コーヒーブレイク③~夏休みにISME北京大会で考えたこと(『若手音楽家のためのキャリア相談室32』)
箕口一美
第29回国際音楽教育学会(2010)の様子
(本稿は2010年『ストリング』誌9月号に掲載された記事の改訂版となります。)
2010年夏は北京にいました。8月1日から6日まで、北京オリンピックの主会場だったスタジアム「鳥の巣」が直ぐ近くに見える(実際はかなり遠いのですが)国家国際会議場でISME (International Society of Music Education)の国際カンファレンスが行われました。ボストンからはるばるアンジェラ・ビーチングがこの集まりに出席するためにやってくる、と聞いたので、わたしもお休みをとって、合流することにしました。
北京は2度目で、前回は比較的普通の人たちが暮らす住宅街の近くに宿をとり、等身大の街なみに身を置いていたので、あまりそういう感じはしなかったのですが、21世紀の紫禁城と言ってもいいようなオリンピック公園は、距離感や人の身の丈の感覚が狂いそうな広さ。
そして、ISME国際カンファレンスの規模もでかい!(お行儀悪い言い方ですが、この言葉が一番状況を的確に表しています)。6層ある巨大な会議場の半分をほぼフルに使って、朝8時30分から夕方5時半まで、研究発表、討論会、ワークショップ、模擬授業や成果披露が、ほぼ同時に30以上行われています。その間、おそらく4000人は収容できる本会議場での基調演説、昼食時間には、5箇所ある演奏会場でのミニコンサート、夜も22時過ぎまで、各国からやってきた学生やこどもたち、地域の演奏家によるコンサートが、会議場の各会場に加え、北京音楽院の3つの会場で、平行して行われます。
前々回のリスボン大会に出席したTeaching Artists’ Bible(邦訳『ティーチング・アーティスト:音楽の世界に導く職業』久保田慶一監修・訳、大島路子、大類朋美訳、水曜社、2016年)の著者であるエリック・ブースが「とにかくたくさんのことが同時に行われており、全体を把握するのは不可能」と語っていたのを思いだし、しっかり納得しました。
音楽教育と一口で言っても、誰を対象にするのか、何を目的にしているのか、研究なのか、実践なのか・・・音楽を巡ってこれだけのテーマとトピックを立てられるのだなあ、と少し距離を置いて眺めるので精一杯です。
独断と偏見でテーマを大別してみると・・・
1.幼児教育(就学前のこどもたち)を対象とする様々な試みなど 2.障がい児、発達障害児に寄りそう音楽のさまざまな試みや事例発表など 3.学校教育における様々な試みや課題研究、カリキュラム研究など 4.高等教育、主に教員養成の現状、問題点の分析と提案など 5.国の教育方針とプロジェクト、現場での試みなど 6.インターネットやPCなど新メディアの教育現場での活用 7.自国の伝統音楽への関心の喚起、継承、後継者養成と学校教育の関係など
どのセッションに参加しようかと何度もタイムテーブルを見返していく内に、アフリカや中南米、オーストラリア、旧東欧諸国・・・いわゆる日本の「音楽業界」の視野には入ってこないような国々で、音楽がいま何をしているのかが、漠然とですが見えてきます。
学会ではお馴染みのポスターによる発表も日替わり。「指定時間以降に来た順番で場所を決めます」方式なので、「学校教育における長唄教授の実現可能性」をリサーチした発表の隣に「中国における未就学児の言語習得意欲:英語、中国語の歌を用いての試み」が並んでいます。
印象的だったのは、南アフリカの音楽大学が卒業生達の入学動機と夢、卒業後の進路を纏めた報告でした。厳しい現実を語りつつも、急速な近代化の中にあって、自分の祖父母への共感と彼らの生活に音楽がどう結びついていたかを、音楽を学んだ自分が次世代に伝えていく術を探求したい・・・このレポートで語られていた「音楽」は、彼らの音楽、わたしたちが民族音楽、伝統音楽と呼ぶものであって、いわゆる「クラシック音楽」ではないことに意外さを感じ、次にそれを意外と思った自分にショックを覚えた、というのが、ひょっとすると、今回このカンファレンスに出席した最大の収穫だったかもしれません。
大会1日目に、本会議場を会場に北京オリンピックばりの開会式が行われました。全体テーマである「和諧と世界的未来Harmony and the World Future」を受け、シルクロードが世界の音楽をつなぐ、というコンサートがその中心。この大会のために書かれたファンファーレに始まり、映像とCG、照明と音響効果を駆使し、中国音楽の歴史を紹介していくもので、中原から西域、インドにわたるさまざまな民族音楽と舞踏が次々繰り出され(チベットの英雄叙事詩の朗唱には心躍りました!)、最後は民族楽器に西洋楽器も加えたチャイニーズ・オーケストラが打楽器のための《辰年協奏曲》第一楽章「太陽」!
