音楽家のビジネス・マネージメント⑤(『若手音楽家のためのキャリア相談室16』)

箕口一美

お金の出入り管理編2                               「音楽家として、個人としての計画を3年先、5年先まで考えてみる」

 

1. 「室内楽アカデミー」の若い参加者たちとの話から

(本稿は2010年『ストリング』誌10月号に掲載された記事の改訂版となります。)

2010年は6月後半から7月の終わりまで、サントリーホールのブルーローズ(小ホール)で行われたいくつかの企画に次々と関わっていたため、さすがに家に帰るとバタンキュー。この間に書きかけていた原稿を今日改めて開いて読み返してみると、行間に超多忙の1ヶ月半に出会った若い演奏家たちの顔や言葉が見え隠れします。

今年10月から始まる「室内楽アカデミー」のオーディションに参加した33人、パリ国立高等音楽院からやってきた室内楽奏者たち、カーネギーホールが中心となって運営されているThe Academyの卒業生たち。みんなプロの音楽家としての道を歩み始めた20代から30代です。音楽雑誌の表紙を飾ったり、大きなホールでリサイタルを開くと、チケットがたちまち売り切れて、新聞に大絶賛の批評がでたり・・・という人は、その中にひとりもいません(将来出てくるかもしれないけれど)。

でも、一緒に仕事をして、演奏を身近に聞き、リハーサルの合間や食事をしながら話をすると、ひとりひとりみな「音楽家」であり、音楽を職業とすることと真剣に向き合っていることがしっかり伝わってきます。抽象的な「ゲージュツ論」を交わしているのではないのですよ。音楽で生きていくために起こってくるさまざまな手間やトラブルについての話、その解決方法や対処についての最新情報に始まって、演奏旅行先での国別立ち居振る舞い、おいしくて安いレストラン、危ない地域、空港まで一番安くいく方法・・・。

2. アメリカと日本の間の租税条約を知っていますか?

ひとつだけエピソードを紹介しましょう。おなじみ「税金」をめぐる話です。

アメリカ合衆国と日本国の間には所得税に関する「租税条約」があります。例えば、アメリカで毎年所得税を納めている居住者個人が、日本で仕事をして報酬を受け取るとき、総額が1年間で1万ドル以下であれば、日本で所得税を納めなくてよい(課税免除になる)、という約束が両国の間で結ばれているのです(逆もまた真なりですから、アメリカで仕事することになったら、しっかり勉強してください)。これは、ひとつの報酬について、日本とアメリカで2度税金が課せられないようにする(二重課税の防止)のための取り決めです。

アメリカで納税しているThe Academyの卒業生たちがこの仕組みを活用するかどうかを巡って交わした議論の真剣だったこと! 税金を払うのだったら、どちらの国が有利か、日本で納税済みであることはどのように証明できるのか、アメリカでの申告の際に問題になるのはどんなことか・・・この仕組みについてかなり勉強したつもりでしたが、次々に発せられる制度についての質問に、わたしも条文を詳しく読み直す必要があったほどです。

音楽で報酬を得るようになった瞬間から、所得税の申告の義務が生じ、怠ったときの追徴金が半端でない金額になるアメリカだから・・・と言えば、それまでですが、プロとして生きる姿勢を垣間見る思いでした。

ちなみに、来日メンバーの一人が自分の連れ合いの経験談を披露した瞬間、彼らの衆議は決しました。曰く「この制度を利用して、日本では課税免除となるようにする。なぜなら、IRS(アメリカ国税局)の窓口にいる奴が、この仕組みを知らないで課税してくる恐れがあるから・・・」

お役所だって完璧に機能しているわけではないんだから、自分のことは自分で守る。全くその通り。それが自営のプロとして生きる基本です。

3歳のこどもたちに「作曲家のひらめき」のすばらしさを伝えるには、どんな風にプログラムを組み、どんな風にこどもたちとコミュニケーションしようか、という議論を熱心に交わす同じ音楽家たちが、アメリカの所得税率を巡る真剣なやりとりもする――プロの音楽家が仕事をするということはこういうことなのです。

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3. 根源的な問いを再び

さて、そろそろ連載の本題に戻りましょう。

「音楽家として、個人としての計画を3年先、5年先まで考えてみる」にあたって、アンジェラ・ビーチングの『Beyond Talent:音楽家を成功に導く12章』を開いてみましょう。この本の「肝」とも言うべき「間奏曲・根源的な問い」の章です。

