東京藝術大学 音楽創造・研究センター     

東京藝術大学 音楽創造・研究センター

「これから海外活動をめざす方へ」                   (第1回特別講座「若手音楽家のためのキャリア展開支援」)

「1.現在までのキャリア展開史」
「2.海外活動の様子」
「3.テーマの獲得」
「4.海外活動の意義」
「5.プロフェッションを継続するために心がけていること」


4.海外活動の意義

続いて、「海外活動の意義」についてお話したいと思います。

A. 日本を外側から再認識することができる

まず「日本を外側から再認識することが出来る」ですが、すでにさきほど説明しましたとおり、海外に行って、日本を外側から見ることによって、日本の現状を冷静に判断し、見ることができます。日本にいたら分からないことが見えてきます。

B. 主体性を養える

次に「主体性を養える」というのは、芸大の海外公演に参加するなど、引率される団体メンバーとして海外に行った際には分からないものでしょう。この場合、主体性というものは望めません。一方、一人で行った場合や、自分の団体を主宰するかたちで行った場合には、主体性が養えるというより、要求されます。

あと私たちの日本という国が、朝起きてから夜寝るまで、本当に恵まれているということ、そのなかで生きているということも分かってきます。海外に行ったら不便だらけです。ロシアもそう、フランスもそうです。日本はどうしてこんなに綺麗で、ご飯がおいしくて、生活に本当に苦労がなく、こういう風に明かりがちゃんと点いているのでしょう。こうしたことがどれだけありがたいことか認識できます。海外に行ったら、途中でガチャンと消えたり、電気がボンとショートしたり、しょっちゅうです。どうにか自分たちで、そういったアクシデントやハプニングに対応していかなくてはなりません。自分で動いて対処しなくてはならないため、否応なく主体性が養えるわけです。

C. グローバルスピリットを体験化出来る

先ほども少しふれましたが、海外に出て行くと、結局、私たち日本人というのは海外の方との接点が絶対的に少ない国であるということがよく分かります。ヨーロッパに行ったら、お母さんがハンガリー人、お父さんがロシア人、そしておじいちゃんが何とかと、もう種々雑多になっています。そのなかで、家族の中、親戚の中でしょっちゅう喧嘩します。でもこれも普通のことで、民族と民族の喧嘩や対立ではなく、協和なんですよね。文化の違いをもみ合いながらも生きていくというのが、共存だと思います。その上に文化があるということを、海外では思い知らされることでしょう。

「あそこのおじいちゃんドイツ人でさ、ナチなんだよ」「そんなこと言うなよ」なんて、ぶつぶつ言っています。そういうひそひそ話が大変面白いのですが、海外に行ったらこれが普通なのです。ここでは恰好つけて、グローバルスピリットなどと言っていますが、実はこれは大したことではありません。民族の協和です。私たち日本人が体で認知していない人間対人間のコミュニケーションが、海外に行ったら全く異なるということを知ってください。

Topに戻る

D. 国際文化交流の根本的意義を認識できる

次は「国際文化交流の根本的意義を認識できる」です。さきほど助成についてお話した際、税金を使って私たちは文化交流をさせていただくということを説明しました。国際文化交流の場合、一番大事なのは、先ほどの「協和」もそうなのですけれども、交流しなくてはならないということです。助成組織から助成金をもらって海外に行き、そこで演奏、ないし踊りをします。そして、公演が終わって、「交流しないで」帰ってくる団体がかなりあるようです。これが問題となります。ただパフォーマンスするだけでは、交流したこと、コミュニケーションできたことになりません。演奏して、お客さんが「わーよかった」と喜んでくださっただけでは、交流にはならないのです。

何故でしょうか。ある時ハワイで、公民館のような処やお寺で公演することになりました。劇場は意外と会場費が高いのです。ハワイはいわばお寺のデパートで、ものすごくたくさんの神社仏閣があります。自分でレンタカーを借りて、そうした場所に「すみません、踊らせてください!」と一人、打診してまわるわけです。

そんな中、ある場所で次のように言われました。「やるのはいいですが、公演後、何にも連絡しない。どうなったかも連絡しない。それで日本人の方たちは本当に交流をなさっているおつもりですか?」と。どうも以前、そういう方々がいらっしゃったようです。「すみません、交流させてください!演奏させてください!パフォーマンスさせてください!」という風にやって来たものの、やったらやりっぱなしで帰って行った、とのことです。そしてこうした人たちはかなり多いのだそうです。

つまり、自分の演奏やお芝居の演技を見せるだけでは、交流は始まっていないということなのです。交流事業が終わり、何が大切なのかというと、そのあとの現地の人たちとのコミュニケーションです。これが絶対に必要です。そしてその様子がちゃんと申請書に書かれていないとなりません。なぜかというと、苦情がちゃんと助成組織にも届くからです。

大切なのは、「実際にその公演が交流という言葉にふさわしい内容となっているか」「自己満足の演奏やパフォーマンスで終わっていないか」、というポイントです。交流というのは一回性のものではないですよね。次にもちゃんと続く「交流」をしてもらわないと困るわけです。私的なイベントではないのです。

あるいは、自分たちにとっても、その1回で終わるのではなく、次もそこでやらせてもらえるという、やはり継続性が若干でも認められないと、申請通過はなかなか難しいと思います。またこれはその後からやって来るパフォーマーのためにも大切なことと言えます。こうしたことは意外と盲点です。

日本人はコミュニケーションが下手だと思われています。コミュニケーションというのは、1回では終わらないものです。ただこちらの事情で、「来年にはこういう予定がある」とか、「予算がなく何回もできません」といった理由があるかもしれません。だったら、何をするかですよね。これらが理由だからできませんというのは、やはりそれはただの我儘だと思います。なぜ我儘なのでしょう? なぜなら、あなたが申請を通過して助成を受けたのが税金だったり、本来、あなたのお金ではないためです。ここに全部繋がっています。

自分のお金で渡航したのであれば、何をしようと自由です。でも例えば東京都庁の税金を使ってアーツカウンシルから、日本の税金を使って国際交流基金から、さまざまな民間機関から助成を受けたとなると、これは日本国のために今後に繋がるコミュニケーションをあなたに託します、ということなのです。これをやらないと、皆さんに助成をした意味がなくなってしまいます。

こうしたことは、各組織からは説明していただくことではありません。自分たちで考えなくてはならないことです。各組織とも審査基準も一切教えてくれません。

Topに戻る
はじめのページに戻る

続きを読む