「アウトリーチ活動の意義とこれからの課題」(第6回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)
4.演奏活動の意義
そもそも私たちは、何故演奏活動をするのでしょうか。
皆さんは演奏活動ができる演奏家になっていきます。ある時は2,000人、ある時は1万人、ある時は3人のために演奏しないといけません。自分たちが何のために演奏活動をしていくかということに対して、藝大生らしい考え方を持ちましょう。
① 作品に必要とされている
ベートーヴェンもバッハもモーツァルトも今藝大生を必要としています。藝大受験に合格して入ってきたことを思い出してください。藝大に必要とされ、藝大という星の光が当たった瞬間です。それは合格当日しかわかりません。一生懸命試験を受けますが、自分と同じぐらい、自分よりすごい人がいたかもしれません。それでも自分が入学できたということは、藝大という星のもとに必要とされたからです。
同じように、モーツァルトにバッハにベートーヴェン、ショパンにチャイコフスキーという作曲家たちにも必要とされています。そして、多くの作品が私たちを待っていてくれます。
② 作品の再生
我々は演奏活動で、もちろん新しい曲を紹介することもありますが、過去の作品を取り上げる場合が、圧倒的に多くなっています。今の時代にモーツァルトやバッハなど、200年も300年も前の演奏をすることに何の意味があるのでしょうか。
それは作曲家たちが残してくれたものを、聴衆や演奏者の呼吸・血の流れ・体の中に流れているスピードに乗せて、その都度再生することです。ここにこそ、意味があります。ですので、もちろん聴衆が変われば曲も変わりますし、同じ曲でもニュアンスが変わります。ご年配の方ばかりが聴いている時もありますが、幼稚園生ばかりが聴いている時もありますし、どちらも一緒に聴いているということもあります。男性ばかりの時もありますし、女性ばかりの時もあります。色んなパターンがあります。その時に流れている、呼吸や血の流れのスピード感に乗せて、再生していきます。
決して昔の曲だからといって懐メロになるわけではなく、いつも新しく再生されます。いつも新しく再生するためには生演奏が必要ということです。これが我々の演奏活動の意味です。我々の活動は、作品に求められていて、聴き手の前で作品を再生させることです。
③コンサートとアウトリーチのお客様の違い
コンサートに来るお客様は、普通はチケットを買って、ワクワクしながら行きます。しかし、アウトリーチのお客様はそうではないです。その日に聴きたくて、何日も気持ちを高めて待っていてくれる人達ばかりではありません。学校や病院とかに集められて音楽を聴いてくださいと言われている人たちです。
私も以前病院にアウトリーチに行ったとき、演奏前にお辞儀して、さぁ弾こう!と思っていたら、一番前の列のおばあさんが、「すみません、お部屋に帰りたいのですが。」と言われたことがありました。決して演奏の時間を楽しみにしている人ばかりではないので、その人たちに向かって、ものの数十秒で空気をひとつにしなければいけません。すごい力が必要なので、アウトリーチ現場はいつも緊張する瞬間です。
本日最初に出てきて《悲愴》を弾いたときも同じ瞬間でした。いつまで経ってもこの学校でピアノを弾くということになると緊張します。アウトリーチ現場では、本当に聴衆を演奏の数十秒で惹き付けなくてはいけません。最初からすごい言葉を言うとか、すごい恰好で出てくるとか出オチもありますけど、演奏家はやっぱり演奏で惹き付けたいです。これは、その場での演奏がいかに大事かということだと思います。
5.アウトリーチの価値
アウトリーチは、3つの価値があります。
① 芸術的な価値
② 流通的な価値
③ 社会的な価値
芸術的な価値というのは、この曲が素晴らしいということを認識し、その素晴らしさを共有することです。そしてアウトリーチ現場でも、そこにいる人たちの体に流れているスピードに乗せて、その素晴らしい芸術をさらに再生させてあげる。これが芸術的価値です。
流通的な価値は、演奏が素晴らしいことと、その時聴いているシチュエーションがワクワクすることじゃないかと思います。演奏が商品として成立していることが大事です。
社会的価値は何かというと、この曲をこの場所で弾くことによって、社会はどう動いていくのかということを予測できないといけません。要するに学校や病院、色んな場所へ行きますが、行く先々で演奏することによって、何らかの動きが社会の中で働いています。例えば、これを弾いてほしいとリクエストがあります。でもその曲を弾くのであれば、何かを伝えなければいけないと思うこと。リクエストを受けたら、リクエストを受けた曲を通して感動を与えたり、その場にいる人たちがひとつになるなど、音楽と人と社会を繋げるような社会的価値を伝えて帰らなければなりません。これが見出せない場合は断ったほうがいいです。
我々がアウトリーチに行くときは、社会的な価値を持っていないといけません。
アウトリーチは普段ホールにいるアーティストがホールから飛び出して行きます。皆さんもホールで演奏しますが、何百人かの前で演奏しているこのエネルギーをグッと凝縮して、音楽室や病院のロビーなどに持っていきます。音楽室ではサイズを小さくしないで、ホールで演奏するエネルギーをそのまま持っていきます。