PAで巨大に拡声された琵琶のつまびきと、しっかり機能和声で書かれた王維の「友を送る歌」の合唱を聞きながら、シルクロードの西の外れ、ここから観れば陽関よりもさらに向こうの辺境の民族音楽であるクラシック音楽よ、お前はどこにいる?とばかり考えていました。
民族音楽学の碩学のひとりであるブルーノ・ネトル氏の基調演説でも、いわゆる西洋音楽の地位の相対化が間違いなく進んでいることが示唆されていたと思います。トルコ軍のウィーン包囲がもたらした行進曲のリズムが、当時の音楽創作者たちの新しい音楽の言葉になったように、ネイティヴ・アメリカンの歌がアフリカのリズムとヨーロッパの和声感を取り込んで歌われているように、中国楽器のオーケストラで高音部を胡弓が歌い、低音をチェロとコントラバスが支えているように、音楽はその時代を生きる人たちの手で、新しい姿を与えられて変貌を続けている・・・それを安易な改造や偽物と言うのも、新たな創造と呼ぶことも出来る。それは、権威にも、強制にも拠らず、あなた自身が何を音楽として取り込むかにかかっている――。学者としてのバランス感覚で決して断定的な物言いをしないネトル氏のメッセージには、あとからじわじわと効いてくるもの――それが毒なのか、薬なのか、まだわかりません――がある予感がしています。
創造性―Creativityを巡っては、今どの国でも、芸術を通じてこどもたちの創造性を育み、ひいては他教科での学力を伸ばすことが文化政策の重要な柱になっているという話をずいぶんと聞きました。文学と音楽を組み合わせた事例発表分科会に出席してみたのですが、学校、地域、アーティストの協働プロジェクトに対し、実際しっかり予算が使われているのに、あらためて驚きました。これなら、アーティストも本気で学校と関わろうと思うでしょう。
やっていることは、日本でも意欲ある公共ホールがよく取り組んでいる、こどもたちによるミュージカルやダンスの創作と発表と変わりません。ただ、日本の現場では多くの音楽家や舞踏家たちが無償またはほんのわずかの謝礼で数ヶ月におよぶプロジェクトに関わっているのが実情です。継続性を担保したり、学校との連携を深めたりというところまではなかなか繋がりません。アイルランドの発表者が成功の鍵として、しっかり資金調達が行われ、関わるアーティストが適正な対価を受けていること、学校や芸術機関、支援機関の間のパートナーシップが「正式」なものであることを挙げていました。
他方、芸術による創造性教育のひとつの結果として、演奏者養成面でのレベルの低下が起こっていることを指摘する声も聞きました。自ら創り出す力は演奏者にも必須のものではあるけれど、実際に求められるレベルで演奏出来る力を得る、つまりスキルを得る修練を積ませるのは、創造性教育とはかなり方向性が違っていると思う――その辺の整理と切り分けが必要なのでは・・・シベリウス・アカデミーで教鞭をとっているという参加者の話は、音楽教育と音楽家教育の根本的な違いを明確にしてくれる示唆に富んだ経験談でした。
最初にも書いたように、今回このカンファレンスに参加したのは、一にも二にもアンジェラと話をしたかったからでした。ボストンに訪ねていっても、超多忙の彼女と話を出来る時間は限られています。これが東京だったら、私の方に時間がないでしょう。ある意味、2人とも話す時間はたっぷりある、とても貴重な機会です。
このカンファレンスに先立つ1週間、上海音楽院を会場に、プロフェッショナル音楽家教育を巡るコミッション(テーマを絞った会議)が行われました。アンジェラの他に、オーストラリア、カナダ、イギリスから、音楽家のキャリアマネージメントの専門家が参加。本当はそちらの方に行きたかった・・・と言ったところ、アンジェラが開口一番、次のような話をしてくれました。
まず驚いたのは、中国の先生方が専門家教育について発表することは、演奏面でのカリキュラムや技術向上の指導方法がほとんどで、学生たちの卒業後のキャリアについては、議論すべき課題ではないと思っている。卒業して音楽家になれるかどうかは、学校が面倒を見ることではないとはっきり言い切る。学生たちも音楽家になると思って音楽大学に入ってきているわけではないという。
