プロの音楽家になりたいあなたに①:はじめに(『若手音楽家のためのキャリア相談室1』)
箕口一美
時代の要請も、音楽界も、どんどん様変わりしています。
こうした中で「音楽と共に生きる」ためには、どうすれば良いのでしょう?
1. ホールの企画制作を通じて見えてきたこと
(本稿は2009年『ストリング』誌2月号に掲載された記事の改訂版となります。)
これから、大体1980年代の終わりから90年代を経て、21世紀の最初の数年にわたる20数年の間に私がホールの企画制作に携わったなかで経験してきたことから、だんだんと見えてきたこと、考えてきたことをお話したいと思います。
ホールという場所は、コンサートが行われるところ、つまり、演奏者も含めて実に多種多様な人たちが準備し、手順を踏み、協力し合い、たった1回の、その日限りの演奏が行われる数時間めがけて突き進んでくる最終目的地です(お客さま=聞き手もそのうちに入ります)。そんな場所で足掛け20数年仕事をしていると、否応なしに音楽に関わって生きている人たちのプロとしての仕事ぶりに接し、その生き方を垣間見ることになります。
この道の先輩たちは、どんな分野の仕事であっても、何時間聞いていても厭きない、たくさんのエピソードの持ち主たち。その中に登場する大巨匠たちの名前にどきどきしながら、仕事の作法や一種の「プロ哲学」を学んでいく…音楽と演奏家をbehind the scene(舞台裏)で支えるスタッフが育つ場所として、ホールは最高の「道場」でした。
ホールの企画制作は、おそらくアーティスト・マネージャーの次くらいに、演奏家と直接いっしょに仕事をすることが多い仕事でしょう。主に仕事をしてきたのが室内楽の世界ですから、超有名人はほとんどいませんけれど、まだ駆けだしの頃から、弦楽四重奏あるいはピアノトリオの世界の老巨匠たちや、地味なレパートリーにじっくり取り組んでいくピアニストたちの、音楽への愛情に満ちた言葉や音楽と生きることの真剣さに触れることが出来たのは、仕事を続けていく励みになりました。
13年間「住んでいた」(間違いなく、家にいる時間よりホールにいる時間の方が長かった!)カザルスホールという場所は、そんな功成り名遂げた人たちばかりではなく、キャリアの緒についたばかりの若い演奏家とも、たくさん出会う場所でもありました。
例えば、周年のたびに行われていた、選ばれた若い演奏家たちのオーケストラ。ここに加わる、というところに至るまで、このメンバーひとりひとりが、物心つくかつかないかのうちに楽器を手にし、遊びたい盛りの頃も、1日のかなりの時間を練習とレッスン(およびその行き帰り)に費やし、その過程では、常にまわりの同じくらいの年頃の同じ楽器を弾く子供たちと比較され、望むと望まざるとにかかわらず、自分が選ばれたということは誰かが選ばれていないという状況=競争に、ここまで勝ち残ってきたエリートです。それでも、リハーサル中の待ち時間やコンサート後の打ち上げの席で、実際これからどうしていったらいいのだろう、マネージャーは?レコーディングは?仕事はあるのかしら…などという話題になることもしばしば。
「卒業した後、次々仕事は来るけれど(いわゆる「バブルの時代」のことです)、じっくり取り組むっていうよりも、次々と渡される新しい楽譜を右から左へ弾いていくことを求められる。これが音楽で生きることなのかって、ときどき思うけれど…」――あるヴァイオリン奏者は、舞台袖の立ち話で、そんな風につぶやきました。次々弾いていくって、それが出来る人はたいしたものだし、それがプロの仕事じゃないのかしら、などと答えてみたものの、このヴァイオリン奏者が何となく心に詰まらせていることを察することはできました。
「でもね、ちょっと無理かなと思っても、この仕事を断ったら、もう次が来なくなるんじゃないかという不安があって、結局どんどん引き受けちゃう…そのうち、さらう時間がなくなるんじゃないか、とまた別の不安がよぎって、夜中にがばっと起きて、猛烈にスケールをやり始めたり、ソナタの譜読みをしたり…なかなかソロでは弾けないから。こんなこと、繰り返しているうちに、そのうちぱたっと仕事が来なくなったりしてね…そんなときは、よろしくね、みのちゃん。」
