「アウトリーチ活動の意義とこれからの課題」(第6回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)

音楽総合研究センター シンクタンク機能・社会発信室では、卒業後の活動を視野に入れた支援として、2017年度より旧音楽創造・研究センター主催のもと特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」という講演会シリーズを開催しております。こちらのページでは、2018年度の第6回特別講座でご登壇いただきました白石光隆先生のご厚意により、その模様を講演録として掲載いたします。
これからプロの音楽家をめざしたい方、卒業後にフリーランスのアーティストとして活動していきたいと考えている方々に、ぜひ参考にしていただきたいと思います。

第6回 特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」
音楽総合研究センター シンクタンク機能・社会発信室〈講演会シリーズ〉第6回
2018年6月1日(金)18:00 ~ 20:00
東京藝術大学音楽学部 5-109教室

講師 白石 光隆 先生(本学非常勤講師・ピアニスト)


テーマ「アウトリーチ活動の意義とこれからの課題」

●講演の流れ
0.はじめに 
1.発想の展開
2.学生時代から現在
3.アウトリーチとは?
4.演奏活動の意義
5.アウトリーチ価値
6.アウトリーチの現場
 7.宗像市のアウトリーチ
 8.宗像市でのアウトリーチ紹介
9.「上田電鉄別所線」電車内コンサート
10.模擬アウトリーチ
11.まとめ

※♪は白石先生のピアノ演奏

0.はじめに 

♪1 ベートーヴェン”《悲愴》第2楽章”

皆さんこんばんは。今日は皆さんとともに音楽を通して、色々なお話を通して楽しい時間になればと思います。私も演奏家なので、演奏家としての意見しか言えませんが、人によっては演奏をコーディネートする側、応援する側として本日の話を聞いていただきたいと思います。これからお見せするのは、私が常日頃行っているアウトリーチの模様そのものです。それでは、始めましょう。

1.発想の展開

まず、先ほど演奏した曲はベートーヴェンの《悲愴》のソナタ第2楽章でした。ベートーヴェンは1770年に生まれて1827年に亡くなりました。モーツァルトやハイドンのようにかつらを被っている時代から、ベートーヴェンのようにかつらではなくなる時代、この移行期に入ります。1789年にフランス革命というのが起こり、庶民にも平等に芸術を楽しめる時代がやってきました。この時はまだ王侯貴族しか楽しんでなかった時代です。ベートーヴェンが19歳の時に革命が起き、生活が一変する、そんな時代でした。

《悲愴》第2楽章から、ベートーヴェンが生きた時代や「悲愴」というキーワードが出てきました。

 この曲を聴いたら、あれに似ている、あれと同じ、あの形とかキーワードがたくさん出てきますね。

例えば、この作品13はC-mollのソナタで、第2楽章がAs-durです。ベートーヴェンはドイツ人ですが、ウイーンで活躍した人です。また、チャイコフスキーにも同じPathétiqueというタイトルのついた交響曲があります。

そして、このソナタ1楽章に、♪~【譜例1】、今弾いている第2楽章は、♪~【譜例2】、第3楽章は、♪~【譜例3】、全部同じ動機で結ばれているから、3つの楽章が統一されています。♪ソ、ド、レ、ミ♭、【譜例4】こういうフレーズです。この動機で曲ができています。

【譜例1】

【譜例2】

【譜例3】

【譜例4】

今《悲愴》第2楽章を考えただけでこれだけのテーマが出てきました。
みんなどれかに興味あるでしょ?
調性に興味がある人、音階に興味がある人、ドイツ・ウイーン、ロシアという国に興味がある人、作曲者が生きた時代、先ほどのフランス革命の区分に興味がある人もいます。ソナタという形に興味があるかもしれませんね。歴史も入っているし、地理もあるし、メロディや曲の成り立ちなど、音楽だけでなく物理的なものもあって、つながりを展開していくと音楽以外のありとあらゆる領域を全部網羅しています。

チャイコフスキーの《悲愴》も♪~【譜例5】、ベートーヴェンの《悲愴》冒頭も♪~【譜例6】と、どちらも同じテーマでできていることに気が付きます。

【譜例5】

【譜例6】


これからひとつのやり方として、こういう発想で音楽をどんどん展開していくことで、知識とか感覚をどんどん磨いていってほしいです。

マンダラートって知っていますか?
今メジャーリーグで活躍している大谷選手がいます。大谷選手の場合でお話しますと、まずマスを9つに区切ります。真ん中にピッチングを置いてそれから連想されるもの、カーブとかストレートとか、それから球種だけじゃなくて顔つきとかを連想していきます。怖い顔したら怖いボールが来るから、ニコニコ投げるより怖い顔の方がいいなど色々あります。

今度は、左上のカーブというのを真ん中において、発想していきます。中心に置いたものから発想を広げていくことをマンダラートといいます。大谷選手は高校の時から、マンダラート方式で色んな発想をどんどん広げて、自分がこの球を投げるためにどれぐらいの発想が必要かいつも意識しながら練習したそうです。

音楽も似たように、いつもマンダラートにしなくてもいいけれど、《悲愴》の第2楽章だけでこれだけの発想が生まれるということです。


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2.学生時代から現在

私は15歳で藝大附属高校に入学して、藝大の大学・大学院に行って、弦楽科の助手を3年間務めた後、ピアノ科の非常勤になりました。ですので、なんと20年も非常勤をしています。15歳から始まって、約32、3年藝大に関わっています。自分の人生の3分の2が藝大と関わっているということになりますので、これから藝大を巣立っていく人たちに向けて、一先輩としてお話させていただきます。

