東京藝術大学 音楽創造・研究センター     

東京藝術大学 音楽創造・研究センター

「これから海外活動をめざす方へ」                   (第1回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)

「1.現在までのキャリア展開史」
「2.海外活動の様子」
「3.テーマの獲得」
「4.海外活動の意義」
「5.プロフェッションを継続するために心がけていること」


5.プロフェッションを継続するために心がけていること

次にいきましょう。ここでは私が「プロフェッションを継続するために心掛けていること」として、4点をお話ししたいと思います。

A.芸術的活動におけるリベラルアーツ(一般知的教養)の学習

リベラルアーツという言葉は、皆さんどこかで聞いたことがあると思います。簡単にいうと、一般教養です。ただし日本の教育システムでは、リベラルアーツといって、本来求められていることをやっていません。今の大学では、1・2年で一般教養を大体学び、3・4年で専門に進みますよね。リベラルアーツというのは何かというと、先ほど紹介した、アメリカの高校生が私に質問してきたような内容のことです。つまり、哲学、歴史、英語などといった科目別の勉強ではだめということです。さまざまな事象にはどういう意味があり、どういう関連をなしていているのかという、もう一歩、段階を踏んだ学習のことをリベラルアーツと言います。これは古代ギリシャに始まり、18~19世紀に盛んに行われた学習パターンです。ひとつの単体の学習として考えないで相対的に考えます。例えば現実と科学ということに関してある事象がリンクするとしたら、どういう風に関連性があるのか考えるわけです。さっきのお茶もそうですね。室町時代と現代、何が違うのか。お茶がどういう風に歴史的に変遷しているのか。日本人はこうしたことをどのように学習しているのか。

昨今、リベラルアーツの動きは始まっています。でもまだ不十分なので、自分で頑張らないといけないと思っている分野です。

B.我が国における身体的創作の再確認(メディア関係における所作指導)

これは、舞踊活動以外で、メディア関連の所作指導という日頃の仕事を通して、研究を続けていることです。

所作指導だから単に、襖を開け、座るなどの、江戸時代の動きを教えるといった簡単なことではありません。どうしてこのような動きになったのか、どういう風にそれが成り立っているのかということを、私なりに理解していないといけません。そうしないと、テレビで放送したときに大変な非難を浴びてしまいます。視聴者からのクレームは時に本当に厳しいものがあります。

自分へのクレームだけでなく、小道具さんや衣装さんに問題が起きたときも、その説明を書いてさしあげることがあります。私が論理的にどこまで視聴者を説得できるかが、勝負処と考えています。この研究もライフワークと言えるでしょう。

C.ダンスにおける創造性の再確認

次は、「ダンスにおける創造性の再確認」です。これは、さきほどの私のリサイタルに繋がります。古典の踊りを続けてきたなかで、「道化」というテーマに行き着きました。そして踊りにはどういった可能性があるのか、創造性に繋がっていく踊りとは何なのか、考えるようになりました。別に伝統を破壊したいわけではありません。伝統の踊りの中から自分で創造できるものがあるのかということを、常日頃から再確認をしていかなければ、私たちはおそらく取り残されてしまうと思います。そのため自分のやっていることが新しいのか古いのかを常に考えます。

たまに「最近やってることが堅いね、古いんじゃない?」なんて気さくに言ってくれる方がいます。こうしたコメントが実は有難いのです。アーティストは常に自分を信じてやっておりますので、表現を突き詰めようとすると、頑固になってきます。そして冷静に自分を客観視できなくなっていきます。そんな時になんとなく通りがかった人から、「お前最近、……じゃないの?」なんて言ってもらえると、「え? やっぱり最近そうなのかなぁ」などと、ふとした瞬間に自分を冷静に、客観的に見ることができます。

海外に行ったときには、海外で新しいと思われていることに向けてアンテナを張ります。たとえば海外では、古典のもの、昔から伝わっているパターンに対して、どのように表現方法を変えているのか。例えば、シェイクスピアやギリシャ悲劇を、フランスで新演出として打ち出した場合には、どういう風に大道具を変えているのか。音楽を変えているのか。《くるみ割り人形》の演出の最近の傾向はどうか。オペラ・バスティーユとロイヤル・バレエ団では何がどう違うのかなど。まったく異なる分野でも、関心につながります。ですから創造するためには、自分を冷静にみるという客観的な主観、そして違う分野に対する興味、これらが繋がっていくと考えます。