ホールの一スタッフの手に余る「ご依頼」に、しどろもどろとなり、頭をかき…何も出来ないのは、自分も相手も分かっていることだから、せめて出来るのは聞き役。かくして、気がつけば、随分たくさんの若い演奏家たちの「明日への不安」を聞かされてきました(ちなみに上記ヴァイオリン奏者は、フィクションです。何人かの同世代の弦楽器奏者たちの合成とお考えください)。
バブルが崩壊し、仕事の絶対量が減り、演奏者をめざす若者には、力はあってもそれを磨く機会がなかなか回ってこない現実が立ちはだかるようになりました。ポテンシャルでは「かつての若者たち」と決してひけをとらないのに、展望がひらけない、先がみえにくいという中で、若い演奏家、あるいは演奏家になろうとしている若者からいろいろな話を聞かされました。もう、漠たる不安というよりは、生活が出来ない、あるいはそのめどが立たない、音楽の仕事では生きていけない、という悲鳴に近い声もしばしば耳にするようになりました。
2. 音楽家としての成功とは
「聞き役」はだんだん居たたまれなくなると同時に、こんなことにも気がついたのでした。つまり、演奏のプロをめざす若い人たちの「プロの音楽家として生きていって、『うまくいった』という姿」、すなわち成功のイメージが、①演奏家として評価される技量の高さ(例えば、主要なコンクールで優勝または高位入賞する)、②芸術家として受ける質への賞賛と尊敬(大手マネージャーがつくソリストになる、あるいは若くして著名オーケストラのコンサートマスターや首席奏者になる、など)、③それに伴う経済的社会的成功(CDが発売され、そのロイヤリティが安定的に入る、仕事が途切れずにくる、国際的な活躍が出来る、有名になる…)といった方向にかなり強く引っ張られていて、さもなくば負けだという気分を、誰もが多かれ少なかれ持っているということです。
それ以外の音楽で生きる道――例えば、学校などで音楽の先生になる、出身地に戻って後進の指導にあたる傍ら演奏活動を続ける、演奏を離れても、音楽に関わる仕事をする、等々――については、誰もはっきりは言葉にしなくても、「なれなかった人」のすることで、音楽で生きるのを「あきらめること」に等しいから、そんなことは考えたくない、という雰囲気がありました。
この成功のイメージが間違っているとは思いません。ただ、この3つを得られなければ「負け」で、音楽といっしょに人生を生きることができないと考えてしまうのは、あまりに人生の選択肢が少なすぎます。それまでの、少なくとも楽器を手にしてからの20数年を、音楽一筋で生きてきた年月を、そこで得てきた、長い修練を必要とする高度で洗練された技倆を持つあなた自身をもっと大切にしてほしい・・・でも、それを若い演奏家や演奏家をめざす若者に対して、口にすることはできませんでした。「じゃあ、どうしたらいいの?」という問いに、答える術を持っていなかったからです。
3. 時代の要請の変化
音楽の世界そのものをとりまく状況そのものも、とても厳しいものになっていました。演奏家の生活を支えているのは、わたしたちの社会に「そうだね、音楽はこの世界になくてはならない大事なものなんだ」と心から思ってくれる存在(それが個人であれ、企業であれ、公の機関であれ)があって、はじめて成り立っている仕組み。厳しい経済状況の中、支援をする側が、それは意味あることだ、と納得できる理由を明確に求め始めました。言い換えると、「音楽をはじめとする芸術は、社会の仕組みに支えられているそのお返しに、社会の一員として何ができるかね」と問われるようになってきたのです。
これはホールに働く人間にも厳しい問いでした。芸術の社会の中での立ち位置が、「すばらしいものがそこにあること」では不十分になり、「すばらしいものがそこにあるだけではなく、そこから働きかけること」に、少しずつ変化し始めていることに気がつかざるをえませんでした。
「音楽家にも聴衆にも献身するスタッフであれ」――これはカザルスホールのオープニングのときに示されたモットーのひとつです。当時の総合プロデューサー・萩元晴彦が、サントリーホールのオープニング記念誌に掲げ、カザルスホールにも持ち込んだもの。ここで育った人間は、特に「音楽家に献身するスタッフ」という条を肝に銘じて、仕事をしていました。