昨今、芸高生にも素晴らしい後輩が生まれてきていますが、私が芸高に入ったときはどういう状態だったかというと、私はピアノ科でありながら、ショパンという作曲家に練習曲があることを知りませんでした。

同級生が華やかに弾いていますが、恥ずかしくて何の曲か聞けなかったのです。たまたまチェロの男友達が《革命》を弾いていて、勇気を出して何の曲か聞いたら、知らないのかと馬鹿にされて、それから人に聞くのが億劫になりました。

そして音楽に目覚めていったのは、夏休みを過ぎてからでした。私はピアノを弾くのが好きだったので、課題でもらったモーツァルトやバッハとかはよく弾いていました。でもそれがバッハかモーツァルトかという意識は全くなく、先生からもらった課題として弾いていました。

その頃、盛り上がって聞いていた曲は、歌謡曲です。今のJ-POPですね。大好きでした。西城秀樹さんは全部シングル盤を持っています。それから中学校の時は洋楽、ジャズが好きになって、このあたりのジャンルはたくさん知っていたのですが、これから専門家を目指す高校に入って、ショパンに練習曲があることを知らないというのは今では考えられないと思います。

でも先ほどのように発想を展開して、ショパン《革命》という言葉から色々連想していきながら、お金もないのでラジオで聴いたり色々しました。レコードなんて買えないので人からレコードを借りて、その裏面に書いている解説を読んで、そこに出てきた作品を探してみたりしました。こういうことをしながら、藝大を卒業するまでかなり勉強しました。そして今でも、自分の知らない曲に対して興味を持ち、勉強する習慣が身についています。

そして多分大学を卒業する頃には、そんなに恥ずかしくない程度の知識はあったかなと思っています。みんなもそうだと思いますが、まだまだ世の中には知らない曲があって、実は素晴らしい曲がたくさんあります。そういう曲をどんどん発掘して色々な人に紹介していくのも、藝大の卒業生の大事な仕事です。

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3.アウトリーチとは?

それでは今日の本題です。アウトリーチという言葉、名前は聞いたことあるかもしれません。これは「外に届ける」アウトにリーチするということです。つまり、アウトリーチの定義は普段ホールにいるアーティストがホールを飛び出して、町の隅々まで音楽を届けていく活動ということになります。

私はアウトリーチ活動を始めて18年、19年目に入りました。毎年、毎月、毎週のようにアウトリーチでの活動で、色んな出会いを体験してきました。さて、このアウトリーチの目的とは何でしょうか? 私が始めた頃のアウトリーチの目的は、下記の2点でした。

アウトリーチとは?

① ホールでのコンサートの集客につなげるために、それに先駆けて、アウトリーチを実施する

② 好きだけどコンサート等に行くことができないという人のところへ、こちらが出向いていく

この二つの柱でアウトリーチはスタートしました。私がアウトリーチ始めた頃はそういう状態でした。そもそもアウトリーチ活動がこうやって日本に入ってきたのは、約20年前のことです。

20年前に、実はアメリカから輸入した活動です。当時、アメリカでアーティストがなかなか自由にホールを使えないという状況が生まれていました。ホールが使えないということは活動の場がないということです。だからアーティストの活動の場を広げるために、アメリカでは延命対策としてアウトリーチ活動が徐々に拡散していきました。

そして今、約20年経った日本では、現在もアウトリーチを続けていますが、日本の状態はこの20年前のアメリカと良く似ています。やはりホールが使いにくいです。使いにくい理由としては、20年の間に物価が上昇し、これに伴ってホール代も高騰したためです。

それから人々も忙しくなって、なかなかホールに人が入らないという現状があります。24~5年前から考えても、我々のチケット代は上がらず、3,500円から4,000円あたりで変わらないです。この悪循環で、なかなかコンサートが成立しないという状況が、今の日本でも起こっています。

アウトリーチはこうした状況に先駆けてスタートしたのですが、昨今のこうした状況こそこのような活動が盛り上がっていく背景になっているという気がします。

結論を言いますと、昨今ではアウトリーチという活動がどんどん膨らんで、昔のアウトリーチの目的だけでなく、目的がだんだん多様化されてきています。ですから私自身、これからどうなっていくのかを見届ける使命があると思っています。

アウトリーチの出向く先は色々ありますが、たとえば地方のホールに出向いていくとします。主催はホールです。ホールが仕切っていないと本来はアウトリーチが成立しません。ホールはその町のシンボルです。○○市文化会館というと、○○市の市民のためのホールです。我々がそこに出向いていくということは、市民のために何ができるのかということを、突き詰めておかなくてはなりません。そこで事前にホールの人と相談します。「こういうことやってみたいのですが・・・」という要望に対して、ホールの人から「それは面白いですね」と言われたり、「それはできませんね」などと言われたりします。

そして大体は無茶ぶりが来るのですが、とにかくホールの人と話し合いながらアウトリーチ活動をしてきました。基本的には私はピアニストなので、ピアノを弾きに行きますが、たまにピアノ以外のことをすることもあります。

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