大人の方はこちらの状況を見て、調子が悪い日もあるというのがまだわかります。でも小学生というのは容赦ありません。一度つまらないなと思ったらずっと後ろを向いてしまいます。そこにエネルギーで持っていかないといけないので、どんなに面白いことをやっても、エネルギーが足りないと、小学生はついてきません。そして小学生には、大人扱いをしなければなりません。大人の考え方をさせてあげるとついてきます。子どもだからという設定で行くと、子どもたちは大人を信用しなくなります。このようにアウトリーチ現場は本当に一筋縄にいかないこともあります。
でも音楽で一つになるように聴衆を惹き込んでいく、その力が必要になります。皆さんもぜひこれから大きなものも小さなものも含めて、いつでも舞台に立っている気持ちでいてください。
演奏する場所というのは、演奏が可能である場所であればもちろんOKです。ただし、そこに人道的な価値がないと、アウトリーチにはなりません。イベントなどのアトラクションのように「面白かったね」で終わるようではアウトリーチにはなりません。その場所で演奏することによって、社会的な価値が生まれます。音楽というものを通して、人間がどう成長して、どう考えて、どう判断していくかということを皆さんが考える時間にならないと、それはアウトリーチにはならないという気がします。
6.アウトリーチの現場
それではアウトリーチではどういう所に赴くか、少しその例を紹介していきましょう。アウトリーチでは、小学校・中学校・幼稚園などに行くことが多いです。それから病院、老人ホームもあります。私が経験した不思議なアウトリーチ体験は、田んぼの上です。
① 「ワクワク田んぼコンサート」
田んぼの写真が写っているのが設営現場です。これは島根県の美都町というところです。今は島根の一番はずれの益田市に合併された美都町なのですが、益田市から山の方に40分ほど入ったところで、人口2800人の田んぼだけで成り立っている町です。2800人の町なのに433人(人口の16%)入るホールがあります。
このホールが活性化するためにということで、事業のひとつに田んぼの上のコンサートがありました。一緒に行ったサックスの田中(靖人)くんは、今東京佼成ウインドオーケストラでコンサートマスターを務めていますが、私と同い年で25年の仲です。
このアウトリーチが成立したいきさつがあります。美都町は高校がない町なので、高校生になったらみんな町を出ていきます。高校生は自分達が育った町から誇りを持って出て行って欲しいという思いがありました。
田んぼで成り立つ美都町で、田んぼが圃場整備で姿を変えることがあった時に、整備される前と後、これまでもこれからも「田んぼが元気でいてくれるから町が元気である」という思いから、その田んぼに奉納コンサートをしよう、感謝をしようということで田んぼのアウトリーチが成立しました。
演奏時間は35分くらいでした。こちらは雨が降ったらどうしようとずっと心配だったので、一気にできるように少しプログラムを短めにして、アンコールで少し調整する形で用意していました。たった35分のコンサートのステージを設営するのに3日くらいかかりました。本番の時間が14時半ですよというと、じゃあ風はこっちから吹くからこの向きがいいとか、町の人が色んなアイデアを出してくれました。田んぼの上にピアノは無いです。そこに平台を敷いて、田んぼらしくビニールハウスのポールの屋根を作って、反響板(稲はぜ)を作って、コンサートをしました。
そして、終わってからは取れたてのアイガモ米のおにぎりがみんなに振舞われて、豚汁を飲んで、交流会は「米ニュケーション」と名付けられ、2001年はこのネタで大爆笑でした。結局その時小学生たちは、麦わら帽子をかぶったおばあさんおじいさんの孫の世代です。米について、町について、おにぎりについて、合鴨についてお話を聞くというとてもほのぼのとした時間が流れました。田んぼのコンサートは、本当に思い出深いです。
2年後にもう一度我々が呼ばれました。その時には美都町は益田市になり担当者も変わっていました。コンサートのカリキュラムを見ると、「星空の瞬きコンサート」と題され、ホールのロビーでの演奏になりました。新しい担当者が「田んぼを超えるしか考えていないです」と熱意を語っていました。
② アーティストの田舎体験アウトリーチ
アーティストの田舎体験アウトリーチというのもありました。突然楽器なしで山奥に連れて行かれて、山のおばあさんから指導を受けて、芋堀りや栗拾いもしました。アウトリーチはアーティストのしたいことをホール職員が色々準備して設営などしてくれています。本当に頑張ってくれたそのお返しとして、ホールの人の発案でアーティストが動くということをしてみました。これも一つのアウトリーチです。
また、お客様と山登りをしました。そんなに高くない山なのですが、ある村でその村から戦争に行って全員無事に帰ってきたという、伝説で奇跡の話があるお宮に、平和の神様が祀られていて、そこの一番頂上のところには、地球安全祈願塔というモニュメントがあります。戦争はいけないよということを形として残しています。そこの地元の小学生、全校生徒21人と約1km分、「何の科目が好きなの?」とかそういう話をしながら登りました。こちらはステージ衣装で行きます。軽トラにアップライトピアノと調律師もサックス奏者も乗せて、向こうでちゃんと調律もしています。そしてこの時は、新米のおにぎりとイノシシ汁もいただきました。