自分より遙かに年の若い演奏家であっても、音楽を作るmaking musicができる人は、とても特別な人であり、敬意を払い、その人が最高の状態でステージに臨めるように努力を惜しまない。ホールのスタッフとしてのエネルギーは、まず演奏家ありきですべての秩序・優先順位や段取りが決められる…ということが当然と考えていました。
今も、根源的なところで、その心持ちは変わっていません。ただ、時代の要請――それは意外なことに東京よりもいわゆる地方のホールの人たちとの交流を通じて、おぼろげに姿を見せ始めていました――の、静かではあるけれど確実な風向きの変化の中で、演奏家との関係が、ただ仕えるだけのもの、聞き役だけではないものに変わっていく必要があることは、肌身で感じていたのを覚えています。そのためには、もっと勉強しなければ、でもどうやって・・・アート・マネージメントという言葉が日本に入ってきて日も浅く、自分とは関わりのないところにあった頃のことでした。
4. キャリア・カウンセラーの先駆者、アンジェラ・ビーチング女史との出会い
細かい話は端折りますが、仕事に必要な英語をもっとなんとかしなければ、という切羽詰まった必要性もあって、仕事の合間を縫って、欧米圏の音楽業界雑誌を取り寄せて読んだり、長い休みをとって、アメリカやカナダに出かけ、できるだけたくさんの室内楽の現場を見て歩いたり(趣味の美術館通いもしていたら、そこで思わぬコンサートシリーズに出会ったり)、全く未知の全米室内楽協会のカンファレンスにとにかく参加してみたり…ある意味、師もなく、カリキュラムもない試行錯誤の末に、『ビヨンド・タレント』の著者、アンジェラ・マイルズ・ビーチングと出会ったのです。【アンジェラ・マイルズ・ビーチング『BEYOND TALENTビヨンド・タレント 日本語版:音楽家を成功に導く12章』箕口一美訳、水曜社、2008年。】
アンジェラは、ちょうどこの本を書いている最中でした。イーストマン音楽院で行われたアウトリーチとレジデンシー(演奏家の中長期滞在型活動のこと。)の勉強会の席で初めて彼女のレクチャーを聞いて、直感的に「その本、わたしに訳させて。日本でこれを必要としている人たちがたくさんいる」と思ったものでした。翌年、同じ勉強会で再び出会ったアンジェラに自己紹介し、以来、会うと2時間は話し込んでしまう、遠くて近い同志になりました。
アンジェラは、ボストンにあるニューイングランド音楽院のキャリアサポートセンターのディレクターです。【1993~2010年勤務。その後、マンハッタン音楽院の音楽アントレプレナー・センターのディレクターを経て、2019年現在、フリーのキャリア・カウンセラーとして活躍中。https://angelabeeching.com/】
学生たちが練習や講義のために出入りする中央棟の一角にあるオフィスに入ると、まず目に飛び込んでくるのが、おびただしい種類のパンフレットの棚。コンクールや講習会情報、演奏アルバイトの応募先など、学生がすぐに欲しい具体的なものから、オーディションの受け方、プロフィールの書き方、写真の撮り方、舞台上の立ち居振る舞いの作法、あがり症をどう克服するか、アマチュアや初心者をどう教えるか、確定申告はどのように行うのか、演奏に差し障る故障を抱えてしまったら・・・等々、演奏家として生きていく上で必ず直面する課題や問題について、トピック別のパンフレットが用意されています。すべてアンジェラがこつこつと書き上げ、今も改訂を加えています。
センターに来た学生(卒業生もOK)は、カウンターで自分が今必要としている情報や質問したいことを告げると、まず、このパンフレットのいくつかを案内されます。1冊2~3ドル程度のものを熟読し、それで解決しないこと、自分の問題として相談したいことがあれば、キャリア・カウンセラーのアンジェラ先生の登場です。彼女はそうやってたくさんの演奏家志望の学生たちの話を聞き、具体的なアドバイスをし、ひとりひとりの「音楽とともに生きる道」を影から支えてきたのでした。
音楽とともに生きる道に入っていくための心構えから具体的な「生活の知恵」までをアドバイスしてくれる場所が、音楽の専門大学の中に、学生たちへのサービスの一環として行われていることを知ったのは衝撃でした。と同時に、それまで舞台裏の「聞き役」をしてきた人間は、これが今日本の若い人たちのための一つの活路だと思ったのです。
5. 『ビヨンド・タレント』の邦訳出版