アンジェラ曰く、これは問題意識の違いだけではない、アメリカに留学してくるアジア系の学生たちに共通するいろいろな問題の根っこにあるものみたいに感じるのだけれど・・・。で、あなたどう思う、と言われて、答えに詰まりました。
想像の域を出ない話ですが、演奏家の養成が音楽大学の目的であり、その結果として演奏家になり得る訓練を受けた若者が毎年数多く輩出されるのだけれど、彼らの音楽を必要とする聴き手のマーケットはまだまだ育っているとは言えません。実際仕事を求めて海外に出て行った先輩たちも数多くいます。中国はまだクラシック音楽の音楽家の生産国ではあっても、その音楽そのものの消費国にはなっていないことを先生方が一番よく知っているけれど、自分たちは何も出来ないと思っているのではないかしら・・・。
音楽を志した人が音楽で生きていけるようになって欲しいと思っているアンジェラにしてみると、あまり納得のいかない答えだったと思います。アジアから欧米に留学する学生たちが最初に遭遇する諸問題について、という研究分科会を立ち上げなさいよ、と提案されてしまいました。
まもなく出版される『Beyond Talent』第2版を巡る話でも、二人の話は「音楽家の卵が直面する課題は世界中どこでもいっしょ、対処方法、解決方法は国ごと、文化圏ごとにぜんぜん違う」で一致しました。最初の翻訳のときにも、アンジェラは「日本の実情に合わせて、どんどん切ったり加筆したりしてね」と言ってくれたおかげで、ずいぶんと大胆なカットをし、本文内に訳注を入れました。
韓国や台湾でも翻訳の話があるのだけれど、アメリカでしか役に立たない情報部分をどうするかがネックになっている由。その解決のために、今二人で密かに盛り上がっているのは、「ビヨンド・タレント・コメンタリー」をブログで立ち上げて、各国の状況やアプローチの違いや最新のテクノロジー情報を随時載せていくのはどうかしら・・・これには、それぞれの国の協力者が必要だし、何語で書くのか、というのもあるし・・・まだしばらく時間がかかりそうですが、アンジェラの本に共感する人の輪は確実に広がっている模様です。
ところで、この第2版は本当なら8月の今頃出版のはずでした。諸般の事情で、どうやら9月に延びましたが、Oxford University Pressのウェブサイトでは予約受付も始まりました。目次を見せて貰った限りでは、章立てや切り口がかなり変わっています。ご興味のある方はまず英語でどうぞ。日本語の第2版は・・・いまのところ、未定です。
最後にもうひとつカンファレンスの感想を。会場も規模も大陸的なこの大会、参加者数も圧倒的です。海外(中国語では「中外」!)から約1000名、中国各地から3000名近く。結果として、国際大会であり、中国の全国大会の様相を呈しています
そんなわけで、大会の公用語は英語、同時通訳はなし(基調演説のときには、草稿の中国語訳が大画面に映されます)となっていますが、すべての参加者が会議発表レベルの英語を操れるわけではないので、英語だけの発表の会場では途中退席者が大量に出たり、中国人の発表者が会場からの要請で中国語に切り替えたり(今度は非中国系参加者がほぼ退席)。日本人発表者による尺八のワークショップでは、会場から中国語での解説を求める声があがり、参加者の助けを借りて、日本語から英語、英語から中国語と行き来しつつ、盛り上がったという話も聞きました。
南昌大学の先生が発表した「日本における音楽教育の歴史」も、私以外は全員中国の方で、当然言語は中国語。プロジェクターで映される発表資料に頭の中でレ点を打ちながら、何とかついていこうとしましたが、質疑応答であえなく玉砕。活発なやりとりの雰囲気から、問題は中国における西洋音楽受容の話になっているようだなぁ、と想像しましたが・・・この人たちとはきっといっぱい共感したり、議論したりできることがあるだろうと思うと、かなり残念でした。
次回大会は2年後、2012年ギリシャ・アテネとのこと。日本からも音楽大学、教育大学の先生方、個人参加の現場の音楽の先生方など、毎回たくさんの方々が参加しています。こじんまりしたカンファレンスしか知らなかったもので、この規模には圧倒されっぱなしですが、間違いなくいろいろと考える刺激になっています。腑に落ちず、答えにもたどり着いていないたくさんの疑問や課題を抱えて、暑い東京に戻りました。