③ 萩・石見空港
他にも、萩・石見空港という空港がありますが、その空港ロビーで大空への旅立ちコンサートというアウトリーチをやりました。東京から来る1往復分の便しかありません。この1往復しかない中で、降りてくるお客様と、これから乗るお客様を対象に約1時間のコンサートでアウトリーチをしました。機内では東京に帰るお客様が、全員コンサートを聴かれていて、少し前には弾きながら見送ったのに、私たちが機内に入ると演奏を聴いたお客様が機内で待っていました。こんなアウトリーチは珍しいと思います。
④ 音楽と写真のワークショップ
ひたちなかというところで、今度はピアニストを写そうという企画がありました。私が弾いている姿をたくさん写していました。
耳というのはなかなか新しいものに興味を持つのが難しく、目と いうのは新しいものにすぐ行く感覚があるという話を聞いた時に、では、耳の感覚と目の感覚を対比して、目からさっと映像として取り込んでくれたピアニストを、今度は音で聴いてみようという企画です。最初に写真のワークショップをして、ちゃんと客席で聴いてもらうワークショップをしました。音楽と写真という二つのワークショップが合わさった感じです。
写真もまだ今みたいにスマートフォンがありませんから、みんな自分のきちんとしたカメラを持ってきました。36枚撮りのフィルムカメラをホールが用意します。写真のワークショップをしてくれた人が、写真家の北村光隆さんという私と同じ名前だったのですが、その人がフィルムの入れ方から、撮り方を教えて、私は《幻想即興曲》と、ガーシュインの《ラグタイム》で系統の違った2曲を用意しました。
演奏している間に自由に撮ってくださいということで、脚立の上に乗って撮るのもよし、ピアノの下に潜って撮るのもよし、36枚撮りを全部撮りつくします。その後、カメラなしで今度は耳をピアノに傾けて聴いてみようという形でやりました。目で感じたことを耳で感じるということをしました。撮った写真の中から、ベスト1を1週間後に選びます。
私のチラシがありますけど、チラシの両側にたくさん子どもたちの写真を載せて、本番が終わった時にはホールに展示をします。葉書サイズにちゃんと印刷して友達にたくさんお手紙を出す。何よりもやっぱり子どもたちを通して、お客様の集客に繋げようという情熱がすごいホールでした。
アウトリーチにはコーディネーターという人がいます。コーディネーターから、「演奏家と子どもたちが共演するのは素晴らしいことだけど、演奏家の実力・テンションをなるべく落とさずに」というお達しが来ました。ベートーヴェンのソナタを弾く時と教科書に載っている歌の伴奏弾く時とやっぱりテンションが違います。ショパンやガーシュインを弾いている時のテンションはいつもと同じです。
この時は子どもたちと写真という媒体で共演をするワークショップでしたが、初期の段階では、こういうような破格なアウトリーチはたくさんありました。
⑤ ホール集客への目標
このようにしてアウトリーチを進めて行きましたが、現場は学校や施設以外にもたくさんあります。しかし、何か町に対して社会的に人道的なスタート地点が見えないと、アウトリーチとしての意味がないという気がします。
そしてやはり集客に繋げるということを長年頑張ってきていて、今でもそれは続いています。ホールの集客というものに対しては、今でも夢を持っているのですが、ただホール自体がどんどん減っています。地方では建つのですが、以前御茶ノ水にカザルスホールというホールがありました。千駄ヶ谷に津田ホールというホールがありました。数年前に二つともなくなりました。
私が藝大3年生の時に、カザルスホールで弾きました。4年生の時に津田ホールで弾きました。今でも頑張っている東京文化会館があります。東京文化会館小ホール649席です。あれが我々の時は、一番小さいリサイタルホールでした。みんな700人サイズが当たり前でやっていました。イイノホールとか、都市センターホールとかは結構埋まっていました。700人が当たり前だった時代に、カザルスホールのこと、「500人は小さいね」なんて言っていました。
それが今500人規模のホールが次々と倒れています。500人サイズは浜離宮ホールしか残っていません。代わりに王子ホール、ヤマハホール、オペラシティ小ホール、これが300人ですね。
藝大のピアノの先生もたくさんコンサートをします。チラシがたくさん置いてありますが、ここはどこだろう?というホールがあります。大体90人のサイズのホールです。90人といったらリサイタルもできますけど、アウトリーチも可能です。
今日は参加者20人くらいです。私から20本の線が伸びています。20本それぞれ線が引かれていて、すごいエネルギーです。ここに千人いたとします。私から一本線が引かれた千人の集合体です。そのアーティストが、その会場が、その曲が好きな人が、千人集まっています。でも今日は20本全員 顔が見えます。
これがアウトリーチの一つの醍醐味です。20本に対して、エネルギーを全部まんべんなく発散させることができます。段々とリサイタルも少人数になり全員に線が引ける状態になっている気がします。
そのようにしてでも何か伝えたい、伝えなきゃいけないという信念を持った人たちが演奏会を続けている現実もあるのではないかと思います。