルくらいあって、足のサイズも30㎝くらいありました。
何よりも大きかったのが手で、ドからド(1オクターブ上)を超えて、ドからソ♭までが片手で届いたそうです。
私の手も日本人では大きい方ですが、それでも頑張って、ドからファです。ラフマニノフがこの曲を弾くと、大きな手が空で宙を舞って見えることからこの曲はとても人気を博した曲です。
♪~ ラフマニノフ 《前奏曲》Op.3-2
最後の方に聴こえたこの音を覚えていますか?(♪低いド#)
これはラフマニノフが活躍したロシアにあります、クレムリン宮殿の鐘の音を聞いて書いたと言われることもあります。「鐘」というタイトルもついています。