D.ブランドデザインの創出→常に自分の個を見つめ直す

続いて、「ブランドデザインの創出→常に自分の個を見つめ直す」です。これも先ほどお話したことと同じですね。私たちは義務教育の中で育ってきました。ゆとり世代や悟り世代の方たちがどういう風に育ってきたかというのはあまり分かっておりませんが、でも基本は変わらないと思っています。それはやはり日本だからです。日本にはその根底に義務教育があります。これは崩せない牙城ですよね。どうしても同じことを一緒にやっていかなければなりません。中学・高校ぐらいになったら、習熟度別で変えられますが、でもスタートはやはり同じようにやっていかなくてはならない。これが、私たちのようにアーティスティックな現場において活動する人間にとっては実は邪魔になるときがあります。つまり自分自身の個を埋没させなくてはならない方向に向かうということです。ともすると、自分のすばらしさを自分で認識できなくなってしまうわけです。

「俺、なにやってんのかなぁ。なんで俺あいつと同じなのかなぁ」なんて悩む瞬間も、無くなってしまっているのではないでしょうか。「じゃあ、同じにならないよう、違うようにやろうぜ」というのもおかしいじゃないですか。たぶんおかしいと思います。

でも皆それぞれ全然魂が違います。皆それぞれ良いものを持っているのだと思います。それぞれに素晴らしい才能があります。でも自分がどんな才能や可能性を持っているか分からないのに、隣と比較したり、中傷したりすることは、はたして正しいのでしょうか。まず自分が何たるかを自分で理解するのが、ブランドデザインの始まりだと思います。今から若手の皆さんが自分のブランドデザイン、自分の表現、自分のキャラクター、そういったものを明確にするためにはどうしたらいいのかということですよね。そのためには常に自分の個を見つめ直すことです。

メディアでは個性を大事になどと簡単に言いますけれど、個性はそういうものではないとも私は思います。まずは自分自身が元々持っているものをはっきりと自分で分かることが一番大切だと思うのです。なかなか分かってない方が多いのではないでしょうか。

皆さんはアーティスティックな領域を目指してこられた。そして、これからもそういった関連分野に進んでいきたいと考えていると思います。その際、大切なのは、自分の才能を最大限発揮できる方向を早くに見定めることだと思います。

私も先ほどお話したとおり、30歳のときに商業演劇の道に入りました。この時期、実はこのまま踊りの世界だけで生きていくことに限界を感じていました。このまま続けていったら、私は踊りをやめて、普通の仕事をするようになるのではないかというところまで思い詰めていました。どういう風に自分は踊りと向き合っていったらいいのか。どうやって続けていったらいいのか。どう伝統と向き合っていったらいいのか。そんな時期に、たまたまメディアの社会との接点があり、私自身、気づかされることがいっぱいありました。そのなかで揉まれながら、自分の伝統芸能の世界が大変に狭いものだということが分かってきました。じゃあ外へ出たらいいかというと、外は外でもっと大変な社会が待っていたりします。どこも同じなのです。良い面も悪い面もあるのはどこの世界も同じです。では団体で群れをなして生きていくのか、それとも一人の個人として生きていくのか。これも問われます。

結局、どっちが良いなんて言えません。やはりそれは本人しか分からないと思います。他人に言われても、自分が自覚しないとその先へは進めません。でも気づいた瞬間が早ければ早いほど、私は可能性があると思うのです。ですからまずはそこを頑張ってほしいと思います。

国内外での活動をめざすなかでもっとも大切なのは、まずは「今の自分を把握する」ということでしょう。把握できた自分が世界のなかで進んでいく道を、それぞれ計画を立てて一つずつ地道にこなしていきます。そうやってそれぞれの専門でぜひ活躍していってもらいたいと思います。

Topに戻る
はじめのページに戻る

続きを読む