日本で音楽とともに生きたい若者たちの一助になればという気持ちに、何人かの方々が熱い助けの手をさしのべて下さり、アンジェラのBeyond Talentは、『ビヨンド・タレント 日本語版』として、2008年出版されるに至りました(水曜社・3150円)。この本は、アンジェラのオフィスの棚いっぱいに詰め込まれたパンフレットの集大成です。ですから、アメリカの学生には役に立っても日本では使えない部分もありました。そういうところはただ割愛するのではなく、アンジェラの許可を得て、日本での事例に置き換えました。
宣伝めいて聞こえると思いますが、もしこの連載に関心を持ってくださったらば、ぜひこの本も手にとって見て下さい。まずは、元祖・キャリア・カウンセラーの、音楽と演奏家への愛情あふれるアドバイスに触れて欲しいと、心から願うものです。
今、これから音楽とともに世の中に出て行こうとしている人たちに見えている(あるいは見えてくる)世界の広がりは、10年前、20年前とは大きく様変わりしています。演奏することで音楽と生きていくのであれ、そうした仕組みを支えることで音楽と生きていくのであれ、音楽に求められている役割(そして音楽家やそのスタッフに求められている役割)も、多種多様になりました。でも、すべてが変わってしまっているわけではない、以前からの生き方とこれからの生き方が混在している、変わり目の時代でもあります。この『キャリア相談室』の主は、そんな時代の変化といっしょに、この国で今日まで仕事してきました。多少はみなさんのお役に立てる話も出来るといいな、と思っています。
6. 「キャリア相談室」の活用法
この「キャリア相談室」の使い方を参考までに。
アンジェラが言っていたことで、本を訳しながらも、繰り返し肝に銘じていたこと、「キャリア・カウンセリングの基本は1対1、100人いれば100通りの違う人生について考える。」
キャリア支援の基本は、個別カウンセリングなのです。あなたの人生はあなただけのもの。全部オーダーメードが当たり前です。でも、カウンセラーは魔法使いじゃありません。かぼちゃを馬車に変え、ねずみを馬に変えて、あなたを成功という名の王子さまの元に送り届けるのが仕事ではないのです。ただ、あなたがあなたの人生という馬車を自分の考えで御することができるように、お手伝いすることはできます。
1対1のカウンセリングに入る前に、あなた自身が準備しておくこと、自分自身で確認し、整理しておく必要がいくつかあります。役に立つカウンセリングを受けるためには、まず自分のことを少しでも語れるようにしておいた方がよいのです。悩みや疑問を書き出す、ということもその一つ。と同時に、音楽とともに生きるわたしをまず自分で発見する努力をしてみましょう。
『ビヨンド・タレント』を最初から読み進めていけば、自ずと以上のようなことを考えなければならないのだな、ということが見えてくるはずです。とはいえ、実際にどのような作業をしたらよいのだろうかとなると、戸惑うこともあるかも知れません。
この「キャリア相談室」では、この先、プロフィールの書き方というトピックで、「自分を掴む」という作業を具体的に行っていくつもりです。一種のドリル、練習問題を解くつもりで、いっしょにやってみましょう。
いずれも、プロとして生きていくアイテムとしては重要なもの。それは、現在のあなた自身をよく反映したものでなければなりません。そのためには、あなた自身が自分のことをはっきりと掴む必要があるのです。プロフィールを作成する作業そのものが、音楽とともに生きるわたしを発見する過程と思ってください。
こちらの「キャリア相談室」では、1対1のオーダーメードのキャリア相談は難しいと思いますが、希望者はどうぞ研究室にいらしてください。
キャリアという言葉に、抵抗がある人もいるかも知れません。「仕事」を「生きていく私の人生」と言い換えてみて下さい。人間として、ひとたび大人となったからには、仕事をするのが当然です。仕事を通して社会と関わり、大人として成長し、成熟していく。
それがあなたの人生であり、群を作って生きる生き物である人間は、必ず社会の中での役割=仕事を持ちます。自分がどんな役割を果たすべきかを考えるのは、自分が自分の人生の「主(あるじ)」であるためには、とても大切なこと。キャリア・マネージメントの基本は、そこにあります。