アメリカでは、音楽家のために実にたくさんの、さまざまな切り口から書かれたキャリアマネージメントの本があります。どれもとても示唆に富んでいて、役に立つ情報やものの見方考え方を示してくれますが、この本をユニークなものにしているのは、この章があるからです。

この連載の2回目「プロの音楽家になりたいあなたに②」で「根源的な問い」の章を取り上げていますが、今回は「お金の出入りの管理編」のど真ん中で改めてこの章が問いかけている意味を考えてみます。本をお持ちの方は、ここで148ページを読み直してみてください。ほんの11ページ。この分厚い「ショッキングピンク本(いつの間にかそんな別名で呼ばれているようです)」の中でも、最短の1章です。

音楽家を職業として選ぶことは、演奏することや演奏技術を教えることの対価としてお金を得、それで衣食住を賄って生活することに直結する生き方を選ぶことです。

ここで確認しておきたいことがあります。

あなた自身にとって、単にお金を得るための手段としてだけ、音楽が存在しているのかどうか、です。

そんなことありません!と、これを読んでいる人の多くが言うに違いありません。

ならば、なおのこと、それをしっかり自覚して、定期的に確認する習慣をつけましょう。アンジェラがわざわざプロの音楽家をめざす自分自身の動機(理由)をチェックするリストを載せているのは、そのためです。

すでに音楽でお金を得ている人は、演奏であれ教えることであれ、今まで知らなかった、経験したこともなかった、たくさんの仕事上のルールや決め事、業界の習慣を覚えつつあるでしょう。自分の都合や予定、もくろみなど誰も心にかけてはくれません。仕事を得るためには、またもらうためには、そうしたルールや業界常識にうまく自分の方を合わせていかざるをえないはずです。オーケストラのエキストラでいつ声がかかるかわからないので、シャワーを浴びるときにも、寝るときにも携帯電話を手放さないと言っていた人もいるくらい。

若いときにはしなければならない苦労の一部だとは思います。でも、仕事が要求してくる都合や常識だけが音楽の仕事のすべてで、最優先にされるべきことかどうか、音楽でお金を得ることだけがプロの証しなのかどうか――若いからこそ、ときどき自分が置かれている状況を一歩離れて見つめてみてください。そんなとき、アンジェラがつくった「動機チェックリスト」はとても役に立ちます。

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4. 音楽家の職業とはなにか

「働く」という言葉に、ヨーロッパ系言語はいくつもの訳語があります。例えば、よく「労働」と訳されるlabor。神の禁を破った罪を負って楽園を追放された人間は、laborという罰を受けている――労働とは、楽園にとどまればしなくてよかったもの、神からの罰という意識が底に流れています。

音楽家の仕事は、laborではないはず。ならば、音楽家という「職業」にはどんな言葉があたるでしょう? 英語ならVocationあるいはcalling、ドイツ語ならBerufだと思っています。天職とか召命と訳されるこれらの言葉には、laborと同様、キリスト教が背景にあります。CallingもBerufもどちらも「呼びかけ」「答える声」が元の意味。つまり、神さまがあなたに「この仕事をなさい」と呼びかけて、あなたが「はい、わかりました」というと、それがあなたの職業になるのです。

音楽家であることが、神の「召命」を受けた「天職」であるという意識は、アメリカやヨーロッパの演奏家や音楽の仕事についているスタッフにとっては、どうやら「当たり前」のことらしいと思うことがときどきあります。ふだんはあまり気がつきませんが、矜恃とか使命感という形で垣間見えることがあります。

そんなことを念頭に置きながら、引用を読んでみてください。

「何があなたの向上心を駆り立てているのでしょうか?・・・ひとりの音楽家として生きる人生や仕事の、どんなところに、何よりも優先度が高いと感じていますか? 人は日常生活という泥沼に嵌まり込んでしまい、自分が初めに音楽に夢中になった理由や、自分の音楽活動の中で一番価値をおいているものを見失ってしまいがちです。・・・自分が音楽とのかかわりから、何を望んでいるのかを自覚することが、最良の選択をするために不可欠です。」(『ビヨンド・タレント』、149ページ)

音楽でお金を得ることが日常になるほどに、それがあなたにとっての「泥沼」にならないように、生活することと折り合いをつけながら、自分の生き方の基礎や精神の姿勢を保つことは、音楽という芸術に関わって生きる人間になくてはならないものなのです。

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5. ロールモデルとは

では、音楽家という職業を倦まず弛まず続けていくには、具体的にどうしたらいいのでしょう? ここでやっと「3年先、5年先」を考えて計画することの大切さがわかっていただけるのでは。

音楽家というフリーランスの基本は「漫然と仕事をしない」――これに尽きます。

漫然と仕事をしないためには、目標を長期、短期で作ることが大事になってきます。

目標を立てて、計画すると言われても、頭の中は真っ白、仕事で渡された楽譜をさらうので精一杯・・・音楽家以外の職業に就いている人だって、自分の人生計画をたてろと言われても、すぐに出来るものではないので、その意味では、若いと言うことは、みーんな、大変なのです。

3年先、5年先どんな自分になりたいかを考える前に、あなたにとって「あこがれの先輩」「お手本にしたい音楽家」はいませんか?

その人のようになるには、どうしたらいいだろうかと考えてみる。そのためには何をしたらいいかを、ひとつひとつ洗い出してみる。もしその先輩が身近にいたら、どうしたら、そうなれたのかを聞いてみる、まねしてみる、等々。

あこがれの先輩を持つということを、ちょっとかっこよく言い換えると「ロールモデルを持つ」と言います。この場合のロールは、役割のことです。自分より経験を積んでいる先輩が果たしている役割や仕事ぶりを自分のモデルにして、それに倣うことで、自分の経験値を上げていく。人間は本来群れて生きる生き物。群れの中で、若い固体が生き延びるためには、より優れたロールモデルを見つけて、それを真似ていくことで生きるすべを学ぶのです。

かけだしだったころの私のロールモデルは、同じオフィスで前に座っていたMさんでした。ブロードウェイの舞台にも立ったことのある彼女は、もちろん英語はぺらぺら。しかも、不思議とアーティストたちが彼女には心を許して、「おまえが言うなら、分かった、そうしよう。」と、交渉の達人でもうんと言わせられなかったことをあっさり可能にしてしまう。憧れました。

何より、アーティストたちへの愛情とそれがにじみ出る英語の会話。なるべくそばにいて、会話に聞き入り、電話のやりとりの仕方も一言も聞き逃すまいと全身耳にしていました。それだけで本が書けそうな波乱万丈の半生の話も何度も聞きました。「チャンスはやっぱり自分で切り開かないとね」とか「ニューヨークは厳しいところだけれど、人のつながりがあるのよ」とか、経験の裏打ちがあって初めて語れる言葉に感銘を受けて、結果として、30代の自分の目標を定めていったところがあります。今、ちょうどその頃の彼女の年齢になって、結局真似られたのは、酒の飲み方とよっぱらった後の態度だけかもしれませんが、Mさんへの憧れと彼女からの励ましがなければ、今の自分はなかっただろうと思うのです。

自分の未来について、自分の中に答えはないものです。自分はまだ未完と思って、自分の外側にお手本を求めてみましょう。ああ、こういう生き方がしたい――そう思わせてくれる先輩が、あなたのロールモデルです。

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6. ロールモデルが定まったら、次にすること

p>ロールモデルが決まったら、自分をそれに近づけるためにどうしたらよいか、書き出してみましょう。「書く」ことが大切です。漠然と考えを巡らせるだけでは、考えを止めた瞬間に忘れます。考えるのはいつでもどこでもいいのです。電車の中、お風呂の中、トイレの中・・・何か思いついたらすぐに書き留めるという習慣を持ちましょう。鞄の中に、小さなメモ帳を入れておくことをおすすめします。

メモ帳のページの上に、次のタイトルを書いておきます。 ① 10年後の自分を思い描く ② 5年後の自分の生活を予想する ③ 3年後の目標を定める ④ それに向けて、半年、1年、1年半、2年度の目標を定める ⑤ 1番近い目標を実現させるための方法を考える

なるべく遠くから考えます。でも遠い10年後の姿は、ひとつかふたつでいいです。そこからまず5年後、次に3年後、そしてどんどん近くになるほど、やるべきことを具体的にしていきます。近い目標が、あなたのビジネスプランの具体的なゴールになります。なるべく細かく目標をあげていきましょう。『ビヨンド・タレント』29~30ページに、目標設定のためのとても有用なヒントが書かれています。これもぜひ参考にしてください。

次回は、質問6「その計画を実現するために、お金がどれくらい必要ですか」――先立つもののことはなかなか大変ですが、いっしょに取り組んでみましょう。

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